911陰謀論 #54 まとめ

911陰謀論 #53 では、「国への攻撃」の「イラク」について書きました。

ほんとは911リサーチにはもっとたくさんの資料があったのですが、和訳がちょっと辛くなってきました。
もう自作自演であることは十分にまとまったので、一旦ここで打ち切って終了したいと思います。


おしまい

911陰謀論 #53 国への攻撃-イラク

911陰謀論 #52 では、「国への攻撃」の「アフガニスタン」について書きました。

次は国への攻撃のうち、イラクについてまとめたいと思います。

9/11後の国家への攻撃

2003年に米国主導のイラク攻撃は、10年もの間制裁措置ですでに苦しんでいた人々をさらに苦しめました。その制裁措置では数十万人もの乳児が死亡したと非難を浴びていたものでした。クリントン政権の国務長官マデレーン・オルブライトは、1996年5月12日に放映された60分のインタビューで、悪名高い声明で制裁を擁護しました。

レスリー・スタール:私たちは50万人もの子供が死亡していると聞いたことがあります。これは広島で亡くなったよりも多くの子供たちです。そして、あなたはどれほどの価値があるか知っていますか? 
マデレーン・オルブライト:これは非常に難しい選択ですが、私たちはそれだけの価値があると思っています。

2003年に行われたイラク侵攻という販売活動は、2001年9月11日と同じように早く始まりました。その時、ドナルド・ラムズフェルドがブッシュ大統領にイラクの爆撃を検討するよう促したとリチャード・クラークは言いました。このオペレーションは2002年の半ばまでほとんど包まれており、注意はアフガニスタンにシフトしていました。

メインの活動は2002年の秋に始まりました。このとき、ジョージ・W・ブッシュとトニー・ブレアは、イラク侵攻の国民の支持を集めるために、イラクが大量破壊兵器を保有しているという架空の証拠を使用しました。米国は、国際法を無視して、そしてイラクを攻撃することに対抗する世界的なデモを軽視して、先制攻撃という新たな教義を持って、戦争に行きました。占領を確立するのにたった数週間で行われました。

  • 2003年3月20日:米国は、バグダッドをターゲットに「衝撃と畏怖」爆撃で、攻撃を開始します。
  • 2003年4月3日:米軍はバグダッドから10マイルのサダム・フセイン国際空港を占領します。
  • 2003年4月9日:バグダッドが陥落します。
  • 2003年5月1日:ブッシュ大統領は米国の勝利を宣言します。

勝利の米国宣言以来、占領は着実に増加する死亡者数によって特徴づけられています。次の表は、GlobalSecurity.org からのアメリカの犠牲者数と guardian.co.uk からのイラク民間人の死亡者数のデータをマージしたものです。

日付 米国人死亡者数 イラク民間人死亡者数
03 May
37
03 June
30
412-443
03 July
47
375-398
03 August
35
379-405
03 September
30
522-533
03 October
44
469-501
03 November
82
469-484
03 December
40
423-439
04 January
47
466-482
04 February
20
647-663
04 March
50
675-693
04 April
135
338-345
04 May
80
187-206
04 June
42
311-342
04 July
54
245-254
04 August
65
180-203
04 September
76
233-256
04 October
63
292-311
04 November
137
265-300
04 December
66
287-302
05 January
110
428-456
05 February
58
484
05 March
36
240
05 April
84
340-371
05 May
83
652-739
05 June
78
05 July
54
05 August
72
05 September
99


911陰謀論 #54 につづく

参考URL
http://911research.wtc7.net/post911/attacks/iraq/index.html

911陰謀論 #52 国への攻撃-アフガニスタン

911陰謀論 #51 では、「国への攻撃」について概要を書きました。

次は国への攻撃のうち、アフガニスタンについてまとめたいと思います。

9/11後の国家への攻撃

ニューヨーク・シティとペンタゴンへの9月11日の攻撃に続いて、ブッシュ政権はアフガニスタンにいるタリバンの指導者へ、サウジ出身の反体制派のオサマ・ビン・ラディンを引き渡すかあるいは米国による攻撃に直面するかを要求する、最後通告を伝えました。ビン・ラディンは1996年以来タリバンのゲストとしてアフガニスタンに住んでいました。タリバンは、もしビンラディンが攻撃に関与している証拠を米国が提供した場合には、アフガン最高裁でビンラディンを裁判するのに合意しました。タリバンのポジションは大使によってパキスタン人のアブドゥル・セーラム・ザイーフに明確に述べられました。

私たちのポジションは、もしアメリカが証拠を持っている場合、彼らはそれを作り出すべきであるということです。私たちは、証拠に照らして、オサマ・ビン・ラディンの裁判の準備ができています。

