911陰謀論 #42 公式調査-世界貿易センター(FEMA)

911陰謀論 #41 では、公式調査の概要についてまとめました。

次から公式調査の個別の事案についてみていきます。
最初は世界貿易センターです。

世界貿易センターの調査は大きなもので3つ行われています。
政府の調査として、米連邦緊急事態管理局(FEMA)が行ったものと、アメリカ国立標準技術研究所(NIST)が行ったものがあります。
個人で行われた調査としては、シルバースタインが行ったものがあります。

まずは、FEMAの調査についてです。


FEMAの調査

米連邦緊急事態管理局(FEMA)は、飛行機の衝突と火災によって引き起こされた構造的な破壊としての、3つの世界貿易センタービルの破壊を説明するための、最初の公式の政府の報告書を作成しました。それはグラウンド・ゼロの「クリーンアップ」における中心的な役割を果たし、そして、調査が必要とする証拠体系のほぼすべてを破壊に導きました。


調査の歴史

攻撃をきっかけにして、米国土木学会(ASCE)のエンジニアのグループが9月11日の攻撃で起きたWTCビルの構造的な反応を調査するのに志願しました。最終的にFEMAはASCEボランティアの調査を引き継ぎ、彼らを建物性能評価チーム(BPAT)と呼びました。

W・ジーン・コーリー博士、イリノイ州スコーキーにある建設技術研究所の上級副社長は、主任研究者を務めていました。コーリーはまた、1995年に起きたマラー連邦政府ビル攻撃の、FEMAの研究の主任研究員でした。BPATの調査には、FEMAから60万ドル、ASCEの現物出資で50万ドルの資金が供給されました。2001年12月までに、10万ドルが調査で使われました。

BPATは召喚状を発する権力を持ってませんでした。それゆえに、建物の設計図のような重要文書へのアクセスを得ることができませんでした。

2002年の5月に、FEMAは世界貿易センタービルパフォーマンス研究をリリースしました。2005年3月までは http://www.fema.gov/library/wtcstudy.shtm で見ることができ、それ以来は http://www.fema.gov/rebuild/mat/wtcstudy.shtm で見ることができました。911リサーチチームは 恒久的な完全ミラーサイト を作っています。


FEMAの報告書

FEMAはPDF文書の形式でのみその報告書を公表しました。nerdcities.com/guardian ウェブサイトを作った匿名の著者は、ほとんどの章をHTML形式に変換して、何か所かにコメントを追加して、公開しました。これらの章は、911リサーチチームのnerdcities.com/guardian ウェブサイトの部分ミラーと同様に、ここにもリストします。

FEMAの報告書(「guardian」の著者によってコメントが付けられています)

目次
1章 はじめに (コメント付き) 
2章 WTC1およびWTC2 (コメント付き) 
3章 WTC3
4章 WTC4、5、6
5章 WTC7 (コメント付き) 
6章 バンカース・トラストビル
7章 周辺の建物
付録 A ビルの防火設備の概要 (コメント付き) 
付録 B 構造用スチールとスチールの接続 (コメント付き) 
付録 D WTCスチールデータ (コメント付き) 

nerdcities.com/guardian の著者は付録CのHTMLバージョンを提供しなかったので、911リサーチチームがそれを提供しています。

付録 C 限定された金属検査


報告書の記述

BPATのメンバーによって書かれた、報告書は、ジェット機の衝突がどのように世界貿易センターの破壊につながったのかを説明することを目的としています。付録の1つは、明らかにフレッシュキルズ埋立地で撮影された写真があり、塗装スプレーで番号が書かれたスチール・ピースを見ているスポーツ用の固い帽子とスケールを持った人たちが映っています。BPATは、明らかにグラウンド・ゼロへ立ち入っての評価をしませんでした。報告書は崩壊の写真をたった1枚だけしか示していませんが、目を楽しませてくれるカラフルなイラストがたくさんあります。

報告書はたくさんのカラフルな漫画のような図面で示されており、そのうちの1つはFEMAが主張する床崩壊のメカニズムを説明しています。タワーがコア構造を持っていなかったと考えるよう、あまり詳しくない読者を欺くために細工されたように見えます。

そのような湾曲した説明にもかかわらず、FEMAの報告書は、、NISTのレポートなど他の場所では文書化されていないイベントについてかなりの量のデータをこれ見よがしに提供しています。例えば、付録Cは観察、つまり犯罪科学の立場に立った関心を述べています。それは、スチール部材が硫化性の攻撃によってひどく腐食されていたということです。

911陰謀論 #43 につづく

参考URL
http://911research.wtc7.net/wtc/official/fema.html

911陰謀論 #41 公式調査-概要

911陰謀論 #40 では、WTCのスチールの撤去についてまとめました。

これでグラウンド・ゼロ関連については一通りまとまったので、次からはテロ後に行われたさまざまな調査のことについてまとめていきます。


様々な(非)調査

9月11日のニュースに注意を払っていた職員たちは、その日の終わりまでに次のようなことがその日のイベントにあったことを知っているだろう。
  • 空港セキュリティにおける最大の失敗、そして歴史上の(原始的な武器を用いて行われた)初めての4重ハイジャック
  • コースを外れた航空機をインターセプトするという標準操作手順の、複数かつ前例のない失敗
  • 国家の歴史の中で、民間人の生命と財産を守るための、軍の最大の失敗
  • 十分な警告時間を持っていたにもかかわらず、ほとんど認識していたテロリストのターゲットのうちの2つを守るための、失敗
  • 記録された歴史上で3つの最大規模の構造的な障害:世界貿易センター1、2、7の総崩壊
  • アメリカの歴史の中で高層ビルの唯一の崩壊
明らかに、この大規模な失敗はもっとも正直で骨の折れる十分なソースのある調査を行うのが当然です。2007年1月に至るまで、この時には証拠のほとんどが破壊され、そのような調査がまだ行われていません。その代わりに、いろんな真実の調査を停止する努力がなされてきました。


防空障害:昇進そして懲戒はなし

ニューヨークシティとワシントンDCを守るのに、北米航空宇宙防衛司令部(NORAD)、国家航空警備隊、そして空軍が巨大で不可解な本質的な失敗をしたにもかかわらず、公共的な調査は行われず、そして関係者は誰も懲戒を受けることはありませんでした。逆に、911の統合参謀本部副議長リチャード・マイヤーズ大将は、失敗に関する基本的な質問に答えるために無力だったにもかかわらず、わずか2日後に議長を確約されました。攻撃時のNORADの司令官ラルフ・エバ-ーハートは、後に新しく作成されたアメリカ北方軍(NORTHCOM)の司令官に選ばれました。


WTCの大災害、「不明瞭な権限体制」妨害された崩壊調査

攻撃の48~72時間以内に、以下の機関の代表者は、世界貿易センター攻撃のシーンにおいて、データを集めていたとされています。
  • 米連邦緊急事態管理局(FEMA)
  • 米国土木学会(ASCE)
  • 国立科学財団(NSF)
FEMAとその請負業者のグリーンホーン&オマラ社は、建物性能評価チーム(BPAT)を形成し、世界貿易センタービル・パフォーマンス・アセスメント研究となる予定でした。BPATの研究者は、「観光旅行」として述べられた実地検証を除いて、グラウンド・ゼロで証拠へのアクセスを拒否されました。彼らは召喚状を発する権限を持っていませんでした。

これらの機関によって行われた「調査」は、うまく管理されずそして「混乱していた」ことが、広く認識されている(しかし広く認められていない)。建物の障害を調査することになっていた人たちは、決定的な証拠を調査することを妨げられました。米下院でヒアリングされた2002年3月6日委員会に与えられた権限には、次のような問題点がありました。

  • 建物の性能の研究者が、犯罪調査が行われるのと同じ様な、同時実行する探索や救助努力をする彼らの調査を、指揮したり取りまとめたりする方法についての明確な権限の欠如と効果的な手続きの不在
  • 青写真、設計図面、メンテナンス記録を含む、調査に欠かせない文書が入手困難だったこと
  • BPAT研究の機密性の結果として、不確実性があったこと
  • 調査完了と学んだ教訓の適用に対する戦略として、不確実性があったこと


本格的な調査への継続的な閉塞

議会筋によると、2002年1月29日に、ブッシュ大統領は個人的に上院院内総務トム・ダシュルに9月11日のイベントの議会での調査を制限するよう頼みました。

2002年5月23日に、ブッシュは、どのように政府は9月11日の前にテロへの警告を扱っていたかを徹底的に調査するための、特殊かつ独立した委員会の設立に反対したことを述べました。次の声明は、ミネソタ州FBIエージェントのコリーン・ローリーがFBIディレクターのミュラーに手紙を送ったわずか2日後のことでした。「ハイレベルのFBIマネジメントのであるあなたや他の人たちによる事実の精巧で狡猾な陰影/除去が発生したことそして発生しようとしていることに、私は深い懸念を持っています。」

9/11攻撃の1周年の記念日に、ニューヨークタイムズは次のように嘆きました。

1年経ち、国民は白昼のマンハッタンのふもとで2801人が死亡した状況について、1912年の国民がタイタニック号について数週間以内に知っていたことほど、知っていない。

2002年11月27日に、ジョージ・W・ブッシュはヘンリー・キッシンジャーを9/11攻撃の「独立した調査」の議長に任命し、後に9/11委員会と呼ばれました。キッシンジャーは、秘密へのやむことのない熱中のために有名で、アメリカ国外の戦争犯罪と広く考えられていました。2002年12月13日に、キッシンジャーは、彼のビジネスクライアントを開示する要求に従うよりも、職務を辞任することを選びました。2002年12月16日に、ブッシュは委員会の委員長としてキッシンジャーを置き換えるためにトーマス・ケインを任命しました。ブッシュ政権は、職員の証言を制限することによって、既に大きな対立を生んでいた委員会を無力にしました。キーンは、今でもドリュー大学の学長に残っているだろうが、委員会に週1日をささげると述べました。委員会は、公式のストーリーに疑いを持つものによって作られたいかなる責任を示すことなく、2004年8月にその扉を閉めました。


911陰謀論 #42 につづく

参考URL
http://911research.wtc7.net/post911/probes.html

911陰謀論 #40 WTCのスチールの撤去

911陰謀論 #39 では、グラウンド・ゼロのアクセス制限についてまとめました。

次はWTCのスチールの撤去です。


グラウンド・ゼロの証拠の迅速な破壊

スチールは建物の構造材料でした。それ自体は、どのようにして構造物が衝突を受けて火災が発生したかを組み立てるために保存すべき最も重要な証拠でしたが、その後瓦礫の中に崩壊しました。火災による鉄筋高層ビルの崩壊がまったく前例がないので、スチールは詳細な分析を行う必要があります。そして当局はこの大規模な犯罪と前例のない技術的な障害のキーとなる証拠について何をしましたか?彼らはそれをリサイクルしました!

構造用スチールのいくつかの185,101トンは、グラウンド・ゼロから持ち出されました。ほとんどのスチールは、迅速に瓦礫をニュージャージー州にあるスクラップ回収所に送るよう市の決定通りにリサイクルされました。市の性急な動きは、スチールはもっと徹底的に調査を行うべきと信じている多数の被害者家族を憤慨させました。先月、火災の専門家は、調査者が瓦礫を保存する権限を持っていなかったために、スチールの80%は調査されずにスクラップされたと委員会に話しました。

スチールの大部分は中国やインドに出荷されたようです。中国企業の宝鋼は、1トン当たり120ドルのレートで50,000トンを購入しました。前年度に地元の工場が支払っていた平均価格は160ドルでした。

元工学専攻のブルームバーグ市長は、証拠の破壊について関心を持ちませんでした。

もしあなたが構築手法や設計手法を見たいのなら、今ならコンピュータがしてくれます。金属片を見るだけでは、何も教えてくれません。

スチールの撤去スピードは、攻撃の後の最初の数週間でさえも、非常に迅速に行われました。9月29日までに、瓦礫の13万トン、その大部分は明らかなスチールが、撤去されました。

FEMAによってコントロールされる公式調査の間、150ピースのスチールが将来の研究用に保存されました。数十万ピースのうちのたった150ピース!その上、これらの特定ピースを保存する決定をした人は明らかになっていません。明らかになっているのは、ボランティア研究者がフレッシュ・キルズ・ダンプで作業し、グラウンド・ゼロではなかったということで、彼らがアクセスできたスチールはすべてクリーンアップ・オペレーション運営者によって選び出されました。


高感度物質の瓦礫

責任者がコンピューターシミュレーション時代でどんな調査も無駄なスチール瓦礫を考慮する時、溶鉱炉以外のいかなる場所も「終わらない」と思う苦労をしたのは明らかでした。彼らはグラウンド・ゼロから運び出されるトラックの1台1台に、各1000ドルのGPSロケーター・デバイスを設置しました。securitysolutions.comのウェブサイトには、経路追跡システムの記事があります。

99%のドライバーは自分たちの仕事を非常に厳しく行わされました。しかし、道路はひどい高感度物質で構成されたので、大きな関心事でした。例えば、あるドライバーは、1時間半に昼休みを延長したのですが、そのことについて犯罪をおかしたわけでもないに関わらず、彼は解雇されました。


証拠を遮蔽する調査官

FEMAによると、35万トン以上のスチールがグラウンド・ゼロから持ち出され、リサイクルのために切断を行うスクラップ回収所にトラックで運び出されました。4つのスクラップ回収所がスチールを処理するために契約しました。
  • ヒューゴ・ヌー・シュニッツァー:フレッシュキルズ(FK)埋立地、ニュージャージー州スタテンアイランド
  • ヒューゴ・ヌー・シュニッツァー:クレアモント(CM)ターミナル、ニュージャージー州ジャージーシティ
  • メタルマネジメント:ニュージャージー州ニューアーク(NW)
  • ブランフォード:ニュージャージー州キースビー(KB)
FEMAのBPATは、WTCビルのパフォーマンスの研究をまとめましたが、グラウンド・ゼロへのアクセス権を与えられませんでした。彼らはスクラップ回収所からスチールのサンプルを採取することさえも認めらえなかったようです。

WTC現場からのスチールの収集と格納は、FEMAや米国土木学会(ASCE)がスポンサーとなったBPSチームによるものではありませんでした。


いくつかのスチールの運命は数年後明らかにされました

JFK空港の格納庫に格納されたツインタワーの
大規模なコア柱の土台の1つ
(Up from Zero)
世界貿易センターのスチールの撤去とリサイクルが被害者家族や他の正しい調査を求める人たちの異論を無視して行われてきたことを考えると、世界貿易センターのスチールのパーツのいくつかが保存されたということが後年に明らかになったことは驚くべきことです。ツインタワーからの最も重いスチール片の多くは、ジョン・F・ケネディ国際空港の80,000平方フィートの格納庫に格納されています。これらはタワーの大きなコアとなる柱の基盤部分やタワー周囲の壁の土台となる153本あるうちの13本のスチールといったものが含まれます。これらのピースはUp from Zeroというテレビ映画で見ることができます。

報告によると、「全瓦礫」の1/500を保存している格納庫は、一般の立ち入りが禁止となっています。グレイストーン協会の会長スコット・ヒューストンは、ペンシルバニア州コーツビルにある鉄鋼遺産博物館のためにスチールの3つを取得しようとしています。

ツインタワーの無傷の支柱の存在の発見は、スチールのサンプルをテストしたいと考える独立した研究者にとって良い知らせのように思われます。しかし、タワー内のこれらピースのあった場所は、それらを保存されることが許された理由を示唆しています。大きなコアの支柱部は、タワーの基盤部分、つまり1階よりも7階下に建てられ、周囲の支柱はロビー階、つまりちょうど1階でした。タワーのこれらの下部の部分だけが、およそ4階にいたるまでスチールが切り刻まれた爆破を逃れました。これはノース・タワー中心部の下部領域で18人が生き延び、各タワーの周囲の壁の破片が立ったままであった事実から明らかです。最後の構造部のスチールが2003年5月に現場から撤去されたと考えられていましたが、2007年1月にいくつか大きなスチール残骸個所が、クリーンアップ・オペレーションで作られた道路下に現場の発掘調査で回収されました。人間の遺体を発見するために委託された発掘調査では、既に約300人分の骨を見つけていました。2つのスチール残骸個所は、約18フィート長でおそらく重さが約60トンある支柱や周囲の壁から3か所接続するスチール支柱といったものとして記述されました。鉄骨はクリーンアップ・オペレーションで、おそらくは地面を安定化させるために、明らかに埋められました。また、「発見の知識を持った」人によれば、WTCサイトの反対側で発見されたのは、「片側の端が明らかに燃焼されていた」支柱でした。