ブッシュ政権は、貧しいが戦略的に重要な中央アジアの国を攻撃すること以外のオプションに興味がないように見えました。2001年9月20日に米国議会に対しての演説で、ブッシュ大統領は「自由の敵」として攻撃の犯人と疑いながら次のように述べました。

アメリカ人は、「なぜ彼らは私たちを憎むのですか?」と尋ねています。彼らは私たちの自由、つまり宗教の自由や言論の自由や投票の自由やお互いを終結したり反対したりしたりする自由を嫌っています。

彼の演説の中で、ブッシュ大統領は信仰の2つの飛躍を起こすために人々に尋ねました。1つ目は政権が言う攻撃者は証拠がないのにもかかわらず仮定していること、2つ目は攻撃者の動機が政権によって彼らに帰属されたと仮定していることです。ブッシュは次のように断言しました。

私たちは、これらの人々が誰であり、どの政府が彼らを支援しているかを、正確に知っています。

同日、米連邦捜査局(FBI)は、ハイジャック疑惑の犯人のアイデンティティに疑問を表明していました。

アフガニスタンでの空の攻撃は10月7日に始まり、米国や英国軍による激しい夜間爆撃はカンダハル市の中心を襲撃しました。


ブッシュ政権は戦争犯罪で有罪

2004年3月に、東京の市民法廷はアフガニスタンへの攻撃が戦争犯罪だと、ブッシュ米大統領が有罪となりました。5人の裁判官からなる裁判所は、全会一致の結論に達しました。裁判官は全員国際法の教授であり、インド、イギリス、アメリカのそれぞれから1人づつ、日本からは2人で4つの国の代表でした。

法廷を務めた英国の弁護士ロバート・アクロイドは、米軍が国際法に抵触したいくつかの方法を説明しました。ブッシュ大統領は軍事行動は自己防衛を主張しましたが、正当な目的と民生的な活動とを区別できずに「デイジーカッター(巨大な従来の爆弾)、クラスター爆弾や劣化ウラン弾のような無差別機器」を使ったと、弁護士は指摘しました。


911陰謀論 #53 につづく

参考URL
http://911research.wtc7.net/post911/attacks/afghanistan/index.html

911陰謀論 #51 国への攻撃

911陰謀論 #50 では、「抑圧的な政策」の「立法」について書きました。

次は国への攻撃に話を進めます。

9/11後の国家への攻撃

9月11日の直後、ブッシュ政権は、アルカイダのテロリストをかくまったタリバン政権を追放するためアフガニスタン攻撃への展開を始めました。もともと「無限の正義作戦」と呼ばれていた名前は、戦争プランナーがイスラム教徒の感性を侮辱していると分かったことで、9月21日に「不朽の自由作戦」に変更しました。

アフガニスタンの空への攻撃は10月7日に始まりました。


911陰謀論 #52 につづく

参考URL
http://911research.wtc7.net/post911/attacks/countries.html

911陰謀論 #50 抑圧的な政策-立法

911陰謀論 #49 では、「抑圧的な政策」の「自由への攻撃」について概要を書きました。

次は自由への攻撃のうち、立法に関するものに話を進めます。

9/11後に米政府と議会によって行われた市民の自由に対する攻撃

法律が攻撃の直後に制定され、政府が人をスパイして米国憲法で保証された基本的な権利を含めた市民の自由を人から除去する新しい力を広めました。民主主義の上で継続的に行われた立法攻撃の最初のものは米国愛国者法でした。市民的、政治的そして人間の権利における数十年あるいは実に数世紀におよぶ進歩の抜本的なロールバックは、ほとんど泣きながら議会を通って出航しました。2003年5月の時点で、規定のいくつかは法廷でテストされていました。

  • 2001年10月26日、米国愛国者法があまりに早急なプロセスで法を通過し、法案は投票される前に最終的な形でプリントアウトされませんでした。議会がその内容を理解するのに実質的には議論はまったくなく、またあったとしてもごくわずかでした。この法では法執行機関や諜報機関に市民をスパイし、拘留し、責任を負わせる新しい力を与え、人々への説明責任からも自由にしました。
  • 2002年9月24日、内閣レベルの国土安全保障省を設立する法律が発表されました。上院議員ツェル・ミラー(D-GA)とフィル・グラム(R-TX)は新しい法律を発表したのですが、ACLUはプライバシーや公民権を守ることに欠けているため憲法として破たんしていると非難されました。ACLU立法弁護士のティモシー・エドガーは、国土の安全は余りにも重要な課題であり、無謀に扱われてはならないと言いました。非常に大きい部門は強固な監視と適切な市民の権利とプライバシー保護を持っている必要があります。これらがなければ、何が部門が守るべきその市民権を乱用することを止めることができるのでしょう?
  • 2006年9月28日、議会は軍事委員会法を可決し、「軍事戦闘員」の定義が人身保護令状の否定を展開しジュネーブ条約からの免除を主張しました。

個人を超える国家権力の新しい形を振りかざす政権プログラムを持つ立法者のコンプライアンスにもかかわらず、そのプログラムの詳細のほとんどは、立法を通じてというよりはむしろ執行規則制定者を通じて実装されました。


911陰謀論 #51 につづく

参考URL
http://911research.wtc7.net/post911/legislation/index.html

911陰謀論 #49 抑圧的な政策-自由への攻撃

911陰謀論 #48 では、抑圧的な政策ついて概要を書きました。

ここからはその内容について書いていきたいと思います。
はじめは自由への攻撃です。


9/11後の自決と市民の自由に対する攻撃

ブッシュ政権が攻撃の犯人と推定する者たちの動機を説明するため、そして侵略のさまざまな形を正当化するための両方で、9/11攻撃を使ったことにより、「自由」という言葉は9/11攻撃以来かつてないほどに陳腐なものとなりました。恐怖との戦争での自由と題する2001年9月20日の演説の中で、G・W・ブッシュは言いました。

9月11日に、自由の敵は私たちの国に対する戦争行為を犯しました。
... 
そして、夜は異なる世界、自由それ自体が攻撃を受けている世界に、落ちました。
... 
彼らは私たちの自由を嫌っています。
... 
これは、進歩、多元主義、寛容、そして自由を信じる全ての人の戦いです。
... 
自由と恐怖は戦争にあります。人間の自由の進歩は、-- ... --現在私たちと共存しています。
... 
自由に対して、そしてアメリカ人のためのセキュリティに対して行われている闘争に、私は譲らないし、休まないし、折れることもないでしょう。

ここで大統領は、自由という言葉を無視した多大な扱いを得ています。加害者と推定された者たちが犯罪を犯した物理的な証拠が存在しないため、オサマ・ビン・ラディンを「有罪と宣言する」ケースの全体が「テロリストの過激ネットワーク」が「私たちの自由を憎んでいる」という考えにかかっています。ブッシュ大統領は「自由のための闘争」としてテロとの戦争を売りつけています。

テロとの戦争のための口実が不正なのと同様に、その口実は定められた目標も不正です。テロとの戦争は正確には自由との戦争と呼ばれるでしょう。確かに、ナフィーズ・アーメッドによって書かれた本の名前でもあります。


911陰謀論 #50 につづく

参考URL
http://911research.wtc7.net/post911/attacks/freedom.html

911陰謀論 #48 抑圧的な政策

911陰謀論 #47 では、キーン委員会がまとめた9/11委員会報告書についてまとめました。

次のタイトルは抑圧的な政策です。
テロが起きた後のアメリカで制定された法律や軍事的アクションには抑圧的な政策が多数ありました。
最初にこれを列挙して、それ以降で詳しくまとめます。


弾圧の根拠としての9/11攻撃

9/11攻撃は、市民の自由を侵食して破壊し、人権を攻撃し、そして政府関係者や企業の説明責任を減少させる急きょ制定された政策を正当化させるものとして使われています。基本的な自由に対するこの暴行は、新しいテロとの戦争が自由を守るために必要だというオーウェルの主張で幕を開けました。

これらの悪用の最悪ともいえる完全な会計処理は、9-11研究の範囲を超えています。その代わりに私たちは、9/11以降の世界でテロと戦うことを装ってアメリカと世界の市民に強制させた抑圧されたポリシーとアクションを広い用語でまとめます。


立法と執行アクション

自由への攻撃というタイトルのセクションで、私たちはテロとの戦争を正当化しようとする立法と執行措置を検討します。9/11を前提とした法律は以下のものに顕著に含まれています。
  • 米国愛国者法は、2001年9月24日に議会に提出し、憲法で保護された幅広い自由を攻撃しました。愛国者法の通過を遅らせようとした2人の上院議員は、炭疽菌を含む手紙を受け取りました。
  • 2001年11月25日に通過した国土安全保障法は、政府の秘密を増大し、市民のプライバシーを侵食し、特殊な利益を増加しながら、新たな国土安全保障省に既存の連邦政府機関を統合しました。
  • 軍事委員会は、憲法軍事法廷システムの青写真を提供し、人権侵害に起因する訴訟からブッシュ政権を守りながら、2006年10月18日に通過しました。
2001年9月からの一連の行政命令は、のちに立法措置によって多数がゴムスタンプで押されることになる抑圧的なさまざまな政策を制定しました。