WTCのリサイクルストールがUSの軍艦で使用されました

2006年のニュース記事は、世界貿易センターの24トンのスチールが、ミシシッピ州のほとりにある造船所でノースロップ・グラマン社によってU.S.S. ニューヨークという名前の軍艦を製造するために使用されていたことを報告しました。


911陰謀論 #41 につづく

参考URL
http://911research.wtc7.net/wtc/groundzero/cleanup.html

911陰謀論 #39 グラウンド・ゼロのアクセス制限

911陰謀論 #38 では、グラウンド・ゼロを取り巻くプレーヤーについてみてみました。

次はグラウンド・ゼロのアクセス制限についてまとめます。


研究者のグラウンド・ゼロ閉鎖

歴史上3つの最大規模かつ最もミステリアスな構造障害が起きた現場からスチールが取り除かれる間、FEMAのチームが障害の調査を行うために構成した建造物性能評価チーム(BPAT)は証拠現場へのアクセスを拒否されました。衆議院の科学委員会は、FEMAのいくつかの側面、適切な調査を抑制する制限されたオペレーション、をのちに識別しました。
  • BPATはスチールをコントロールできませんでした。つまり「リサイクルで重要な証拠を失う前に、研究者は調査のためにスチールを押収する権限」を持っていませんでした。
  • FEMAはBPATのメンバーに機密保持契約にサインするよう要求し、「独立した研究者たちの努力で崩壊を理解しようという動きを挫折させました」。
  • BPATは「該当する建物の文書」へのアクセスを与えられませんでした。
  • 「BPATチームは計画も十分な基金も持っておらず、WTCビルの崩壊の理由を決定するために収集した構造データを十分に解析することもできませんでした。
その計画を政府機関に対する訴訟で使わないという放棄条項にサインするまで、港湾局は建物の設計図のコピーを研究者に与えなかったと、ジーン・コーリーは委員会に不満を漏らしました。


ビル・マニングは「中途半端な茶番」と非難しました

消防技術マガジン編集者のビル・マニングは、犯罪現場から研究者を締め出すことに対し、消防コミュニティの中で懸念を強調しました。

マガジンは、FEMAによって祝福されアメリカ土木学会によって運営された「公式調査」が政治勢力によって既に支配されている中途半端な茶番だと信じる十分な理由を持っており、彼らの主目的は、それを目立たないようにさせ、情報開示させないようにコントロールすることです。「観光旅行」として行ったあるソースによって記述されているACSE調査委員会のメンバーが行った3日間の証拠サイトのウォークスルーから得られたわずかな利益を除けば、誰もいいかなる証拠も確認できませんでした。

マニングもスチール構造物の破壊をはっきりと非難し、「証拠の破壊と撤去はただちに停止しなければならない。」と宣言しました。マニングは過去の災害時のオペレーションと比較しました。

彼らはトライアングル・シャツウェスト工場火災のロックされたドアを投げ捨てましたか?彼らはハッピーランド・ソーシャル・クラブ火災で使われたガス缶を投げ捨てましたか?彼らはメリディアン・プラザ火災での圧力調整バルブを投げ入れましたか?もちろん違います。しかし、本質的には、そういったことが彼らが世界貿易センターでやっていることです。

補足
トライアングル・シャツウェスト工場火災:1911年の火事
ハッピーランド・ソーシャル・クラブ火災:1990年の火事
メリディアン・プラザ火災:1991年の火事

マニングは、火災調査NFPA921の国家標準のレビューに基づくと、スチールの破壊が違法であり、10階建て以上のビルで火災が起きた際に証拠を保存する要件に対する免除は与えられないことを示しました。

消防専門家は世界貿易センターの証拠の隠滅を批判しています。

独立した調査を求める声は上院議員チャールズ・E・シューマーや上院議員ヒラリー・クリントンのような政治家からさえも来ました。専門家は、FEMAによってえらばれたボランティアが財政支援、スタッフのサポート、召喚状を発行する力を持っていないことを訴えました。


撮影禁止

9月26日、当時の市長ルドルフ・ジュリアーニはグラウンド・ゼロの写真撮影を禁止しました。グラウンド・ゼロの写真のページの最後の写真を撮った匿名カメラマン(AP)はこの市民研究者の扱いについて記述しています。

この帰り道を歩いている終わりのところで、ニューヨーク警察官が写真を撮るための許可証を見せるよう尋ねてきました。APは持っていないと言いました。担当者はどうやってこのサイトに来たかを尋ねました。APは歩いて入ってきたと言いました。他の警察官たちと相談を始め、何人かはここは犯行現場で写真は許されていないと言いました。

ニューヨーク警察署長とも相談し、彼はAPを現場からエスコートし、デジタルカメラを没収するよう導きました。署長はAPにこのサイトで写真を撮る公式の許可を取得するよう助言をしました。

ニューヨーク警察官はAPを近くのニューヨーク州警察官に連れていき、デジタルカメラを調べ写真を確認するよう伝えました。州警察官に疑われ、APと話すことなく、写真はもう一人いた州警察官によってカメラのコンパクトフラッシュメモリーチップから削除されました。

そしてAPはまた別のニューヨーク警察官によってサイトの外周にエスコートされ、APの名前を記録し、サイトから立ち去るかさもなければ逮捕すると警告を発しました。


911陰謀論 #40 につづく

参考URL
http://911research.wtc7.net/wtc/groundzero/restrictions.html

911陰謀論 #38 グラウンド・ゼロのプレーヤーたち

911陰謀論 #37 では、グラウンド・ゼロのダストによる被爆で起きた集団訴訟についてまとめました。

次はグラウンド・ゼロを取り巻くプレーヤーについてみてみます。


誰がグラウンド・ゼロの「クリーンアップ・オペレーション」を指揮しましたか

災害の起きた日にその場にいた男がルドルフ・ジュリアーニでした。市長として、彼はロウアー・マンハッタンの攻撃の犯罪現場に起きたたくさんのことをコントロールする立場にいました。彼は契約先を決める権限を持っており、緊急時の契約のため一方的にすることができました。彼はまた、現場へのアクセスを許可する人を制限する警察権力を使う権限も持っていました。


政府機関

オペレーションで最も権限を振るった連邦政府機関は、当初から関与していた連邦緊急事態管理庁(FEMA)でした。アメリカ陸軍工兵隊(USACE)も参加しました。隊のチーフ・エキスパートのアレン・モースは、FEMAの技術顧問を務めていました。

FEMA全国都市捜索救助チームのメンバートム・ケニーがダン・ラザーに行ったインタビュー内容から、攻撃の前にFEMAの担当者が派遣されたという噂が絶えず上がっています。

私たちはこの災害でニューヨーク市を支援するために現在配備された最初のチームの一つですね。私たちは月曜日の夜遅くに到着し、火曜日の朝にアクションに入りました。

しかし、FEMAの職員は、ケニーが誤ってしゃべったと、FEMAが早くに展開したことを否定しました。ボストン・ヘラルド紙はケニーの妻と話し、ケニーの夫は10日ではなく11日にニューヨークシティに行ったと伝えました。マイケル・ルパートは、マサチューセッツ州ハイアニスの消防署のメンバーとのインタビューで、ケニーが他のハイアニス消防緊急チームのメンバーと火曜日に出発したと、ケニーが誤ってしゃべったということに同意しました。ケニーがラザーのインタビューを受けた時、グラウンド・ゼロで長時間のシフトで睡眠不足だったので、月曜日を火曜日と混同してしまったことは驚くべきことではない。

ケニーの展開タイミングの問題は、FEMAがTRIPODと呼ばれる9月12日にニューヨークシティでバイオテロ訓練を計画しており、すでに11日よりも前に機材をその場所に用意していたことによって影が薄くなっています。 9月11日委員会への彼の証言で、元ニューヨーク市長ルドルフ・ジュリアーニは次のように言いました。

... ピア92が指令センターとして選ばれた理由は、翌日9月12日にピア92で訓練が行われることが予定されており、FEMAから、連邦政府から、国家から、国家緊急事態管理局から、数百人の人たちがそこにいたからで、彼らはバイオ化学攻撃の訓練の準備ができていたからです。そのために、訓練が行われる予定の場所で行うことになりました。機材がすでにあったので、私たちはそこに指令センターを、3日以内に、設置することができ、第7世界貿易センターで失った指令センターよりも2.5から3倍大きいものでした。そして、そこは捜索と救助作業の残りが完了された場所でした。

ジュリアーニのインタビューのトランスクリプトは、委員会のウェブサイトから省略されました。


法人


グラウンド・ゼロの4つに割り当てられた
建設マネージャーのゾーンを示す
色分け
ニューヨークシティの設計・施工部門は、瓦礫撤去を担当する建設マネージャー(CM)と呼ばれる4つの請負業者と契約を行いました。アメリカ陸軍工兵司令部(USACE)のウェブサイトによると、各CMは瓦礫撤去のゾーンまたはセクションを割り当てられ、3人のDDCチームに管理、監視されました。4つのCMは次のようになっていました。
  • タリー建設、サクラメント地区
  • ボヴィス・レンド・リース・インターナショナル、モバイル地区
  • AMEC施工管理、ポートランド地区
  • ターナー建設、ボルチモア地区
60,000トン以上の世界貿易センターの瓦礫除去の契約で2つのニュージャージー州の企業が入札を行いました。メタルマネジメント・ノースイーストが40,000トンを購入し、ヒューゴ・ノイ・シュニッツァーが25,000トンを購入しました。ノイ・シュニッツァー・イーストは国内で最大のスクラップリサイクル業者の1つです。メタルマネジメントの社長アラン・ラトナーは、同社が2002年1月までに70,000トンのスチールのスクラップを購入していたと伝えました。

コントロールド・デモリション(CDI)社は、スチールを撤去しリサイクルするキープレーヤーのようでした。CDIは、4つのクリーンアップ請負業者のうちの1つであるタリー建設社に保持されました。2001年9月22日には、CDIは25ページの「事前」文書をニューヨークシティの設計・施工部門に提出し、その計画は承認されました。ニューヨークシティの設計・施工部門のコミッショナーとグラウンド・ゼロクリーンアップ作業の責任者はケネス・ホールデンでした。

ウィークス・マリン社はスチールの撤去を加速するため、9月の最終週にピア25とピア6に2つのスチール出荷場を作りました。

グレート・レークス・ドレッジ&ドック社は、瓦礫の除去を用意にするため、ピア6を沈めるための79万500ドルの契約を獲得しました。


911陰謀論 #39 につづく

参考URL
http://911research.wtc7.net/wtc/groundzero/players.html

911陰謀論 #37 グラウンド・ゼロ被爆の訴訟

911陰謀論 #36 では、グラウンド・ゼロの災害について整理し、崩壊時のダストで健康被害が起きていたことが分かりました。

次にグラウンド・ゼロのダストによる被爆で起きた集団訴訟についてまとめようと思います。


EPAとWTCオーナーを相手取った集団訴訟

攻撃の後3年が経つまでに、グラウンド・ゼロの毒物に被爆した人達に代わって、2つの集団訴訟が既に行われました。


集団訴訟で環境保護庁が被告となりました

環境保護庁(EPA)は9/11攻撃が起きて数週間の間に一連のプレスリリースを発行し、空気を呼吸しても安全だとニューヨークシティの住民たちを保証しました。

2004年3月10日に、バーガー&モンタギュー法律事務所は、「2001年9月11日の世界貿易センターの崩壊の結果として危険物質にさらされたマンハッタン南東部やブルックリンの住民、学校、オフィスワーカー達」の代表による、クリスティーン・トッド・ウィットマン(元EPA管理者)、マリアン・L・ホリンコ(元アシスタント管理者、現EPA管理者)、マイケル・レビット(2003年11月からのEPA管理者)、そしてアメリカ環境保護庁を相手取った訴訟を提訴しました。告訴では原告の名前を次の様に挙げました、ゲイル・ベンズマン、ダイアン・ラプソン、ジム・ギルロイ、アナマエ・ギルロイ、ジョアリソン・ポレット、ロバート・ギュラック、ジャニス・フライド、ジョン・カルダー、ジェナ・オーキン、ケリー・コランゲロ、ジョージ・ディノス、ブライアン・エドワーズ、それと「他の同じ状況の人たち」。訴訟は裁判所に有毒物質に被爆した結果の状態をモニターする医療プログラムの設立とその基金を求めました。

2006年2月3日に、米国地方裁判所判事デボラ・A・バットは、「2001年9月11日の後、ロウアー・マンハッタンの空気の安全性をおびやかす物質に関しての誤解を招く声明」をしたことで、身体的危害を与えないという原告の修正第5条の権利を侵害したという申し立ての主張を進めることができる、という判決を下しました。

2007年4月20日に、第二巡回裁判所の3人の裁判官で行われる審査員団は、当時のEPA管理者クリスティーン・トッド・ウィットマンと他の職員は世界貿易センターの崩壊後に空気は呼吸しても問題がないと伝えたことに対しての憲法責任を負うことはできない、という判決を下しました。3人の裁判官で行われる審査員団は、「攻撃のあとニューヨークを正常な状態に戻すための政府の関心は、政府が空気の質について誤った声明をしたと主張する訴訟から保護するべき」だと考えました。裁判所は、空気の質に関する事実を調査したり、EPAが意図的に民衆を欺いたかどうかを判断しようとしたりはしませんでした。


グラウンド・ゼロ労働者たちの代理人が起こした訴訟ではWTCオーナーが被告となりました

2つ目の訴訟は、1つ目とは別の被告に対して別の原告によって提出され、EPAに対する訴訟が言及したものと同様の被害を言及しました。2004年9月10日に、ウォービー・グロナー・エデルマン法律事務所とナポリ・ベルン法律事務所は、グラウンド・ゼロ清掃労働者やその他の人たちに代わり、世界貿易センターのオーナー、管理者、支配者、賃貸業者に対する集団訴訟を発表しました。訴訟の弁護士デビッド・E・ウォービーは、この訴訟は数十万人を含む可能性があると伝えました。訴訟は2004年9月10日に出願した当時で800人以上の原告を含んでいました。

世界貿易センター跡地の毒性における国の専門家ウィリアム・R・ソーヤーは次のように述べています。

この衣類から取り除かれた粒子状物質の認定分析によれば、EPAの推奨レベルをはるかに超える高レベルの数種類の発がん性物質が検出されました。おそらく結果として引き起こされた病気の多様さと深刻さは、彼ら労働者がさらされた死の毒の多様性と同じくらいに、独特で前例のないものです。

2006年10月17日に、連邦判事アルビン・ヘラーステインは、コン・エジソン社とシルバースタイン・プロパティ社に対する請求を棄却しましたが、請負業者やニューヨーク州とニュージャージー州の港湾局に対する要求を認めました。


911陰謀論 #38 につづく

参考URL
http://911research.wtc7.net/wtc/groundzero/lawsuits.html

911陰謀論 #36 グラウンド・ゼロの災害

911陰謀論 #35 では、民間航空機がシャットダウンしている間にビン・ラディンが飛行機を使ったこをまとめ、政府はビン・ラディンを支援していたことが分かりました。

次は世界貿易センターの跡地、グラウンド・ゼロの災害について整理します。


WTCの爆撃による環境と健康への影響


2つのタワーの爆発は有毒粉塵の厚い雲で
マンハッタンを覆いました
9時59分と10時29分に起きたツインタワーの破壊は1000フィート以上に立ち上る広大なダストの煙でマンハッタン南端部をふさぎ、どちらとも周囲の通りを数分間続く漆黒の暗闇に落ち込みました。雲は風によって進み、ブルックリンやスタテン島を超えて南に進み、そして地上に落ちて堆積しました。その雲を直で浴びた多くの人たち、特に救助隊員は、ガスや空中微粒子の未知の混合物にさらされました。9月11日のあと数日で、EPAとOSHAは空気のサンプルを取り、グラウンド・ゼロ内や付近を除いては空気中にアスベスト、鉛、揮発性有機化合物を過剰なレベルでは発見することはなかったと報告しました。これらの報告に反して、グラウンド・ゼロ近くの地表から採取した塵のサンプルは非常に高レベルのアスベストが示されました。アスベスト削減プログラムがあるにもかかわらず、顕著な量のアスベストがツインタワーに残っていました。