アメリカ政府の司法部門は、様々な違憲行為の条項の一部を宣言し、テロとの戦争ではいくぶん消極的なプレーヤーとなっています。


軍事行動

軍事行動に通じる9/11後の課題の実装では、それらのアクションを承認する立法と執行令の発行とを並行して進められてきました。これらのアクションが含まれています。
  • アフガニスタンとイラクの攻撃と継続的な占領
  • ブッシュ政権による「敵戦闘員」とみなされた個人の無期限の拘留
  • アメリカの拘留中の個人の拷問や殺人


911陰謀論 #49 につづく

参考URL
http://911research.wtc7.net/post911/policies.html

911陰謀論 #47 公式調査-9/11委員会報告書

911陰謀論 #46 では、9/11委員会報告書をまとめたキーン委員会の紹介をしました。

次はキーン委員会がまとめた9/11委員会報告書についてです。


9/11委員会報告書:精巧なフィクション

2004年7月22日に、「9/11委員会」としても知られる「アメリカ同時多発テロ国家委員会」は、最終報告書「9/11委員会報告書」を公開しました。その報告書はベストセラーになり、攻撃に関する決定的なレポートとして、メディア企業に称賛されました。しかし、その報告書は、9/11の公式神話の決定的な物語という風に特徴づけられています。デヴィッド・レイ・グリフィンが彼の学術著書、9/11委員会レポート:省略と歪み」で指摘しているように、報告書は公式のストーリーをサポートしないすべての事実をほとんど除外しています。


省略と歪み

このウェブサイト上で私たちが記載しているほとんどすべては、委員会報告書、特に分析のセクション内容から省略されているものです。実際、省略された事実は1冊の本を埋めることができるくらいに多数あり、そしてデビッド・グリフィンは339ページにわたって省略と歪みを書いています。ここでは、私たちは報告書の中で特にひどい省略、虚偽、矛盾のうちのたったいくつかをリストします。以下では、私たちは注釈のセクションを含むレポート全体を参照するために「レポート」という用語を使用します。

省略
  • レポートは鉄筋高層ビルがかつて火災によって崩壊したことがないという知識を省略しています。
  • レポートは47階建ての鉄筋高層第7ビルが攻撃の日の5時20分に感染崩壊したことを言及していません。
  • レポートは、第7ビルのオーナーが消防署と第7ビルを「行う」ことに決めたと伝えたインタビューを含めていません。明らかに建物とその中身を破壊する陰謀の承認行為です。
  • レポートは、崩壊した世界貿易センタービルから構造スチールの急速な除去とリサイクルを言及せず、また、そのための言い訳さえもしませんでした。
  • レポートは、当時の市長ルドルフ・ジュリアーニがピーター・ジェニングスに崩壊を予知していることをほのめしている声明を述べていません。「私たちは世界貿易センターが崩壊しそうだと言われた時そこから離れて活動していました。そして私たちが建物から出る前にそれは崩壊しました。」
  • レポートはサウスタワーの崩壊に先立って爆発があったという目撃証言の言及がありません。
  • レポートは、ジョージ・W・ブッシュの弟のマーヴィン・ブッシュと彼のいとこのワート・ウォーカーIIIが世界貿易センターのセキュリティを提供するために契約している会社ストラトセック社の重役だったことを言及しませんでした。また、会社のことも言及しませんでした。
  • レポートは、新しい賃貸人が攻撃のわずか6週間前に世界貿易センター複合体を支配下におさめ、テロ攻撃をカバーする保険証券を手に入れ、2つの数十億ドル規模の保険金を手に入れるために保険会社を提訴したという事実を記載していません。
  • レポートは攻撃の数日後にFBIによって識別された19人の容疑者のリストを繰り返しています。しかし、それらのうちの6人が攻撃後も生きていたと報告したことを記載していません。
  • レポートは、攻撃前のハイジャック容疑者たちの行動の報告を一切記述していません。それは彼らが熱心なイスラム教徒でアッラーのために自殺ミッションを行ったという公式のストーリーが偽りであることを示しています。
  • レポートは公開された乗客リストにアラブ人の名前が含まれていないことを記述していません。これは公式のストーリーの懐疑論者によって公表された事実です。
  • レポートは、なぜペンタゴンに衝突した飛行機がビルの周囲に取り囲まれているはずの対空ミサイル砲によって止めることができなかったのかを尋ねていません。
  • レポートはペンタゴンの攻撃の信頼性のある映像が一つも公開されなかったのかを記載していません。FBIは付近の企業から攻撃映像を押収したことは広く伝えられているにもかかわらずです。
  • レポートは、なぜシークレットサービスがサラソタ学校から空港へ向かう大統領専用車に航空機による防衛をしなかったのか、そして9時54分ごろに離陸して11時10分ごろまでエア・フォース・ワンに対しても同様に行わなかったのか、を尋ねていません。
  • レポートは、政府関係者やビジネスリーダーが警告を受け取り、攻撃目標を避けていたという報告を言及することを避けました。
    • FBIによる民間航空機のフライトを避けるよう司法長官ジョン・アシュクロフトへ助言した警告
    • 国防総省当局者は突然攻撃前夜に旅行計画をキャンセルしたという報告。
    • フライトを避けるようサンフランシスコ市長ウィリー・ブラウンへの警告。
    • スコットランドヤードによるサルマン・ラシュディの飛行停止。
  • レポートは、攻撃の数時間前にオディゴ社の従業員によって受け取った警告について言及しませんでした。
  • レポートは、炭疽菌攻撃の手紙が9/11攻撃を前提とした米国愛国者法の通過を遅らせようとした2人の最も強力な上院議員に送られたことを言及していません。
  • レポートは、委員会が「2001年9月11日の同時多発テロを取り巻く環境の完全な説明、攻撃の準備や攻撃の即時対応も含む、を準備するために設立された」ことを述べています。しかし、その設立趣意書にあった試みが行われていないことを言及していません。