WTCタワーは1968年から1972年に建てられました。アスベストとセメントをスラリーを使って混ぜ合わせた混合物は、耐火材料としてスプレーされました。しかし、この方法は1971年にニューヨーク市議会により禁止されました。これによりスプレーすることは取りやめましたが、数百トンの材料が使われた後でした。すべてではないがそれらのいくつかは削減プログラムでのちに除去されました。アスベストは他の用途でも使用され、通常は砕けやすい(もろい)残留物を残さないが、911で起きたような特殊な条件ではダストに変わることもあります。ビルの材料とジェット燃料によって引き起こされた燃焼は想定外の化学物質を生み出すこともありえるかもしれません。


EPA: 隠ぺいと健康被害の悪化

攻撃のあと数週間経っても、マンハッタン南端部に広がったダストやグラウンド・ゼロから発し続ける煙は健康上のリスクはもたらさないと、環境保護庁(EPA)はニューヨーカーに保証を与えました。環境保護庁は攻撃の10日以内に5つのプレスリリースを発行し、そのような保証をサポートするデータを持っていないにも関わらず、空気は息をしても安全だと人々に保証しました。2003年8月に、EPAはブッシュ陣営によって口止めされていたことを明らかにしました。EPA監察官ニッキ・ティンズリーは2003年8月21日に報告書を発行し、EPAの公式声明はホワイトハウスの指示のもとで国家安全保障会議に影響されたと伝えました。報告書によれば、EPAは「安心する声明を追加し、警告する声明を削除する」よう影響を受けたとのことです。

シエラクラブの2004年の報告書は、グラウンド・ゼロの公衆衛生災害の隠ぺいを以前の報告よりもさらに詳細に伝えました。報告書の概要はEPA、EFMA、OSHAによる総合的な違法行為を示しています。
  • グラウンド・ゼロの健康リスクの隠ぺいは、不十分な情報の政府から起こされたものではありませんでした。広大な制御不能な火災や2つの巨大ビルの崩壊を引き起こした世界貿易センターの攻撃は、国家のいかなる州においても違法となる状態、つまり人間の健康に対する既知のリスク、に導きました。この報告書から、焼却や崩壊による汚染が長期に体に残留することに対する知識を、連邦政府が無視していたことが分かります。汚染が健康上のリスクを引き起こすことを周知する前に、EPAはテストデータを待たなければならなかったという考えはばかげています。EPAは、いかなるテストデータが入ってくる前に、汚染に関する自身の知識に基づいて、健康に対する警告を出す必要がありました。
  • EPAは調査をせず、毒性の危険について適切に開示しませんでした。奇妙なことに、EPAのウェブサイトは次のように報告しました。多環式芳香族炭化水素(PAH)-混合物の燃焼によって一般的に発生する発がん性化合物-は、「いかなる空気サンプル内にも」発見できなかった。しかし、4つの独立したテストは危険性の高いレベルでそれらを検出し、さらにEPA自身の研究者は、科学雑誌が「非常に深刻な種類の懸念」を持つレベルで彼らはそれらの物質を発見したことを、科学誌に報告しました。
  • 連邦政府は安全性の保証を変更することはしませんでした。人々が病気になることが明らかになった後でさえも、そしてブロードウェイ290番地のEPAと同じビルにいる姉妹機関の政府従業員による調査によって民衆が健康被害に苦しんでいたことが明らかになった後でさえも、です。その調査内容は連邦政府は当時一般に公表されませんでした。2002年の雑誌にひっそりと掲載されました。
  • 多くのグラウンド・ゼロの労働者は、最初の数週間は特に、適切な保護をしませんでした。このレポートは、連邦政府が安全性を保証することで、装着しづらくそして疲れやすくする人工呼吸マスクの必要性についてのメッセージを労働者が受け取れなかったことを説明しています。
  • OSHAはグラウンド・ゼロの労働者に安全基準を適用することを拒否しました。国家の緊急事態における権限を持っていないとまちがった主張をしました。緊急事態が去った後も長くこの拒否は続けられ、OSHAスタッフが安全性の助言を努力し続けたにも関わらず深刻な健康と安全性の被害が発生したことが明らかになった後でさえも、その拒否は続けられました。
  • EPAとFEMAは、ニューヨークシティのヘルス部門と協力して、共同部門に濡れた布切れで汚染されたダストを取り除くことができると説明しました。事実、彼らは地域住民に安全マスクを実際に身に着けさせないようにしました。
2006年半ば、健康被害の証拠が浮上した時、EPAの管理者が情報を秘密に分類するよう指示した2002年の行政命令がNYデイリーニュースによって明らかにされました。


有毒物質排出の5か月以上の持続

2001年9月から2002年9月におけるグラウンド・
ゼロとブロードウェイ209Eの2地点の7種のPAH
空気中濃度
多環芳香族炭化水素(PAH)は2003年にも変更被害を残していました。EPAの国立露出研究所(NERL)は2001年9月下旬から2002年5月を通じて、グラウンド・ゼロを囲むフェンスとブロードウェイ290E番地(グラウンド・ゼロから0.4マイルの地点)の2か所の地点での空気サンプルを収集しました。グラウンド・ゼロ周辺部で記録されたPAHのレベルははるかに高く、ブロードウェイE地点で記録された値よりもはるかに長い間高い値を維持していました。グラウンド・ゼロが汚染源であることは疑いのないことでした。



グラウンド・ゼロ労働者の健康モニタープログラム

攻撃に続いてマウント・サイナイ・メディカルセンターはグラウンドゼロ労働者の健康をモニターするために世界貿易センター医療スクリーニングプログラムを設立しました。しかし、連邦政府職員たちはこのプログラムの対象外とされ、彼らの健康は連邦政府によって仕切られるプログラムによってモニターされると伝えられました。ニューヨーク・デイリー・ニュースは次のように報告しました。保健社会福祉省はスクリーニングプログラムのために370万ドルを受け取ったが、そのプログラムは2003年にはじまったものの2003年度中に終了しました、スクリーニングされたのはたったの600人以下の人たちだけでした。


健康モニタリングを要求する訴訟

2004年3月10日に、EPAや現在過去いくつかの管理部門に対して集団訴訟が提起されました。建物内部の毒物にさらされた住民、学生、労働者のために行われたこの訴訟では、被告側が「世界貿易センターの粉塵暴露から生じる状態の検査と予防スクリーニングを含めた医療モニタリングプログラムを設立する」ことを要求しました。

この訴訟はグラウンド・ゼロ被爆の犠牲者のための救済を求める集団訴訟のうちの一つです。


健康被害が実際に存在したことの証拠

2005年11月に行われたAmerican College of Chest Physiciansという会議で、アルベルト・アインシュタイン医学校のデビッド・ペザント博士は12,079人の消防士の肺の機能に関する報告書の調査結果を発表しました。そのうちの多数はグラウンド・ゼロで働いていていました。

胸部医師のアメリカの大学の2005年11月の会議では、アルベルト・アインシュタイン医学校のデビッドPezantは、グラウンド・ゼロで働いていた人の多く12079消防士の肺機能に関する報告書の調査結果を、発表しました。その研究では建物の破壊で起きたダストで満たされた空気にさらされた消防士が通常よりも12倍高くまで肺機能の低下が進んでいたことを発見しました。ニューヨーク・ニュース・デイによると、その研究はグラウンド・ゼロの労働を経験した肺機能の平均的な低下は12歳分の高齢化に相当することを示しました。2006年4月の時点で、マウント・サイナイ・メディカルセンターによって行われた世界貿易センタースクリーニングプログラムは、約8000人がグラウンド・ゼロの空気にさらされたことで生じる障害のために治療が必要とされていることを、記録していました。

グラウンド・ゼロの環境にさらされたことに起因する死亡報告は、2006年初めに明らかになり始めました。1月17日のAPのレポートによれば、世界貿易センター跡地で犠牲者を探していた3人の男性が7か月の間に亡くなりました。4月にニューヨーク・ポスト紙は6人の9/11対応者が脳腫瘍を患うようになり、そのうちの1人は死亡したとレポートしました。同紙は6月に283人の世界貿易センター救助者と労働者が癌と診断されていたことをレポートしました。2007年5月に、ニューヨークシティの医療審査チーフは42歳のフェリシアダン・ジョーンズの死亡証明書を修正し、世界貿易センターのダストにさらされたことが彼女の死因に関連があることを示しました。

労働者たちの代表者で行われた集団訴訟によれば、40人以上のグラウンド・ゼロの労働者が有害物質にさらされたことで4月までに亡くなりました。6月に、訴訟の弁護士は死亡者数が57人となったことを主張しました。

グラウンド・ゼロ被爆からの死亡や深刻な重病者数は、被爆についての正しい情報が得られないことで、まだ大幅に過小評価されており、対応者たちの健康モニタリングの支援も十分に行われてません。連邦政府は2002年に予算を通過した214億ドルの連邦援助パッケージのうち、この対応者に対しては1億2500万ドルしか割り当てませんでした。推定4万人のグラウンド・ゼロ労働者のうち、たった1万6000人だけが2006年半ばに行われたマウント・サイナイ・世界貿易センター労働者とボランティアの医療スクリーニングプログラムでスクリーニングされました。


911陰謀論 #37 につづく

参考URL
http://911research.wtc7.net/wtc/groundzero/environment.html

911陰謀論 #35 ビン・ラディンのチャーター機

911陰謀論 #34 では、911の民間航空機の対応を見て、事故によってセキュリティが強化されたのが分かりました。

911テロの後は民間航空機がシャットダウンしましたが、その間にビン・ラディンが飛行機を使ったということについてまとめようと思います。


ビン・ラディンのチャーター機
ビン・ラディンの家族や他の重要なサウジアラビア国民のメンバーたちは「テキサス州の極秘集会所に向けて、そのあとワシントン-攻撃の3日後に空港が再開されたときにプライベート・チャーター機で国外に立ち去った場所-に向けて、FBIの保護のもとで飛行」しました。国内の飛行禁止が解除される前にテキサス州とワシントン州へのフライトが発生しました。9月13日に、リアジェットはサウジアラビアのプリンス-サウジ国防相プリンスのスルタンの息子-とサウジアラビア軍司令官を乗せてフロリダ州のタンパからケンタッキー州のレキシントンに向けて飛びました。そしてその2人はプライベート747機で国外へ飛び立ちました。

9/11委員会はすべてのフライトが9月13日に再開が認められるの予測した特別な扱いをサウジ国民に与えたという責任をそらそうとしました。事実プライベート機は14日まで離陸禁止でした。

2005年3月に、サウジの飛行機についての詳細が司法省に対する司法ウォッチの情報自由法訴訟の結果として浮上しました。重く編集されたFBIの文書は一見すると委員会の報告書の慎重に書かれた否定に直接的には矛盾していません。しかし、その文書は以前には未公開だった飛行機の存在を明らかにし、FBIはサウジ人の出発のいくつかを護衛していることを示しています。
※司法ウォッチ:米政府と司法制度を監視する非営利団体
  • 2つのサウジ人の家族は、ロサンゼルスとオーランドで、地方空港への護衛をFBIに要請し受け取っていました。
  • 何人かの著名なサウジ人は2001年9月14日に国内から、ロードアイランド州プロビデンスからのチャーター便で、出発しました。
  • 王室のメンバーを含む著名なサウジ人たちは9月19日と24日の間に、ラスベガスからのチャーター便で、出発しました。
ある報告書によると、ラスベガスグループ内のサウジアラビアの王子は「FBIの援助に感謝します」と伝えました。FBIは出発するサウジ人の何人かにインタビューをしましたが、インタビューを受けなかった人もいました。司法ウォッチ、クリストファー・J・ファレルのための調査ディレクターは、インタビューは「徹底的な報告会なら必要とされたであろう時間を取らない、礼儀正しい会話のよう」でした。


911陰謀論 #36 につづく

参考URL
http://911research.wtc7.net/post911/aviation/binladin.html

911陰謀論 #34 911の民間航空機の対応

911陰謀論 #33 では、911テロ前に多数の準備作業が行われているのを見てみました。

次は911の民間航空機の対応をまとめます。当日の対応と空港の閉鎖、その後の再開についてです。


9月11日の動き
民間航空でのシャットダウンは、2001年9月11日の朝に発行されました。

9:17FAAはニューヨークエリア内の5つすべての空港をシャットダウンします。
9:26FAAは国内の「グランド・ストップ」を発行し、すべての民間航空機は離陸できなくなります。
9:45FAAはアメリカにいるすべての民間航空機を着陸します。
10:30FAAはすべての国内に向かう大西洋横断飛行をカナダへ転送するよう報告します。
10:39FAAはすべてのアメリカの空港のすべてのオペレーションをクローズします。
0:04ロサンゼルス国際空港は立ち退かされます。
0:06サンフランシスコ空港は立ち退かされます。

FAAによって全国の飛行機の飛行禁止命令が発行された9:45の時点では、4000機以上の飛行機が飛んでいました。これらの飛行機のほとんどは本来の目的とはかけ離れた空港に到着しなければなりませんでした。これは、民間航空の拡張シャットダウンと組み合わせて、数十万の旅行者を帰宅できずに立ち往生させました。


9月11日以降の動き
アメリカの航空システムは、2001年9月13日に全国の飛行禁止が解除された時は単なる商用機やいくつかの農業便のみで、正常な状態を取り戻すのに数週間かかりました。

2001/9/1311時にFAAは空港を開き、商用便はケースバイケースで再開することを認めます。
2001/9/14FAAは、一般の航空便がまだ飛行禁止の状態かどうかをめぐる混乱の結果として、その日の朝に離陸したパイロットを起訴することについては関心がないことを発表します。
2001/9/14長官ミネタは次のように発表します。
効果的な今日、そして一般的な航空-個人で所有されて操縦される飛行機からなる航空の重要セグメント-は、 計器飛行方式のもとで操縦する飛行機の再開が許可されます。
2001/9/16FAAが発表します。
有視界方式(VFE)のもとでの飛行機は許可されていないことに注意してください。9月16日にFAAは、有視界方式のもとで操縦する飛行機の順次再開の全体アセスメントの一環として、すべての農業便の一時的な停止を命令しました。農業航空便は9月13日にサービスを再開するようクリアされていました。
2001/9/19FAAが発表します。
VFE飛行は一部制限を持つものの再開します。クラスB空域内、上、下でのいかなる飛行およびVFR飛行訓練の飛行が含まれません。
2001/9/21FAAは、ほとんどの飛行訓練活動の再開を可能にします。

プライベート便は9月14日の前に禁止されていたという事実にもかかわらず、 プライベートジェットは13日にサウジ国民乗せてを米国内を飛びました。


事故後のセキュリティ対策

一般の飛行機利用者はそれほど幸運ではありませんでした。攻撃の3日後に空港が開かれた時、新しいセキュリティ対策が施行されました。飛行機を奪取するのに使われそうなもの、ナイフ、編み針、爪切り、アイラッシュカーラーさえも、探し出すために長い列で待機させられました。受託手荷物を乗客とマッチングさせる機能のような、効果的なテロリスト対策は実装されませんでした。

攻撃は外国からの飛行機旅行者を悩ませる口実としても利用されました。特に2003年にアメリカのイラク侵攻を支援しなかった国に対して行われました。2003年12月24日に、パリからロサンゼルスに向かう3つのエール・フランス便がキャンセルされました。「テロ攻撃が差し迫っている兆候を傍受した」と引用するパリの米国大使館の要請でした。同じころにUS-VISTと呼ばれるプログラムがアナウンスされました。国際便を扱うすべてのアメリカの115空港で1月5日に開始するようスケジュールされたそのプログラムによって、アメリカに入国するすべての海外旅行者は指紋と顔写真をするようになりました。

国内の飛行機旅行者の嫌がらせは、「プライベート・スクリーニング」と呼ばれ、衣類を脱いで調査されました。


911陰謀論 #35 につづく

参考URL
http://911research.wtc7.net/post911/aviation/civil.html
http://911research.wtc7.net/post911/aviation/index.html

911陰謀論 #33 911テロの準備

911陰謀論 #32 では、911テロの異常ともいえる偶然の一致や矛盾点を見て、実際のテロであればいかにありえない現象が多かったかを見てみました。

次は911テロが計画されたものであれば、どのような攻撃準備がされていたかを見てみます。



パイロットの武装解除


2001年9月11日に先立つ40年間、連邦航空局(FAA)の規則では民間航空機のパイロットはコックピットに銃器を持ち込むことが許されていました。この規則はハイジャックを防ぐための対策として1961年のキューバのミサイル機器をきっかけにして採択されました。

わずか2か月前にFAAはこの規則を取り消しました。WorldNetDaily.com の記者ジョン・ドハティによれば、規則の変更に対する説明を要求する多数の声にFAAは応答しませんでした。


FBIの襲撃


攻撃の6日前、FBIと80人で構成されるタスクフォースはテキサス州リチャードソンにあるインフォコム社に押しかけ閉鎖させました。Webサーバの停止によって、主にアラブとイスラムのコミュニティを提供する500のWebサイトが削除されました。FBIは数日間ビルを占拠し、書類をコピーしました。

FBIは、攻撃のビデオが一般放送されないことを確実にするため、ペンタゴン周辺を速やかに除去しました。報道によれば、職員は攻撃地点から数分以内の近くにあるシェラトン・ナショナル・ホテルやネクスコム/シッゴーガソリンスタンドからビデオを押収しました。FBIによって押収されなかったヘリコプター映像は、攻撃の数分以内に、ペンタゴンの芝生の手入れをする身なりの整った人たちの組織的なグループがいたことを示しています。


WTCのセキュリティ解除


ニューヨーク・ニュースディの記事によれば、攻撃の5日前に爆弾探知犬を除去しました。

2001年9月12日

世界貿易センターは警戒水準が引き下げられたわずか数日後に崩壊したと、昨日セキュリティ担当者は言いました。

第1ビルの警備員、ダリア・コード37才は、警護特務部隊が多数の脅迫電話のために過去2週間12時間シフトで働いていたと言いました。しかし、木曜日に爆弾探知犬が突然除去されました。

コードは言いました。「今日は特殊セキュリティのない最初の日でした。私たちは低層で防衛していました。地上もカバーしていました。飛行機で行われるとは限らなかった。誰もそれを取りやめることはできない。」

警備員ヘルミナ・ジョーンズは、当局は22階にあるコンピュータ司令センターに防弾窓や防火扉を取り付けることで空からの攻撃に対してビルを保護する措置を講じたと話しました。

2001年9月11日に世界貿易センターのセキュリティはストラテセック社が行っていました。この会社はジョージ・W・ブッシュの弟のマービンが以前社長をしており、クウェート・アメリカ投資会社によってバックアップされていました。


ツインタワーの避難訓練


攻撃を受けた時に人の占有が少なかったことと組み合わせ、施設や避難訓練の改善があったことは、衝突地点以上で取り残された人を除く大多数の民間人が逃げることを手助けしました。

避難訓練は攻撃の後でさらに頻繁になったことの事例証拠があります。

消防士基金の金融アナリスト、ベン・ファウンテン42才は、チェンバーズ・ストリート駅から出て、サウスタワー47階の彼のオフィスに向かいました。どのようにして彼らは事故を引き起こすことができるのでしょうか?

彼らはこのビルがターゲットであることを知っていました。過去数週間にわたって、私たちは何度も避難させられました。通常ではないことです。それらは何かが起こることを暗示していたと私は思います。


戦争の実践演習


いくつかの異なる戦争の実践演習が攻撃の日に行われていました。これらの演習について限られた公開情報によれば、次のようなイベントをシミュレートしていました。
  • ハイジャック
  • 飛行機をミサイルとして使った建物への攻撃
  • 毒性または感染性の物質を使用した攻撃
これらのイベントはすべて実際の攻撃要素となっています。4つのハイジャックが疑われ、3つの飛行機がビルに衝突し、そして世界貿易センター崩壊をきっかけにしたグランド・ゼロでの毒性災難がありました。

北部警戒オペレーション
9月9日から11日に実施され、この演習は通常のパトロールに使われる北東セクターのジェット機をカナダ北部やアラスカに再配置しました。ロシアの演習が9月10日から14日にスケジュールされたことに反応しました。このロシアの演習では長距離爆撃機が北部領域に派遣されました。

戦士警戒・戦士防衛トレーニング演習
これらはハイジャックのライブオンザフライのシミュレーションとなっていて、攻撃者とディフェンダーの戦争演習ペアとなっていました。この演習ペアと北部警戒の両方の演習では、おそらく飛行機をシミュレートするため、スクリーンに「突入」する映像が使われました。これらの演習は明らかに実際の攻撃と共通点があり、次のスクリプトで示されるように、軍事将校を混乱するのに十分でした。

連邦航空局(FAA)ボストンセンターは北東航空防衛セクター(NEADS)に次のように伝えました。「我々は誰かがF16戦闘機あるいは何かをそこへスクランブルすることを必要としています。」

「現実世界ですかそれとも演習ですか?」と、軍連絡将校は尋ねましたか?

「いいえ、これは演習ではありません。」FAAの関係者は返答しました。「テストではありません。」

戦士警戒と名付けられた演習の唯一知られたソースはリチャード・クラークの「すべての敵に対して」という本になります。クラークによって参照される演習は実際にはアマルガム戦士という北アメリカ航空宇宙防衛司令部(NORAD)のフィールド訓練演習で、オンザフライの空中インターセプトも行うもので、東海岸の春と東海岸の秋に年2回行われていました。

グローバル・ガーディアン演習
攻撃の行われた朝に、グローバル・ガーディアンという大規模な軍事トレーニング演習が「本格的に」行われました。グローバル・ガーディアンはストラトコム(アメリカ戦略軍)、アメリカ宇宙軍、それと北アメリカ航空宇宙防衛司令部(NORAD)を巻き込む毎年恒例の演習です。

2001年のグローバル・ガーディアン演習の日がテロ攻撃に対応するように変更されたという証拠があります。NBCニュースの軍事アナリスト、ウィリアム・アーキンは「コードネーム」という彼の本の中で、演習日は2001年10月22日から31日となっていました。また、軍事新聞スペース・オブザーバーは、この年の演習は10月にスケジュールされたと2001年3月23日の記事で報告されていました。

ストラトコムは、オファット空軍基地から、すべてのアメリカ戦略の軍事力を含むこの演習を指揮しました。

国家偵察局の飛行機墜落演習
国家偵察局(NRO)は「我々の国家に空における目と耳を提供します」。偵察衛星システムを操作して、空中の物体をリアルタイムにモニタリングしています。2001年9月11日に、バージニア州シャンティリーにあるNRO本部は「ビルへの飛行機墜落」演習として非難していました。シナリオには構内の4つの塔の一つに小さな商用ジェット機が衝突したことが含まれていました。

タイムリーなアラートⅡテロ演習
攻撃が行われた日の朝、ニュージャージー州フォートモンマス陸軍基地の当局者は、9月11日と12日に渡って行われる訓練をする準備をしていました。訓練は化学攻撃に対応するためのもので、その演習には法務執行機関やニュージャージー州警察やフォートモンマス消防署などの緊急対応機関も含まれていました。演習の開始直前にニューヨークシティでの攻撃の報告が浮上しました。「演習を凌駕する現実世界のイベント」とは軍のスポークスマンのティモシー・L・ライダーの言葉です。

トライポッドⅡバイオ戦争演習
米連邦緊急事態管理局(FEMA)は9月10日にニューヨークシティに配置され、ピア29でコマンドポストを設定しました。9月12日に予定されていたバイオ戦争演習の準備と考えられています。


911陰謀論 #34 につづく

参考URL
http://911research.wtc7.net/sept11/preparation.html

911陰謀論 #32 911テロの異常ともいえる偶然の一致や矛盾点

911陰謀論 #31 では、攻撃前の予兆と言われているものを見て、多数の人がテロを事前に知っていたことが分かりました。

次は911テロの異常ともいえる偶然の一致や矛盾点を見てみます。



攻撃前の予兆


攻撃前に起きた多数のイベントは、多くの人々が攻撃の予備知識を持っていたことを示しています。
  • 攻撃前に大量のプット・オプションの購入があり、攻撃後の株価の下落を予想しました。
    • アメリカン航空とユナイテッド航空の株式のプット/コール比は通常のそれぞれ5倍と25倍に増加しました。
  • 政府関係者や幹部は攻撃対象を避けました。
    • 国防総省当局者は9月10日にフライト計画をキャンセルしました。
    • サンフランシスコ市長ウィリー・ブラウンは9月10日に飛行機に乗らないよう警告を受けました。
    • スコットランドヤード(ロンドン警視庁)はサルマン・ラシュディが飛行機に乗るのを妨害しました。
    • インスタント・メッセージング・サービスのオディゴの2人の従業員はWTCの最初の攻撃が起こる2時間前に電子メールで警告を受けました。
    • 9月11日に投資家ウォーレン・バフェットは、オファット空軍基地でWTCで働いていた経営幹部達との朝食会を主催しました。ここはブッシュ大統領がその日避難した場所になっています。
    • アシュクロフト司法長官は2001年の夏に民間航空機で飛行することをやめました。


ハイジャックのシナリオ


攻撃のシナリオはハイジャック犯と疑われる人の一部にとって不合理であり、その実行は彼らの行動に照らし合わして理解できないです。93便の奪取を除いてはアラブ人が911の攻撃に関与したという証拠は乏しいか全くありません。
  • 遠隔の空港から飛来しコースを大きく外れて進んでいくという攻撃計画。攻撃計画者はほとんど間違いなく破滅(失敗)に向かう危険にさらされていました。防空システムは正常に正常に動作していました。
    • WTCに追突した11便と175便の出発空港は、ニューヨークシティ近くの他の空港ではなく、ボストンローガン国際空港でした。これはそれぞれのフライトを乗っ取ってから約40分の間迎撃の危険にさらされて飛行することになります。
    • ペンタゴンに追突した77便はワシントンDCに戻るために旋回する前は中西部に向けて飛行していました。ペンタゴンを攻撃すると疑われる前1時間23分の間空中にいました。防空システムがほとんど機能していなかったとしても、迎撃の機会を十分に提供したでしょう。
    • シャンクスビルに墜落した93便はワシントンDCに向かって旋回する前は中西部に向けて飛行していました。もし首都にたどり着いていたとしたら、1時間半以上空中にいたことになります。この計画で迎撃を避けることのできる可能性は標準対応手順においてはゼロと言い切れるでしょう。
  • 攻撃に先立って行われたハイジャック犯の挙動は、そのような攻撃を遂行するのに必要とされたスキルや規律に対して矛盾があります。
    • モハメド・アタ容疑者はかろうじて11便を乗っ取りました。おそらく彼は何年もかけて計画したイベントのキーとなるフライトです。
    • ハイジャックの容疑者達は、イスラム原理主義者として描かれているにも関わらず、トップレスバーでパーティーをし、アルコールを飲みました。彼らのそのようなふるまいは、控えめに言ったとしても、驚くべきことです。
  • ハイジャック容疑者たちがその消え去る運命のフライトに乗っていたという確かな証拠がなく、何人かは関与していなかったという実質的な証拠があります。
    • 4つのフライトが飛び立った3つの空港で19人のハイジャック犯が乗り込みましたが、77便のハイジャック犯容疑者を写すビデオを除いては公開されていません。
    • ハイジャック犯容疑者のうち少なくとも6人は攻撃後も生存しています。
    • 4つの飛行機の乗組員たちは誰もハイジャックが進行していることについて航空交通管制への無線連絡を行いませんでした。
    • 4つの飛行機の乗組員たちは誰も4桁のハイジャックコードを送信しませんでした。
    • ハイジャック犯の遺体が衝突現場で特定されたという証拠は公開されていません。
    • フライト・データ・レコーダー(FDRs)やコックピット・ボイス・レコーダー(CVRs)といったブラックボッスの中身は4年以上も公開されませんでした。
    • 11便の添乗員ベティ・オングからの4分半の電話のみが公開されました。武器で差したことが述べられていましたが、アラブ人のハイジャック犯が乗っていたことを示す証拠は全く残されていませんでした。
  • ハイジャック犯容疑者がナイフで4機ものジェット機を奪い取り、その後小さなターゲットにジェット機を操縦して成功させるのは奇跡です。
    • 何人かのパイロットはベトナム退役軍人であったにも関わらず、4つの飛行機の乗組員たちは誰もハイジャックを止めることができませんでした。
    • ハイジャック容疑者たちは誰もパイロットとしての経験はほとんどありませんでした。にもかかわらず、驚異的な精度で3つの建物に衝突しました。


軍事的対応の欠如


誤った航路を飛行する国内線を通常10分から20分の間でインターセプトするにも関わらず、9月11日に乗っ取られた飛行機は1時間以上も干渉を受けることなく空中をさまよっていました。
  • 北アメリカ航空宇宙防衛司令部(NORAD)のタイムラインによれば、連邦航空局(FAA)が逸脱した飛行機を報告したのは不可解な遅延のあとでした。
    • FAAが11便の通信断絶と飛行計画からの逸脱を報告するのに18分を要しました。
    • FAAが77便の飛行計画からの逸脱を報告するのに39分を要しました。
  • 迎撃機は長い遅延のあと遠くの基地からスクランブルされました。
    • 11便や175便がニューヨークに向かっているという事実にも関わらず、近くのラ・ガーディアやバージニア州のラングレーからは迎撃機がスクランブルされませんでした。
    • NORADが8時38分にハイジャックされたという公式な知らせを受けたにもかかわらず、9時37分に衝突された後まで、ペンタゴン近くのアンドリューからは迎撃機がスクランブルされませんでした。
  • いったん発進したあと、飛行機のインターセプトの失敗を約束するかのように、迎撃機は最高速とは言えない速度で飛びました。
    • 2機のF15が11便を追いかけてオーティス空軍基地からスクランブルしましたが、最高速度1875mphにも関わらず平均速度447mphで飛びました。
    • 2機のF16が首都を守るためにラングレーからスクランブルしましたが、最高速度1500mphにも関わらず平均速度410.5mphで飛びました。
  • 近くの巡回中の軍用機は飛行機をインターセプトするために再配置されませんでした。マンハッタンに遅れてたどり着いた軍用機は首都を守るために送られませんでした。
    • ロングアイランドの海岸上を飛んでいた2機のF15は、2機目のタワーへの衝突が起きる後まで、マンハッタンに再配置されませんでした。
    • マンハッタンを防衛するためにオーティス空軍基地からスクランブルした2機のF15は、いったんニューヨークを超えたら9.6分で首都にたどり着けるはずでした。まだペンタゴンが衝突を受けるまで34分ありました。


世界貿易センターの破壊


9月11日に、3つの高層ビルは完全に破壊されました。説明によれば火災による構造的な崩壊でした。火災や爆弾で鉄筋のビルが崩壊したことは今までに一度としてありません。
  • 第7ビルは9月11日遅くに崩壊しました。飛行機の衝突は受けていませんでした。
    • 第7ビルは推定では火災が理由で完全に崩壊しました。今までに鉄筋のビルが火災で完全に崩壊したことはありませんし、火災での部分崩壊でさえありません。第7ビルはツインタワーから350フィート離れて立つ、過剰設計された47階建ての鉄筋高層ビルです。公式の証拠書類では9月11日に起きた火災は小規模なものでした。
    • 第7ビルは完全な垂直落下で崩壊しました。そのそばわずか60フィート離れたベライゾンや郵便局のビルにはほんのわずかなダメージしか与えませんでした。
    • 第7ビルのがれきはほとんど粉々になって崩壊しました。鉄筋のビルが粉々になる理由なく崩れ落ちました。
    • 第7ビルには1500万ドルの緊急司令センターを持っていました。しかし、それを使用する代わりに、市長ジュリアーニは9月11日の攻撃が始まるとすぐその場しのぎで作った司令センターにチームを避難させました。
    • 緊急指令センターは爆弾にも耐えうる避難所として建設されたにもかかわらず、建物の残りの部分と一緒に破壊されました。
    • 第7ビルの残骸は速やかに取り除かれ、鉄筋はリサイクルされ、現場には証拠をまったく残さずまた証拠物も極めて限定的にしか残されませんでした。がれきには誰も埋まっておらず小さな破片が隣接する道路を邪魔していないと誰もが考えたにもかかわらず、除去作業は非常に速やかに行われました。
  • ツインタワーは爆発して粉塵と粉々の鉄くずになりました。制御解体以外では鉄筋構造物とは考えられない矛盾のあるふるまいでした。
    • サウスタワーはノースタワーの17分後にノースタワーよりも損傷の少ない方法で衝突を受けました。深刻な火災もありませんでしたが、ノースタワーの29分前に崩壊しました。
    • サウスタワーの飛行機の衝突は中心を外れていたので、ノースタワーとは異なり、根幹構造に大きなダメージは与えられていませんでした。しかし、サウスタワーの方が早くに崩壊しました。
    • ノースタワーの火災の方がサウスタワーに比べてはるかに深刻でした。しかし、サウスタワーの方が先に崩壊しました。
    • サウスタワーの火災による煙は、崩壊の時点まで、だんだんと暗くなっていきました。
    • 光っている溶融材料が崩壊の数分前にサウスタワーから流れ落ちていました。
    • 消防士はサウスタワーの衝突場所にたどり着き、火は制御できると説明しました。
    • どちらのタワーも崩壊の最初の数秒で衝突場所の上下の領域で崩れ出しました。
    • どちらのタワーもまっすぐ下に崩れ落ちました。これは最も抵抗を受ける道筋です。このふるまいは垂直構造の自発的な崩壊では決して見られない現象です。
    • どちらのタワーの崩壊も制御解体以外では決して見られない特徴を見せました。雷のような発砲現象、その境界線を取り巻く目に見える爆発、規則正しい間隔を持って噴出するダスト、そして大量のダストが突然にして起こりました。
    • どちらのタワーも外側に向けて爆発し、こなごなに粉砕されました。崩壊のパターンは通常の制御解体よりもはるかに破壊的ですが、この結果は爆発物のような追加のエネルギーなく行われたことになっています。
    • ツインタワーの破壊はそれほどまでに完璧で矛盾のないものでした。がれきは発掘作業の様々な段階で数百もの写真に収められましたが、識別不能となっていました。
    • 通常知られる崩壊または火災現場とは完全に異なり、強烈な熱ががれきに残り続けました。
    • ツインタワーから残された残骸からはテルミット反応、ナノサーマイトの残留物が含まれていることが示されました。


ペンタゴンの攻撃


ペンタゴンへの攻撃は、テロリストの第一目標は守られるだろうという期待、テロリストは単純操作で正面に突っ込むだろうという期待をもろくも覆し、極度に正確な空中操作を行って背面に衝突しました。
  • ペンタゴン-世界最高水準の軍事的機能の中心-は、防御アクションによる防衛なく、警告を増幅させた後衝突されました。
    • 9時37分のストライクは、初めてハイジャックの兆候を見せてから1時間以上、攻撃が進行中と確信されたサウスタワーのストライクの後34分経ってから、行われました。
    • ペンタゴンはアンドリュー空軍基地から11マイル以内にあり、9月11日時点で2機の戦闘準備の整った戦闘機がいたことが明らかとなっています。
    • 攻撃機は首都に近づくときレーダーでモニタリングされていました。
  • 77便のパイロットをしたとされているハーニー・ハンジュールはタスクが実行できるレベルに至っていませんでした。
    • ペンタゴンへのらせん軌道を描き突入するアプローチは、熟練した航空管制官であれば軍用ジェット機だと考えるような操作技術でした。最後は木の高さで飛行し、庭園の物体をはぎとり、建物の1階に飛行機は衝突しました。熟練したパイロットは人間の操縦でこのようなことが実行できたかどうか疑問視しています。
    • ハーニー・ハンジュールは航空学校のインストラクターから「不十分」とみなされ、シングルエンジンの飛行機のレンタルを拒否されました。
  • 当局は組織的に証拠を没収または破壊しました。
    • 近隣の企業のビデオ録画は攻撃の直後にFBIに回収され、それ以来彼らが現れることはありませんでした。
    • 周囲を監視するすべてのセキュリティカメラのうち、たった2つのビデオ映像のみがペンタゴンから公開されました。どちらも明らかに攻撃機は示されていません。
    • 調査によれば、10月まで事故現場へのアクセスは許されませんでした。
  • クラッシュは設計されたものですか?
    • 目撃者たちはコルダイトの匂いを報告しました。
    • 目撃者にはジェット機はペンタゴンの正面にたどり着く前に爆発したと報告したものもいました。
    • 757機の翼の端や尾が衝突した正面部では少しばかりしかえぐられていませんでした。これらの部分は正面にたどり着く前に爆発によって無くなっていたということですか?


死亡者数


この悲惨な状況を通じての攻撃の死亡者数は、攻撃の選択やタイミングといったさまざまな観点か考えれば、想定されるよりもはるかに低い数となっています。
  • 4便すべてのフライトとも異常に空いていました。
    • 11便、175便、77便、93便はそれぞれ51%、31%、20%、16%の占有率となっていました。
  • タワーは、1回目はほとんどの人々が到着する前に攻撃され、また、2回目はほとんどの人が逃げるのに十分な時間を持って衝突されました。
    • 11便は8時46分にノースタワーに衝突した時、世界貿易センタービルは通常の日中の占有率の半分以下でした。
    • 最初に攻撃されたタワーは最上階からちょうど15階下に衝突され、閉じ込められたのは大半が95階から110階にいた人たちでした。
    • 次に攻撃されたタワーは最上階からたったの30階下に衝突され、飛行機はビルの芯をはずし、衝突した階よりも上にいた人も避難することができました。1機目が衝突を受けてから17分の時間があったので、2つ目のタワーの人たちはエレベーターを使うことで多数の人が避難しました。
  • ペンタゴンには2万人が建物の中にいましたが、死亡したのは125人でした。
    • ペンタゴンの中の攻撃を受けた箇所は、西ブロックで、改装中でした。したがって低い占有率でした。
    • ペンタゴン労働者のうち、いわゆる高官と言われる人は、死亡しませんでした。


偶然の重なったサービス不能状態


攻撃に先立って行われた多数の決定事項や当日のイベントが「無能論」をもっともらしいものにしています。
  • いくつかの戦闘の実践演習が2001年9月11日に行われていました。
    • 北部警戒オペレーションが行われ、北東セクターの防空リソースは北のカナダやアラスカに再配置されました。
    • ハイジャックをシミュレーションし、ライブのレーダー「インジェクト」を使った、戦士警戒・戦士防衛オペレーションが、軍事および民間の飛行機モニタリングを混乱させた可能性があります。
    • 国家偵察局は、衛星や空中の物体を監視しているのだが、攻撃が展開された時には誰もいませんでした。というのも、飛行機がタワーにクラッシュする軍事訓練を行っていたからです。
    • トライポッドⅡのバイオ攻撃の演習が2001年9月12日に予定されており、結果として攻撃前に米連邦緊急事態管理局(FEMA)がマンハッタンに配置されていました。
  • プロシージャーの変更のために、パイロットや軍事司令官がハイジャックに反応する能力を制限されていました。
    • 軍の命令により、司令官はハイジャックに反応する自治権をはく奪されました。
    • 連邦航空局(FAA)は攻撃の2か月前に民間航空パイロットが銃火器を所有することを禁止しました。
  • 政府高官たちは攻撃が終わるまで対応不可能な状態になっていました。
    • ジョージ・W・ブッシュは攻撃のニュースがテレビで世界中に流れたあと約1時間半までブッカー小学校という公共の場所に留まって、ペットのヤギの本を2年生達と読み、それから記者会見を開きました。
    • 統合参謀本部の会長代理は、ほとんどペンタゴンが衝突されるという時まで、上院議員マックス・クレランドとの会議に留まっていました。
    • 准将モンタギュー・ウィンフィールドは、2001年9月11日8時30分に、国立軍事指揮センター(NMCC)のオペレーション副所長として、海軍大尉チャールズ・J・レイディグ・ジュニアを監督に就任させ、攻撃が終わったあと彼を安心させました。


政府の対応


アメリカの民間人を守るために軍の歴史の中で最悪の失敗、そして歴史の中でおそらく最悪のエンジニアリングの失敗があったにもかかわらず、責任の所在をはっきりさせずまた正直な調査も行われませんでした。
  • 防空における前例のない大きな失敗について誰も非難されることがありませんでした。
    • 9月11日に統合参謀本部副議長だったリチャード・マイヤーズは、防空の失敗に関する質問に意味のある答えを提供することができなかったのにもかかわらず、9月13日に議長を確約されました。
    • 9月11日に北米航空宇宙防衛司令部(NORAD)の司令官だったリチャード・エバーハートは、新しく創設されたアメリカ北方軍(NORTHCOM)の司令官に昇進しました。
    • NORADのプレスリリースは、2001年9月11日にインターセプターがスクランブル発進しなかったと高官によって早々に声明があったことを抗議しました。
    • NORADのあいまいなタイムラインは説明になっておらずはるかにたくさんの疑問を生じさせましたが、当局は十分な責任所在を要求することはしませんでした。
    • 9/11委員会はNORADの以前のタイムラインや軍当局が行った委員会への証言とは矛盾する新しいタイムラインの作成を進めました。
  • WTC1、2、7の完全な崩壊は、公式なストーリーによれば、歴史的な3つの大きなエンジニアリングの失敗でした。どのように彼らは調査したのでしょうか?
    • 米連邦緊急事態管理局(FEMA)は調査機関ではないにもかかわらず、崩壊を調査する唯一の権限を与えられました。
    • FEMAが集結した調査チームは、無償のボランティアで構成されていました。
    • 調査者はグランド・ゼロへのアクセスを許可されませんでした。
    • 調査者は建物の設計図を提供されませんでした。
    • FEMAのレポートは、崩壊の原因を「現時点においては不明のまま」と述べました。(報告書が公開される時までに、鉄筋は完全に処分されていました)第7ビルが100年のエンジニアリング経験と矛盾する方法で崩壊したという事実は、歴史上の最大かつ最悪の構造的な欠陥があったとされています。
    • 9/11委員会のレポートは第7ビルの崩壊について言及しませんでした。
    • 9/11委員会のレポートはツインタワーのコア構造の存在を否定しました。
    • ツインタワーの崩壊に関する米国標準技術局(NIST)のレポートは、それぞれのタワーの「あり得る崩壊順序」を提供することを目的としていますが、崩壊開始前にそのタイムラインを切り捨てています。
    • NISTは「鉄が硫化反応を起こして蒸発した」という以前の調査結果を言及することも避けました。その時ニューヨーク・タイムズは「最も深い謎が調査によって解明された」と記述していました。
    • 第7ビル崩壊に関するNISTの最終レポートは、深刻な構造的な損傷とディーゼル燃料の火災という以前の公式の要求を無視し、熱膨張が原因でシングルビームが接続部をゆるんで破壊しそれによって引き起こされた不安定な建物のチェーン反応によってまっすぐに崩れ落ちて崩壊したとしました。まったくサポートする証拠のない完全に作り話の故障メカニズムでした。
    • NISTは爆発の残留物をテストすることができなかったため不誠実な議論を提示し、その考えがいかに誤っているかを指摘する公式のコメントや回答に直接反応した後でされもそれを繰り返しました。


911陰謀論 #33 につづく

参考URL
http://911research.wtc7.net/sept11/analysis/anomalies.html

911陰謀論 #31 911攻撃の予兆

911陰謀論 #30 では、テロが起きた時のブッシュ大統領、リチャード・マイヤーズ統合参謀本部副議長、ラムズフェルド国防長官、チェイニー副大統領の行動を見て、彼らがテロの首謀者だということが分かりました。

次は攻撃前の予兆と言われているものについてまとめようと思います。

  • アメリカン航空、ユナイテッド航空、そして攻撃によって被害を被った他の会社の株の極度に大規模なプット・オプションの購入
    インサイダー取引

  • 2001年9月11日朝の世界貿易センターにあるコンピュータ上の金融取引の急増
    隠されたトランザクション

  • 多数の重要人物が9月11日に飛行機に乗ることやニューヨークにいることを避けていたこと、攻撃の警告を受けたことを認めた人物もいる
    攻撃の警告

  • 世界貿易センターへの攻撃を祝うかのような5人のイスラエル人の行動、彼らはハドソン川の向こう側から撮影していた
    イスラエルのスパイ

  • ドナルド・ラムズフェルドはペンタゴンで2兆ドル以上の損失があったことを9月11日の前日夜に発表した
    数兆ドルの行方不明

  • サウスタワー崩壊の10分前にルドルフ・ジュリアーニが受け取った警告
    ジュリアーニの警告

  • 攻撃の6週間前に行われた世界貿易センターの民営化
    世界貿易センターの所有者、管理、保険

インサイダー取引


攻撃前の数日の金融取引は、特定の個人が巨額の利益を得るために、攻撃の予知を利用したことを示唆しています。インサイダー取引の証拠には以下のようなものが含まれています。
  • 攻撃に利用された2つの航空会社、ユナイテッド航空とアメリカン航空の株式のプット・オプション購入の急上昇
  • 攻撃によって数十億ドルを支払うことを期待される保険会社、ミュンヘン再保険とAXAグループの株式のプット・オプション購入の急上昇
  • 攻撃によって損害を被る金融サービス会社、メリルリンチ、モルガン・スタンレー、バンク・オブ・アメリカの株式のプット・オプション購入の急上昇
  • 攻撃によって利益を得ることを期待される兵器メーカー、レイセオンの株式のコール・オプション購入の急上昇
  • 5年米国財務省ノート購入の急上昇
プット・オプションの購入は株価の下落が予想される時に行われ、コール・オプションの購入は株価の上昇が予想される時に行われます。


ユナイテッド航空とアメリカン航空
ユナイテッド航空とアメリカン航空の株価の下落状況
(ソース:911research.wtc7.net)

プット・オプションとコール・オプションの比率はプット/コール比と呼ばれています。
正常と考えられる値は約0.8で、通常1よりも小さいです。

ユナイテッド航空とアメリカン航空のプット/コール比
(ソース:www.optionsclearing.com)
攻撃の前の週のアメリカン航空(AMR)のプット/コール比は4でした。 9月6日のユナイテッド航空(UAL)のプット/コール比は通常の25倍となっていました。
もちろんユナイテッド航空に伴う有意なニュースや株価の変動はありませんでした。

ブルームバーグ・ニュースは航空会社に対するモルガン・スタンレーのプット・オプションが平均の285倍という驚異的な急増を報告しました。

攻撃が起きた後、ユナイテッド航空の株価は一株当たり$ 30.82から$ 17.50に42%下落し、アメリカン航空の株価は一株当たり$ 29.70から$ 18.00に39%減少となりました。


再保険会社
いくつかの再保険会社は攻撃によって莫大な損失を被ると予測されました。世界の二大再保険会社のドイツのミュンヘン再保険やスイスのスイス再保険、それとフランスのAXAグループです。2001年9月に、サンフランシスコ・クロニクル社はミュンヘン再保険は15億ドル、AXAグループは5.5億ドルの損失と推定し、telegraph.co.uk はミュンヘン再保険は12億ポンド、スイス再保険は8.3億ポンドの損失と推定しました。

ミュンヘン再保険の株式の取引は9月6日と7日には通常のほぼ2倍、スイス再保険の株式の取引は9月7日に通常レベルの倍以上となっていました。


金融サービス会社
メリルリンチ、モルガン・スタンレー・モルガン・スタンレー・ディーン・ウィッター・アンド・カンパニー、メリルリンチ・アンド・カンパニーは攻撃があった時マンハッタンに本社を置いていました。モルガン・スタンレーはノースタワーの22階を占有し、メリルリンチはツインタワー近くに本社を構えていました。モルガン・スタンレーは9月6日以前には毎日平均して27件のプット・オプションが買われていましたが、攻撃前の3取引日においては2,157件のプット・オプションが購入されていました。メリルリンチは9月5日以前には毎日平均して252件のプット・オプションが買われていましたが、攻撃前の4取引日においては12,215件のプット・オプションが購入されていました。9月17日に市場が再開した時、モルガン・スタンレーの株価は13%下落し、メリルリンチの株価は11.5%下落しました

バンク・オブ・アメリカは攻撃前の木曜日と金曜日に5倍のプット・オプションの増加を伝えました



レイセオン
パトリオットとトマホークミサイルのメーカーレイセオンの株式は、攻撃の直後に舞い上がりました。レイセオンの株式のコール・オプションの購入は、攻撃の前日に6倍に増加しました。

レイセオン社の株式は、攻撃後の米国取引の最初の週の間で$34.04にほぼ37パーセント急増しました。

レイセオンは米軍に売る装備品のコスト増加で数百万ドルの罰金に科せられました。


米国財務省ノート
5年間の米国債は、攻撃前に異常に大量に購入され、その購入者は攻撃の後に急激な増加で報われました。


SECの調査
攻撃の後、SECは世界中の証券会社に株式のリストを配布しました。SECによってフラグが付けられた銘柄は以下の企業があります。
アメリカン航空、ユナイテッド航空、コンチネンタル航空、ノースウエスト航空、サウスウエスト航空、USエアウェイズ、マーチン、ボーイング、ロッキード・マーティン社、AIG、アメリカンエキスプレス社、アメリカン・インターナショナル・グループ、AMRコーポレーション、AXA SA、バンク・オブ・アメリカ、バンク・オブ・ニューヨーク、バンク・ワン・コープ、チーニャグループ、CNAファイナンシャル、カーニバル社、チャブグループ、ジョン・ハンコック・ファイナンシャル・サービス、ヘラクレス社、L-3コミュニケーションズ・ホールディングス株式会社、LTV社、マーシュ&マクレナンコス社、メットライフ、プログレッシブ社、ゼネラルモーターズ、レイセオン、WRグレース、ロイヤルカリビアンクルーズ株式会社、ローンスター・テクノロジーズ、アメリカン・エキスプレス、シティグループ、ロイヤル&サンアライアンス、リーマン・ブラザーズ・ホールディングス、Vornadoリアリティトラスト、モルガン・スタンレー・ディーン・ウィッター・アンド・カンパニー、XLキャピタル(株)、ベアー・スターンズ。


隠されたトランザクション


2001年9月11日に飛行機が衝突する数分前にワールド・トレード・センターのコンピュータシステムはクレジットカード取引の異常な量を処理しました。コンピュータシステムはその後のタワーの崩壊で破壊されました。上昇量の詳細は不明ですが、報告書では、トランザクションの上昇は1億ドル以上に上ると推測されています。

2001年12月、新聞報道ではコンバー・システム・ドイチュラントが破壊されたコンピュータシステムから取り出されたいくつかのハードドライブからデータ回復を行っていると報道しました。従来のデータ復旧作業とは異なり、ドイツの会社は、仮想ディスクを作成するために駆動面を読み取るためにレーザ走査を使用しました。これらの仮想ディスクはデータを回復するために読み取られました。2001年12月20日の時点で、コンバーは81のドライブのうち39の処理を終了し、1月に20以上のドライブが完了するだろうと予想しました。これらのレポートは、どれだけのドライブが崩壊時に失われたり壊れたりしたかを示すものではありません。企業はこの作業のためにドライブあたり2万ドルから3万ドルをコンバーに支払いました。


攻撃の警告


政府関係者やビジネスリーダー
アメリカ国防総省当局者のグループは、攻撃対象を避けるために警告されたという証拠があります。ニューズウィークは次のように報告しました。

3週間前にテロ攻撃が差し迫っているかもしれないという警告がありました。9月10日に、ニュースウィークは、国防総省トップのグループが突然セキュリティ保護のために翌朝の旅行計画をキャンセルしたことを把握しました。

通常は世界貿易センターで行われていたであろう多数のビジネスリーダーは、9月11日のウォーレン・バフェットが主催する会議を、ネブラスカ州オマハにあるオファット空軍基地で代わりに行いました。そのグループにはフィデュシャリー・トラスト社のCEOアン・タトロックが含まれており、この会社はサウスタワーの90階以上の5つのフロアを占めていました。(ここはジョージ・W・ブッシュがその日に飛び立った空軍基地と同じです。地下司令センターを持っています。)

サンフランシスコ市長ウィリーブラウンは、攻撃のわずか数時間前、月曜日の夜遅く、彼の空港のセキュリティと名乗るものから警告を受けたことを認めました。

スコットランドヤードの継続的な保護下にあるサルマン・ラシュディは、2001年9月11日に飛行機を利用しないようにしました。

2001年9月11日に、ブッシュ大統領のいとこのジム・ピアースは、彼の会社のニューヨーク事業所があるサウスタワー105階の会議に出席するようスケジュールされていました。しかし、会議は通りを超えたミレニアムホテルに移動されました。話によるとグループが大きすぎたとのことです。


特権を持つ企業
攻撃に先立って警告を受け取った他のグループは、インスタント・メッセージング・サービスを行っているオディゴの従業員でした。2人の従業員は最初の世界貿易センターの攻撃の2時間前に攻撃を予測する電子メールを受け取りました。

記者クリストファー・ボリーンによると、ジム・アメリカン・イルラエル配送社は攻撃のちょうど前日に世界貿易センターを空けるためにリース契約を破りました。その情報ソースはジムのリース契約は年末まで延長されており、その契約解除費用は5万ドルだったと主張しています。

世界貿易センターの99年間のリースを取得した合併企業を率いる会社は土壇場でキャンセルすることによっておそらく免れました。ニューヨーク・タイムズによると、シルバースタインプロパティは「テロ攻撃が起きた際に何をすべきかを議論する」ために2001年9月11日にタワーの88階で会議を予定していました。しかし、月曜の夜に「1人の参加者が出席できなくなった」ことを理由に月曜の夜に会議をキャンセルしました。


イスラエルのスパイ


攻撃の日に、ジャージーシティの居住者は、ハドソン川を越えて破壊を撮影しながら祝っているようにも見えた男たちの疑わしい行動を報告しました。主要メディアは彼らはアラブ人で16時半ごろに逮捕されたとはじめは報道しました。実際には彼らはイスラエル人でした。米連邦捜査局(FBI)は71日後に彼らを釈放しました。FBIはまた2001年9月11日前後にイスラエルの他のグループも複数拘留し、「組織的な情報操作」の一部であり、「政府施設の侵害」を企てていると結論づけました。


数兆ドルの行方不明


2001年9月10日に、ラムズフェルド国防長官は、国防総省の資金の2兆ドル以上が分からなくなったことを公表する記者会見を開催しました。ラムズフェルドは「推計によると、2.3兆ドルの取引が追跡できない」と述べました。監察官の報告によると、米国防総省は総支出の25%が分からなくなったと指摘しています。

このような公表は、通常、巨大なスキャンダルを巻き起こしている可能性があります。しかし、午前中にニューヨークとワシントンへの攻撃が開始されることで、この話は埋葬されることを保証するだろう。

財源から既に2兆ドルが失われ、炭疽菌によるテロ攻撃を受けた従順な議会は「テロとの戦争(War on Terror)」で戦うためにさらに数十億ドルの歳出を加えるだろう。

攻撃が行われた時の国防総省の監査官はドブ・ザクヘイムで、2001年5月に任命されました。ペンタゴンのマネーマネージャーになる前、彼は遠隔操作の飛行機システムを含む電子戦技術を専門とする防衛請負業者のシステム・プラニング社のマネージャーでした。ザクヘイムはニュー・アメリカン・センチュリー・プロジェクトのメンバーで、「ニュー・パール・ハーバー」と呼ばれるアメリカ防衛再構築という名の政策方針書の作成に参加していました。

不足している額の推定値は乱暴に変わります。2003年のレポートでは不足額は1兆ドル以上と書かれました。


ジュリアーニの警告


サウスタワーの崩壊が差し迫った時の警告は、どうしてそのイベントが予期できたのか、本質的に疑わしいです。
  • 今までに制御解体以外の理由で崩壊した超高層ビルは世界中に例がない
  • 崩壊はほとんどすべての人を驚かせました
  • 消防士や救急作業員は警告を受信しませんでした
2001年9月11日時点でニューヨーク市長だったルドルフ・ジュリアーニは、サウスタワーが爆発崩壊するちょうど数分前にツインタワーの中にいて、一時的な指令センターを持つバークレー・ストリート75番街に行ったと述べました。

質問: 市長、ケリックさんは言いました。あなたが失った数人の高位の役員と立っていた時はあなたは約10分過去のことだった、そしてあなたはバークレー・ストリートに行った。この10分のギャップについてあなたはどう思われますか?たったの10分で恐ろしい状況になったことについてどうですか?
ジュニアーニ: 私はそれについて考える機会がありませんでした。
質問: そして、ビル崩壊の10分前に彼らといました、避難の可能性は?
ジュリアーニ: 私たちが失った人たちには、ファーザー・ジャッジ、チーフ・ガンシー、ビルフェファンのような人たちに会いました。およそ10分前に彼らに会いました。バークレー75番街に向かって行く前に。

ABCニュースのインタビューで、ジュリアーニは彼は「世界貿易センターは崩壊しそうだと言われた」と述べました。そして実際に9時59分にサウスタワーは崩壊しました。警告は前もって十分にはされなかったことをほのめかしています。


世界貿易センターの所有者、管理、保険


世界貿易センター複合体は、公共の建造物として港湾局によって構築され管理されたあと、2001年半ばに初めて民間の所有者のコントロール下になっていました。複合体はシルバースタインプロパティとウェストフィールド・アメリカのパートナーシップにリースされました。新しい管理者は、複合体に対する保険ポリシーを獲得しました。非常に価値のある証明をする語句を含んでいました。テロリストによる攻撃があった際、パートナーシップは財産の保証を得ることができ、99年のリースの義務からも解放されるという内容です。

所有者の変更
著者ドン・ポールは、彼が2002年に書いた本のために、これについてそして関連した問題について調査しました。これには財務面の詳しい流れや攻撃に先立ってのオーナーシップの変更を含んでいました。

2001年4月26日に、ニューヨークとニュージャージーの港湾局のための委員会はシルバースタインプロパティとモールを所有するウェストフィールドアメリカに次の資産に対する99年のリース契約を獲得しました。ツインタワー、世界貿易センター第4、5の2つの9階建てのオフィスビル、それと40万平方フィートの小売りスペースです。

パートナーの落札価格は80億ドル以上の価値と推定される所有に対して32億ドルでした。JPモルガン・チェース、ロックフェラー家に利益を与える名門投資銀行は、港湾局、バンカーによって長く影響を受ける者たち、85才になるデビッド・ロックフェラーに助言をしました。

落札者ラリー・シルバースタイン70歳のパートナーや広報担当者は、すでにニューヨークシティの不動産の800万平方フィート以上を所有していると伝えました。WTC7 や近くのビルはこれら所有者に与えられていました。ラリー・シルバースタインはまたランウェイ69、ラオス製ヘロインの販売を通じて手に入れたロンダリングマネーによって9年前に手に入れたクイーンズにあるナイトクラブ、も所有していました。

2003年12月に、港湾局は、シルバースタインが率いるコンソーシアムが世界貿易センターのリースを購入するために投資した資本の$ 1.25億ドルのすべてを返すことに合意しました。港湾局は、トランザクションを検討するウォールストリートジャーナルの要求を拒否しました。この取引に関しての2003年11月の報道は、シルバースタインが開発権を保持することができるようになると指摘しました。

リース契約は攻撃のわずか6週間前の7月24日まで決まらなかった。

保険支払い
ドン・ポールは第7ビルの損失を取り巻くお金の流れについてもまとめました。

2002年2月にシルバースタインプロパティは WTC7 の再建のためにインダストリアル・リスク保険から8.61億ドルを獲得しました。シルバースタインプロパティの WTC7 への投資推定額は3.86億ドルでした。したがって、この建物の崩壊は約5億ドルの利益をもたらしたことになります。

6つの世界貿易センターの破壊に関与する保険金のフローははるかに大きかったです。WTC7の過半数の所有者のシルバースタインプロパティは、世界貿易センター複合体の持分も過半数持っていました。シルバースタインはこの複雑な状況で十分なカバレッジを得るため、ウィリスグループホールディングスを雇いました。ウィリスは、25のキャリアから保険金を取得するため「熱狂的な」交渉を行いました。WTCの管理が7月24日に変更したときの契約は一時的なものでした。

攻撃の後、シルバースタインプロパティは2つの保険ポリシーを獲得したと主張し、保険会社に対して訴訟を開始しました。シルバースタインのスポークスマンによれば「2つのハイジャックされた飛行機が9月11日に110階建てのツインタワーに衝突したのは保険の目的にとっては別々の発生であり、ポリシーの36億ドルの2回分を得る権利がある」というものでした。これはブルームバーグ・ニュースによって攻撃の後1か月未満に報告されました。

世界貿易センターに関する契約保有者と保険会社との間の法廷闘争は、WTCが一度だけ破壊された際に、どのようにWTCの9/11攻撃が2つの攻撃と見なすことができるかについてではありませんでした。むしろ受益者側が1回の出現なのか2回の出現なのかと考えているかどうかを中心に展開しているようでした。米地裁判事ジョン・S・マーティンを前にした訴訟は、保険受益者とその弁護士との間の問題についての会話に関して、保険会社の発見の権利を超えて多数の戦いを巻き込みました。

2004年12月に、陪審員は保険保有者の二重請求の有利な判決を下しました。


911陰謀論 #32 につづく

参考URL
http://911research.wtc7.net/sept11/foreknowledge.html

911陰謀論 #30 テロが起きた時の4人の幹部

911陰謀論 #29 では、2001年9月11日のブッシュ大統領の行動の中での疑問点を見てみました。

次はテロが起きた時点で4人の幹部が何をしていたのかを見てみます。

4人とは、ブッシュ大統領、リチャード・マイヤーズ統合参謀本部副議長、ラムズフェルド国防長官、チェイニー副大統領です。


ジョージ・W・ブッシュ
ブッシュ大統領については 911陰謀論 #28 でまとめました。
テロが起きた時、ブッシュはフロリダ州サラソタにあるエマ・T・ブッカー小学校で授業を参観していました。


リチャード・マイヤーズ

マイヤーズは9/11の統合参謀本部の議長を代行し、そのわずか2日後には議長を確約されました。議長代理として、マイヤーズは最高ランクの軍当局者で、大統領の主要な軍事顧問でした。

マイヤーズは9月11日にはキャピトルヒルにいました。そして最初のタワーへの衝突が起きた後、彼の今後の役割を議論するために上院議員クレランドとの会談に入りました。10月のインタビューで、マイヤーズは会議の前にテレビを見て、誰かが飛行機がワールドトレードセンターに衝突したと言ったことを伝えました。

彼らはそれが小さな飛行機かそういったものの何かだと考えました。だから私たちは歩き出し、上院議員クレランドとオフィスコールをしました。

ワールドトレードセンターは、1993年以来主要なテロの標的として知られていましたが、ジェット機に衝突され、150フィートの大きな穴をあけて火災と煙が立ち込める建物を生放送で報道され、2機目のハイジャック機が報告されました。しかし、マイヤーズはそれを見て立ち止まりませんでした。マイヤーズは続けました。

オフィスコールの間に2つ目のタワーの衝突がありました。誰も私たちに知らせませんでした。しかし、私たちが出てきたとき、それは明らかでした。そしてちょうどその時、誰かがペンタゴンも衝突があったと言いました。

ペンタゴンにはツインタワーに二機目が衝突した後少なくとも34分、11便がハイジャックされたことをFAAが知った後ほとんど1時間半で衝突しました。しかし、その知らせを伝えるために上院議員とのマイヤーズの会議を誰も中断しませんでしたか?

9月13日に、マイヤーズは総合参謀本部議長就任を確認する上院軍事委員会の前に現れました。委員長の上院議員カール・レビンはマイヤーズにFAA、FBI、あるいは他の機関がツインタワーにジェット機が衝突した後、ペンタゴンに衝突する前に、国防総省に連絡していたかどうかを尋ねました。マイヤーズは彼が答えを知らなかったと回答しました。

2005年には、マイヤーズは大統領自由勲章を授与されました。


ドナルド・ラムズフェルド

ラムズフェルド国防長官は、アメリカの軍事司令構造でナンバー2でした。彼は9月11日の朝、ペンタゴンの東側で働いていました。ラムズフェルドは12月5日のトークショーでラリー・キングにペンタゴンに衝突する15分前までワールドトレードセンターの攻撃について知らなかったと、ペンタゴンに飛行機が向かっていることを知らされてさえもいなかったと話しました。

ペンタゴンは米軍の本部であり、シャイアン・マウンテンにある北米航空宇宙防衛司令部(NORAD)のコントロールセンターに最先端の通信リンクを持っています。私たちは4機のジェット機がハイジャックされてそのうちの2機がツインタワーに飛び込むことを彼に誰も伝えなかったということを信じるように言われています。


ディック・チェニー

チェイニー副大統領は攻撃時にホワイトハウスにいました。彼は事務秘書から攻撃のことを知らされたと述べました。

興味深いことに、チェイニーは、NBC放送のティム・ラサートとのインタビューで、大統領が戦闘機をスクランブル発進する日時を決めたとほのめかしました。標準作業手順と比較するとこれは非常に異例なことで、なぜ大統領が戦闘機の発信を遅らせたのか疑問があがっています。
これがNBC放送でチェイニー副大統領が発言したコメントのテキスト文です。

ティム・ラサート: あなたが考える大統領があの日に行った最も重要な決定は何でしょうか?
チェイニー副大統領: そうですね。過酷な決定は民間航空機をインターセプトするかどうかという問題だったと考えます。私たちはそうする決定をしました。

ここでチェイニーは「インターセプト」が「撃墜」という意味のようにリスナーを巧みに誘導しようとします。実際の「インターセプション」の手順はコースを外れた飛行機に戦闘機が近接し、コックピットにいる人と視覚的なコンタクトを取ることとなっています。

攻撃が展開されている時、ニュース報道はチェイニー副大統領が秘密で安全な場所に連れていかれたと述べました。のちに、ホワイトハウスの地下にある大統領緊急オペレーティングセンターであることを明らかにしました。チェイニーは国家安全保障問題担当大統領補佐官コンドリーザ・ライスと一緒にいて、攻撃への応答を指揮していました。あるいは彼が攻撃を演出しましたか?商務長官ノーマン・ミネタの証言が示唆しています。

ハミルトン氏: 私たちはあなたに感謝します。私は大統領緊急オペレーティングセンターでの瞬間をフォーカスしたかったです。あなたはその日大事な役割のためにそこにいました。あなたは副大統領と一緒にいて、テロリストによって乗っ取られた民間航空機を撃ち落とすことを命令したと思います。この命令が行われた時あなたはそこにいたのですか?

ミネタ氏: いいえ、私はいませんでした。私は飛行機がペンタゴンに突入してくる時にそれを知らされました。若い男が入ってきて、副大統領に伝えました。「飛行機は50マイル先です。飛行機は30マイル先です。」そして「飛行機が10マイル先です。」と伝えた時、若い男は「命令はまだそのままですか?」と言いました。そして副大統領は振り返り、首をかしげ、そして「もちろんだ、命令はまだそのままだ。お前は逆に何か聞いたのか?」と言いました。

ハミルトンは「命令」は民間航空機を撃墜することであったことを示しています。しかし、ミネタの話では、「命令」がそのような航空機を撃墜することかどうか以上の意味を持っています。下級将校がチェイニーに「命令はまだそのままですか」と繰り返し質問したことは、命令が「まだ破壊しないのか」と読み取れます。民間航空機を武器として使いツインタワーに2機の追突があって、ペンタゴンに近づく飛行機を破壊する命令が唯一の与えるべき命令であろうことが、下級将校は疑がわないだろう。その上、ペンタゴンに近づく飛行機を撃ち落とすようチェイニーが命令していれば、ペンタゴンの抗ミサイル能力は飛行機を撃ち落とすのに十分であり、きっと撃ち落とすことができていました。

唯一のサポート可能な結論は、チェイニーの命令が、常識や軍事防衛とは逆に、ペンタゴンを守ることではなかったということを、下級将校が繰り返し質問をしていたと説明したことからうかがえます。


911陰謀論 #31 につづく

911陰謀論 #29 ブッシュ大統領の行動の疑問点

911陰謀論 #28 では、2001年9月11日のブッシュ大統領の1日を見てみました。

そのブッシュ大統領の行動の中で疑問として挙げられている点をまとめます。

エマ・T・ブッカー小学校の授業
2機目の飛行機が衝突した時、ブッシュ大統領は授業に参加していました。
1機目の衝突は小学校に入る前に知らされており、2機目の衝突で明らかにテロであることが判明しました。
大統領は格好のターゲットであり、また、エマ・T・ブッカー小学校にいることをは事前に公表されていました。
なぜ、授業をすぐに退出せず、8分以上もその場にい続けたのでしょうか?


空港へ
ブッシュ大統領は国内のフライトを全て着陸するようFAAに指示したと伝えられています。
しかし、運輸長官ノーマン・ミネタが決定をしたと言われているのですが、ミネタはその命令を15分後まで知らなかったことが明らかにされました。おそらくFAAの職員はフィクションを維持するために記者を説得したと考えられます。
この点より、実際には彼は自身のセキュリティや国のセキュリティに関して何一つ決定をしたとこを示唆する証拠がありません。


エアフォースワン
軍事戦闘機の護衛なく発進しました。これは説明がつきません。
フロリダには警告用に約5分で飛行機が発進できる24時間対応の2つの基地がありました。ホームステッド航空基地とチンダルエアステーションです。9時3分には全国の基地で戦闘機の準備が行われました。ブッカー小学校にいる間に手配することはできましたが、なぜ行われませんでしたか?


あまりに遅い撃墜命令
ある飛行司令官は「ペンタゴンが衝突を受けた後、私たちは他にも(飛行機が)やってくると言われていた。」と語りました。ホワイトハウスの誰かからの電話でワシントンエリアが「燃え盛っている(a free-fire zone)」と言いました。戦闘機のパイロットの話によると、「状況次第では軍事力を行使する権限が与えられた」ことを意味しているそうです。

緊急時の回避措置を取ることができるので、ブッシュ以外の誰かがこの命令を与えたことは理解しやすいかもしれません。しかしブッシュはブッカー小学校でも電話をしていて、この時すでに11便はハイジャックされていました。なぜ10時を過ぎてからこのアクションが取られたのでしょうか?


戦闘機のエスコート
戦闘機は午前11時から11時30分の間で到着したと思われます。これらの戦闘機は、24時間対応のアラートで、約5分で空へ飛べる準備が出来るものでした。戦闘機は推定で時速1700kmの速度で飛ぶことができ、約10分でサラソタにたどり着く必要があります。しかし、9時00分、つまりおそらく最初に必要とされたときから、エアフォースワンに到達するために約2時間かかりました。
このような無能な対応はなぜおきたのでしょうか?


バークスデール空軍基地
1時過ぎにブッシュは基地司令官から高速の物体がテキサス州クロフォードに向かっているという諜報報告を受け取ったとされていますが、これは誤報だったことが明らかになっています。また、12時30分までに、FAAはまだ50近い飛行機がアメリカ上空を飛んでいることを報告しましたが、だれも問題を挙げませんでした。どのようにしてその30分後に未知の飛行機がブッシュのいるところへ向かってこれるというのでしょうか?


911陰謀論 #30 につづく

911陰謀論 #28 ブッシュ大統領の1日

911陰謀論 #27 では、ペンタゴンの追突とシャンクスビルの墜落について公式見解や報告されている事実をみてみました。

次は2001年9月11日のブッシュ大統領の1日を見てみます。

エマ・T・ブッカー小学校の授業
ジョージ・W・ブッシュは9月11日にはフロリダ州サラソタにあるエマ・T・ブッカー小学校の2年生の授業に出席するという重要な任務があり、そこで The Pet Goat(ペットのヤギ)という本を読んでいました。表向きには彼の教育プログラムを推進していました。教室には9時02分に入りましたが、その時には既に11便のノースタワーのクラッシュを知っていました。

ブッシュは後ほど次のように語っています。
私は中に入るのを待っている時に教室の外で座っていました。そして私はテレビで飛行機がタワーにぶつかるのをはっきりと見ました。びっくりしてこのように言いました。「ひどいパイロットだ」と。「恐ろしい事故だったに違いない」と。しかしそこから追い出されてしまった。それについて考える時間はほとんどなかった。

ノースタワーの衝突時の映像はもっと後になるまでテレビでは放送されなかったので、ブッシュの説明が真実であれば、シークレットサービスはノースタワーの最初の衝突が行われた時には秘密のカメラからビデオにアクセスできたことを意味しています。

9時06分、ブッシュが教室の前に座っていた時に、大統領補佐官アンドリュー・カードはブッシュに近づき、2秒にも満たない言葉をささやき伝えました。2機目がタワーに衝突したことを伝えたことになっています。ブッシュは一瞬混乱したように見えました。詳細を求めることはしませんでした。座ったまま、少なくとも8分以上子供たちと読書を続け、9時16分までそこに居続けました。
有名なこの写真のシーンです。
後にカードが語ったところによると「二機目の飛行機が、第二棟に突入しました。アメリカは攻撃されています。」と伝えました。

教室を出た後、ブッシュは学校に残って予定されたスピーチを行いました。9時29分に始められました。
今日、我々は国家の悲劇がありました。この国でテロ攻撃が起き、二つの飛行機が世界貿易センターに激突しました。

そして9時33分ごろ、彼の乗った車はサラソタ空港に向けて出発しました。


空港へ
空港へ向かう途中、9時38分に77便がペンタゴンに衝突しました。ブッシュは電話でこのことを知らされました。車は9時43分ごろに空港に到着し、エアフォースワン近くに止まりました。
ブッシュ大統領はこの時チェイニーと電話をし、おそらく国内のすべてのフライトを着陸するよう指示しました(※1)。連邦航空局(FAA)は9時45分ごろに国内の航空システムをシャットダウンしました。

※1
MSNBC / CNN / ニューヨーク・タイムズ / ニュースデイ / ワシントン・ポスト。ただし、USA TodayはFAAの管理者ベン・スリニーが独断で決定したと報道しています。


エアフォースワン
エアフォースワンは9時55分または9時57分のいずれかで離陸しました。
軍事戦闘機の護衛はありませんでした。
カール・ローブは、エアフォースワンで、飛行機が離陸する前に危険な脅威があることを知らされていました。「急いで上昇し、高い高度にしようとしました。なぜならエアフォースワンにはある脅威があったからです。エアフォースワンはターゲットであると宣言されていました。」


あまりに遅い撃墜命令
彼は空中で再びチェイニーと会話し、チェイニーはブッシュに「ハイジャックされた飛行機がいたら撃墜する指示をする」よう進言しました。ブッシュは「もちろんだ」と返事をしました。
93便は10時3分にシャンクスビルに墜落しました。9時16分にはハイジャックされていたことを北アメリカ航空宇宙防衛司令部(NORAD)は知っていましたが、戦闘機はおそらくスクランブルされていませんでした。


エアフォースワンの行先
ブッカー小学校のコメントでは、ブッシュ大統領はすぐにワシントンに戻ると伝えましたが、離陸してすぐ、彼はチェイニー副大統領とシークレットサービスとで首都に飛ぶのが安全かどうか議論し始めました。議論の結論がでるまで飛行機はサラソタ上空に留まりました。およそ10時35分まで、エアフォースワンはどこにも行かず、大きくゆっくりと円を描くように飛行機は飛んでいました。数分後に議論は終わり、飛行機はワシントンではなく、代わりにルイジアナ州へ向かいました。


戦闘機のエスコート
ブッシュがブッカー小学校の教室を去った時間が明確には分からないように、いつエアフォースワンに戦闘機が着いたかはほとんど言及されていません。あるソースによれば午前10時近くにはフロリダ州ジャクソンビル近くの基地からのF-16戦闘機の護衛が参加しました。しかし、一か月後、チェイニーの10時32分の電話でブッシュにエアフォースワンの護衛機がたどり着くには40分から90分(つまり正午ごろ)はかかるだろうと伝えたことが報告されています。エアフォースワンは、午前10時55分ごろに回避行動を取ったとき、何の戦闘機の護衛もなかったことが知られています。別のソースでは、最初の2機のF-16機はフロリダ州ではなく、テキサス州の空軍基地から、シェーン・ブラザートンとランディ・ロバーツが操縦していたとのことです。いずれにせよはっきりしているのは、11時30分には6機の戦闘機がエアフォースワンを護衛していました。


バークスデール空軍基地
エアフォースワンはおよそ11時45分にルイジアナ州シュリーブポート近くのバークスデール空軍基地に着陸しました。バークスデールに着陸した公式の理由はブッシュが詳しい声明をする必要があるというものでしたが、次の様に考える方が合理的です。大統領がどこに移動するべきかの同意がなく、空中にいるのも地上にいるのも等しく安全だと考えられていたということです。皮肉なことに、護衛の戦闘機がたどり着いてすぐにブッシュの飛行機は着陸することとなりました。

サラソタにいる時とバークスデールとでは護衛のレベルが異なっていました。サラソタではほぼ30分間、周知された場所に保護されていない状態でいました。バークスデールはその時点は未知の場所であり、飛行機が着陸してすぐに自動操縦を持つ装甲機器や兵士たちに囲まれました。レポーターたちはその場所を伝えることがないよう厳格な命令のもと、残りました。

ブッシュ大統領は基地の安全な場所に移動しました。12時30分ごろに、ブッシュは短いスピーチをテープに収めました。テープは午後1時20分にテレビで放送されました。彼はまた1時間30分を電話に費やし、チェイニーや他の者たちと次に行くべきところについて話し合っていました。シークレットサービスはワシントンの状況は依然として安全でないと感じました。ブッシュはカール・ローブにできるだけ早く家に帰りたいと語りました。ローブはそれはまだ不安定ですと返事を返しました。ブッシュはワシントンよりも早くにたどり着けるネブラスカ州オファットにあるアメリカ戦略コマンドセンターに行くことになりました。


オファット空軍基地
エアフォースワンは1時30分ごろにオファット空軍基地に向けてバークスデールを出発しました。エアフォースワンの側近はアリ・フライシャー、アンドリュー・カード、カール・ローブ、ダン・バートレット、およびゴードン・ジョンローのような数人の必須のスタッフと5人の記者のみに絞られました。飛行中、ブッシュはホワイトハウスのシチュエーションルームとチェイニー副大統領と連続的なコンタクトを取っていました。

エアフォースワンは3時前にオファットに到着しました。3時6分にブッシュはアメリカ戦略司令地下司令センターのセキュリティを通過し、核爆発にも耐えるようデザインされた地下のバンカーに入りました。

そこで彼はチェイニー副大統領、国家安全保障顧問ライス、国防長官ラムズフェルド、副国務長官リチャード・アーミテージ、CIA長官テネット、運輸長官ノーマン・ミネタ、およびその他の人と電話会議を行いました。電話会議は1時間ほど行われました。ライスはミーティング中のことを次のように語っています。テネットはブッシュに「私はアルカイダだと確信しています。私たちはアセスメントをしていて、アルカイダのにおいがします。」

この時、人々はブッシュ大統領からの次の公式声明を期待していました。ホワイトハウスのスタッフはブッシュがオファットのバンカーから国家に向けて演説するために準備をしていましたが、ブッシュはそうではなくワシントンに戻ることを決めました。


ワシントンに戻って
エアフォースワンはオファットを4時30分ごろに出発し、2機のF15戦闘機と1機のF16戦闘機に護衛されて6時34分にアンドリュース空軍基地に到着しました。そしてブッシュはマリンワンヘリコプターでホワイトハウスに向かい、7時前に到着しました。

ブッシュは8時30分に全国のテレビ演説を行い、約5分スピーチしました。後にブッシュドクトリンと呼ばれるもので、彼は「私たちはこのような行動を起こしたテロリストたちと彼らをかくまう者たちの区別をしないでしょう。」と述べました。
9時頃、ブッシュは国家安全保障会議を行い、続いてキーアドバイザーの小さいグループでの会議をおよそ半時間行いました。ブッシュと彼のアドバイザーは既にビンラディンが攻撃の背後にいると決めていました。CIA長官テネットはブッシュにアルカイダとアフガニスタンのタリバンが本質的に同一であると伝えました。

11時30分ごろに就寝する前、ブッシュは日記に次のように書きました。「21世紀の真珠湾が今日起きました。。。私たちはそれがオサマ・ビン・ラディンだと考えています。」


911陰謀論 #29 につづく

911陰謀論 #27 公式見解:ペンタゴンの追突とシャンクスビルの墜落

911陰謀論 #26 では、ツインタワーの追突と崩壊について公式見解や報告されている事実をみてみました。

引き続き政府の公式見解や報告されている事実を見てみようと思います。

次はペンタゴンの追突とシャンクスビルの墜落です。

飛行機の乗客
アメリカン航空77便の乗客のリスト(ペンタゴンに追突)
http://911research.wtc7.net/planes/evidence/docs/Flight77.png
ハイジャック犯:5人
乗員数:6人
乗客数:53(ハイジャック犯5人を含む)

ユナイテッド航空93便の乗客のリスト(シャンクスビルに墜落)
http://911research.wtc7.net/planes/evidence/docs/Flight93.png
ハイジャック犯:4人
乗員数:7人
乗客数:33(ハイジャック犯4人を含む)


ペンタゴンの追突
アメリカン航空77便には5人のハイジャック犯が乗っていました。
8時51分から8時54分の間にかけて完全にハイジャックされました。ノースタワーに1機目が追突した8時46分よりもあとの出来事になります。
ハイジャック後、ハーニー・ハンジュールが操縦を行いました。
9時29分にペンタゴン西56kmの地点を高度2.1kmで飛んでいました。
9時34分にペンタゴン西南西5.6kmの地点を飛び、330度の右旋回で下降してペンタゴンの南西6.4km地点、高度約600mに移動しました。
9時38分にペンタゴンに突入しました。


ペンタゴンの被害
ペンタゴンへの激突の瞬間は周辺の監視カメラによって撮影されており、また目撃者も大勢いました。映像によるとほぼ水平の状態で地面を滑走しながらペンタゴンに衝突していましたが、離着陸時の事故と違い、高速で建築物に激突・炎上したため機体の残骸はほとんど原形を留めていませんでした。突入階の半分が改装工事中で空いていました。もし改装工事中でなかったら犠牲者数はWTCの犠牲者数を上回っていたと推測されています。
映像はテロが起きて5年後の2006年5月に公開されました。

この攻撃で125人のペンタゴンの労働者が死亡しました。ペンタゴンにあったリソース・サービス・ワシントンという名前の軍の事務所では、45人の従業員のうち34人を失いました。ほとんどが民間の会計士、簿記や予算のアナリストでした。国防長官ラムズフェルドは 911 攻撃の前夜に2兆ドル以上ものお金が行方不明であることを公表していました。
犠牲者の半分以上は、海軍コマンドセンター、ペンタゴンのDリング一階の指揮統制施設でした。生存者には重度の火傷を負う人もいました。
建物の1150km2の空間のうちの610km2が損傷しました。122km2が復興作業で破壊されました。


シャンクスビルの墜落
ユナイテッド航空93便には4人のハイジャック犯が乗っていました。
8時00分に離陸の予定でしたが、遅れにより8時42分になりました。ノースタワーに1機目が追突した8時46分よりも前の出来事になります。
ハイジャック後、ズィアド・ジャッラーフが操縦を行いました。
ハイジャッカーはインターホンで乗客へメッセージを送りましたが、この音声は管制官に伝わっていました。
乗客たちは機内電話・携帯電話で地上の通話相手からテロが起きていることを理解し、コックピットに攻め込みました。この時の合図は "Let's roll." であることが知られています。
10時03分にペンシルベニア州ピッツバーグ郊外シャンクスヴィルに時速580km/hで墜落しました。
墜落現場は採鉱場内で、メイン残骸フィールドと少し離れたいくつかの小さな残骸フィールドでできていました。


911陰謀論 #28 につづく

911陰謀論 #26 公式見解:ツインタワーの追突と崩壊

911陰謀論 #25 では、UA93 便の謎についてみてみました。

ここからは政府の公式見解や報告されている事実を見てみようと思います。

飛行機の乗客
アメリカン航空11便の乗客のリスト
http://911research.wtc7.net/planes/evidence/docs/Flight11.png
ハイジャック犯:5人
乗員数:11人
乗客数:81(ハイジャック犯5人を含む)

ユナイテッド航空175便の乗客のリスト
http://911research.wtc7.net/planes/evidence/docs/Flight175.png
ハイジャック犯:5人
乗員数:9人
乗客数:56(ハイジャック犯5人を含む)


ツインタワーの追突(1機目)
アメリカン航空11便には5人のハイジャック犯が乗っていました。
ハイジャック後、モハメド・アタが操縦を行いました。
モハメド・アタは乗客へ警告するため機内放送を行いましたが、スイッチを間違えて機内ではなくボストンの航空管制官に放送しました。これによって管制官はテロであることが認識されました。
客室乗務員たちは地上と交信していました。伝えられた犯人の座席番号が犯人の特定に結び付きました。
8時46分にワールドトレードセンター北棟80階に時速約750km/hで突入しました。


ツインタワーの追突(2機目)
ユナイテッド航空175便には5人のハイジャック犯が乗っていました。
ハイジャック後、マルワーン・アル=シェッヒーが操縦を行いました。
アメリカン航空11便(1機目)がワールドトレードセンター北棟に突入した時には既にハイジャックされていました。
客室乗務員はユナイテッド航空にハイジャックを通報しました。
8時55分にニューヨーク航空管制センターもハイジャックされていると判断しました。
9時02分にワールドトレードセンター南棟60階に時速約940km/hで突入しました。


ワールドトレードセンターからの非難
1機目の衝突でノースタワーのエレベータは停止されました。崩壊するまでの間、飛行機追突階以下の人たちのほとんどは3つの階段を使って脱出することができました。
91階以上の人は一人も生き残れなかったと考えられています。ニューヨーク・タイムズ紙は1344人が死亡したと推定しました。
サウスタワーが先に崩壊したため消防士に無線の警告を行いましたが、残念ながら無線は大半の人には届きませんでした。ノースタワーの崩壊で121人の消防士が死亡しました。

サウスタワーの避難はノースタワーに飛行機が衝突した直後から始まりました。サウスタワーに飛行機が衝突するまではエレベーターが動作していたため、サウスタワーよりは効率的に避難が行われました。しかし、建物は安全なのでオフィスに戻るようPAシステムによってアナウンスされました。これが数百人の命を犠牲にしてしまいました。USA Today紙は599人が死亡したと推定しました。
2機目の衝突により、衝突フロアの避難経路はほとんど遮断されましたが、少なくとも1つの階段は残っていました。これにより少なくとも18人が脱出しました。屋上に向かった人は200人にも及びましたが、救助は行われませんでした。


ワールドトレードセンターの崩壊
飛行機から漏れ出したジェット燃料は縦シャフトを通して下層階にまで達し、爆発的火災が発生しました。
9時59分に南棟(WTC2)が先に崩壊しました。北棟(WTC1)も10時28分に崩壊しました。
衝突による構造材の破壊とジェット燃料火災の高熱による鉄筋強度低下が原因でした。

ワールドトレードセンター第7ビル(WTC7)はツインタワーが倒壊して約7時間後(午後5時20分)に崩壊しました。
制御不能状態に陥った火災が主因で、火災の発生により床を支えていた梁と桁の構造部分が耐え切れなくなったことが建物全体の完全崩壊へとつながりました。


ワールドトレードセンターその他のビル
WTC6は8階建てのビルでした。ビルのほとんどは連保政府機関のテナントになっていました。ビルにいた600人の労働者は1機目のノースタワーへの衝突後に非難しました。WTC6は激しい火災に襲われました。おそらくWTC1、WTC2、WTC7よりも深刻でした。それにもかかわらずWTC6は崩壊しませんでした。その後グラウンド・ゼロのクリーンアップ作業で解体されました。

WTC5はノースタワーの東に建つ9階建てのビルでした。20近いテナントが入っていましたが、9つの階のうち4つのフロアはモルガン・スタンレー、クレディ・スイス・ファースト・ボストン、および政府機関に占有されていました。避難はノースタワーへの衝突後に行われました。ツインタワーの崩壊の落下物でビルは激しく損傷しました。WTC5もWTC6と同様に激しい火災に襲われましたが崩壊はしませんでした。その後グラウンド・ゼロのクリーンアップ作業で解体されました。
上のビルがWTC6
下のビルがWTC5
WTC4はサウスタワーの南東に建つ9階建てのビルでした。6つのテナントのほとんどはドイツ銀行とニューヨーク商品取引所でした。避難はノースタワーへの衝突後に行われました。ツインタワーの崩壊時の落下物で破損しました。外観の写真では深刻な火災の跡がありましたが、FEMAの報告書にはWTC4の火災は報告されませんでした。その後グラウンド・ゼロのクリーンアップ作業で解体されました。地下室に収容されていた貴金属金庫(数十億ドル規模)の消失については報告はされませんでした。
WTC4

WTC3はノースタワーの南、サウスタワーの西に建つ22階建て、地下6階の建物でした。世界貿易センターホテル、ニューヨークマリオットホテル、およびVistaのホテルとして知られていました。避難はノースタワーの衝突後すぐに始まり、ホテルのロビーに向かうよう指示されました。ゲストは全員避難しましたが、建物内のゲストのチェックを行っていた2人のホテルマネジメントがサウスタワーの崩壊時に死亡しました。サウスタワー、ノースタワーの2つの崩壊を受けてビルは完全に破壊されました。火災の証拠はありませんでした。その後グラウンド・ゼロのクリーンアップ作業で解体されました。
WTC3
911陰謀論 #27 につづく

911陰謀論 #25 UA93 便の謎

911陰謀論 #24 では、UA93 便の機内のドキュメンタリーについてみてみました。

次は UA93 便の謎についてみてみます。

フライトレコーダーの記録によれば、UA93便は次のように墜落しました。

このように進んでいた飛行機が
 前方45度に傾斜し
 さらに45度、つまり90度の直立体勢になり
 さらに45度、平行から135度の傾斜で
 このように地面に激突しました。

ホワイト市長は航空機がホプキンス空港の安全な場所に避難したと述べた。
ユナイテッドは同機を93便と確認した。
2001年9月11日11時42分57秒

公式発表ではホワイトハウスに向かう途中、乗客が飛行機を奪い返し、シャンクスビルに墜落したことになっている。
しかし93便はシャンクスビル付近にはいなかったんじゃないかという証拠がある。
  • 地面に空いた穴以外何もない
  • 飛行機が墜落したと解るものは何もなかった
  • 煙や火もありませんでした
  • 穴は4.5~6mぐらい、幅は3mぐらいでした
  • 土・灰・歩いている人・折れた木だけです
  • 誰かが大量の金属を空から落としたようだった
  • 屑屋のトラックを持ってきて3mの穴を掘ってゴミを捨てたよう
  • 20分で検視官のお役目ご免でした。だって死体がひとつもなかったんです
  • これまでただの一滴の血液すら見ていない
93便はどこに行ったのか?
  • クリーブランド ホプキンス空港にハイジャックされた飛行機が着陸する、ということで全員非難させられた。
  • デルタ航空の1989便ともう1機の2機の飛行機が着陸した。
  • デルタ1989便は10:10に着陸し、2時間後の12:30に避難され、60人の乗客がおり、連邦航空局の本部へ連れていかれた。
  • 93便は10:45に着陸し、30分後の11:15に避難され、200人の乗客がおり、NASAグレンリサーチセンターに連れていかれたという。
  • 93便の乗客はどこに行ったのか?

911陰謀論 #26 につづく

911陰謀論 #24 UA93 便の機内のドキュメンタリー

911陰謀論 #23 では、UA93 便の機内の状況と犠牲者について見てみました。

次は UA93 便については機内で起きたことについてのストーリーがあるので、そのドキュメンタリーを見てみます。

テレビで放送されたものですね。

2部に分かれてました。
9/11 ドキュメント ユナイテッド93便 1/2
9/11 ドキュメント ユナイテッド93便 2/2

ストーリーをまとめておきます。
はじまりはツインタワーに追突したアメリカン航空11便のストーリーで、機内の状況を再現しています。
  • ハイジャック後客室乗務員のベティー・オングがアメリカン航空の予約係に電話をする。
  • その後客室乗務員のエイミー・スゥィーニーもボストン・ローガン空港に電話をかける。
  • これらの電話が犯人の特定につながった。
1/2 の 5:35 からユナイテッド航空93便のストーリ-になります。
  • 多数の乗客が家族に電話をかけ、ワールドトレードセンターやペンタゴンに飛行機が突っ込むテロが起きていたことを把握した。
  • Let's roll の掛け声で乗客はコックピットに駆け込んだ。
  • UA93 便はピッツバーグ郊外に墜落した。
こちらもテレビで放送されたもの。

ストーリーは上の動画と一緒。


911陰謀論 #23 で Hero of United 93 と書かれていた理由がよく分かりました。

911陰謀論 #25 につづく

911陰謀論 #23 UA93 便の機内の状況と犠牲者

911陰謀論 #22 では、UA93 便墜落後のニュース映像の動画を見ました。

次は UA93 便の機内の状況と犠牲者についてです。

UA93 便との無線通信です。
キャプテンは何度も We have a bomb on board. と訴えてます。

Hero of United 93 と紹介された人たち
Todd Beamer / Thomas Edward Burnett, Jr / Jeremy Glick / Mark Bingham / Donald Greene

これについては改めて詳しく見てみようと思います。

Last phone call と書かれていた人たち
CeeCee Lyles / Jeremy Glick / Mark Bingham / Linda Gronlund

この人たちは機内から電話をかけたということですね。

添乗員CeeCee Lylesの最後の電話。

添乗員CeeCee Lylesの旦那さんのインタビュー。

多数動画はあったのですが、載せるのはこれだけにします。

911陰謀論 #24 につづく

911陰謀論 #22 UA93 便墜落後のニュース映像

911陰謀論 #21 では、9/11テロの10年後に公開されたペンタゴンのミサイル追突の動画を見ました。

今度は4機目のシャンクスビルに墜落した UA93 便を見ていこうと思います。

最初は墜落のニュース映像です。

墜落直後のニュース映像。
機体は写っていません。

大きなクレーターが写っています。
細かな破片が埋もれいてるのですが、やはり機体は写っていません。燃えてもいません。


映像からは飛行機が墜落したようには見えませんでした。

911陰謀論 #23 につづく

911陰謀論 #21 10年後に公開されたミサイル追突動画

911陰謀論 #20 では、ペンタゴンの飛行機追突の偽装を暴露したインタビューの動画を見ました。

今度は9/11テロの10年後に公開された映像を見てみます。

9/11が起きてから10年後に公開されたビデオ映像です。ペンタゴンに突入したのはトマホークとかロシアのグラニットミサイルのような巡航ミサイルで、明らかに巨大なジェット機ではありえないものでした。
0:19 からミサイルが突入しているのが見えます。

考察
この動画はテロが起きて10年経ってからのものです。
ミサイルが低空飛行することは飛行機が低空飛行をすることと同じくらいにありえません。
これはねつ造映像で、陰謀論者を「実はミサイルが追突した」とミスリードするために公開されたものと思いました。

「ペンタゴンの警備レベルは高く、ミサイルがペンタゴンに突入できるわけない」という解釈を一般の人が持っていることもあるんじゃないかと思います。

ちょうどアポロ疑惑で偽物のスタンリー・キュービックが自白動画を公開したのと同じ理由で、陰謀論者をあざ笑う手法だと思います。
(※m7 - アポロ捏造派のブログ #69 スタンリー・キューブリックについて 参照)

そもそもペンタゴンには飛行機もミサイルも突入しませんでした。

911陰謀論 #22 につづく

911陰謀論 #20 ペンタゴン追突の目撃証言(ねつ造を暴露)

911陰謀論 #19 では、ペンタゴンに飛行機が追突した後の残骸を見てみました。

次はペンタゴンに飛行機が追突したことに関する目撃証言です。

ただし、ねつ造を暴露したものとなります。

ペンタゴン職員の証言。
息子と一緒にオフィスに入ってパソコンの電源を入れてるってところがちょっと引っかかりますが、飛行する物体がなかったこと、爆発が起きたこと、飛行機の残骸を見なかったことを証言しました。
とてもロジカルかつ慣れた口調で説明しているので、多数証言インタビューを受けているようです。
この女性の名前は April Gallop と言います。

事件当初は重要な目撃者としてインタビューを受けていましたが、証言に矛盾点が多数存在し追及を受けています。

車での移動中オフレコと思ったようで、911は計画されていたと暴露しました。
12:08 It's not the truth. it's his story!(これは真実ではない、彼の物語なのだ)
12:11 It has nothing to do with the truth. it's his story!(真実とは何の関係もない、彼の物語なのだ)
12:58 It was planned. (計画されていました)

この男性の名前は Lloyde England と言います。


911陰謀論 #21 につづく

911陰謀論 #19 ペンタゴン追突後の残骸

911陰謀論 #18 では、ペンタゴン追突シーンの動画をまとめました。

次はペンタゴンに飛行機が追突した後の残骸を見てみます。

消火活動をしている所や残骸が見て取れます。
野次馬の人だかりが多数おり、事故直後の映像なのが分かります。
しかし、飛行機の残骸はまったく写っていません。
ミサイルだったとしてもそのような残骸はありません。

こちらは写真を紹介しています。
上の動画と同様で、飛行機もミサイルも写ってません。


これらの動画から分かるのは、飛行機もミサイルも追突しなかったということです。

911陰謀論 #20 につづく