虚偽
  • レポートの注釈には、「ツインタワーの内部コアは空洞のスチール・シャフトで、その中にエレベーターや階段がグループ化されている」と書かれています。実際には、コア構造は47までナンバリングされたスチール・カラムの束で構成され、ほとんどの場合、36×16インチと54×22インチの外部寸法を有しています。
  • レポートは、実際には約15秒かかったのですが、「サウスタワーは10秒で崩壊した」と述べています。崩壊時間を控えめにするよりも誇張すると考えるところ、委員会は9.2秒の真空の自由落下時間の1秒以内の崩壊時間を考慮さえもしなかった事実があり、公式説明の問題は委員会が事実がどうであれ説明を推奨するという事実があることです。
  • ジョージ・W・ブッシュをサラソタ教室という公開された場所から速やかに移動しなかったことに関して、レポートは「旅行関係者の中で、この時に他の飛行機がハイジャックされていたり失っているという情報を持っているものはいなかった」と述べています。しかし、デビッド・グリフィンによって集められた証拠によれば、シークレット・サービスはFAAとのオープン・ラインを持っており、FAAの北東地帯の作戦担当者は11機がハイジャックされたと考えていました。
  • レポートは、「アメリカ内のテロリストによってハイジャックされた旅客機の脅威、そして誘導ミサイルのようにそれらを使うことは、9/11以前にNORADは認識していなかった」と述べています。(レポーターは3回断定を繰り返しています。)しかし、USA Today誌の「NORADは武器としてジェットの訓練をした」という見出しの記事があるように、メディアの報道は、ハイジャックされたジェット機が世界貿易センターやペンタゴンに衝突することを交えた訓練を9/11前に行っていたことを述べています。
  • レポートは、「手順はインターセプトを考慮していませんでした。航空機の飛行経路を監視するミッションを果たすことができるところで、「ハイジャックされた航空機の後方5マイルの位置に無線誘導し」、戦闘機の護衛が目立たないと仮定しました。」と、言及しています。しかし、この声明(オーダー 7610.4J:特別軍事行動)の脚注で参照されるオーダーは次のように述べています。
    7-2-1 機関への通知
    FAAのハイジャック・コーディネーターは、ハイジャック機を追跡するための任務部隊と場所を特定する適切な中央/管制塔を報告するでしょう。中央/管制塔は、ハイジャック機の位置、飛行方向、高度、航空機の種別、それとハイジャック機をインターセプトするための推奨飛行計画をアドバイスする指定されたNORAD SOCC/ROCC/軍事ユニットと調整しなければならない。中央/管制塔はコーディネートされた飛行計画を提出しなければならない。
  • サウジ国民が9/11後の飛行禁止令が解除される前に国外へ飛び立った責任に対処するために、報告書は次のように述べています。「私たちはサウジ国籍、国内、国際のどんな飛行機も、2001年9月13日の朝の国内空域の再開前に飛び立った証拠は見つかりませんでした。」実際には、国内空域は、2001年9月13日にはケースバイケースで民間航空機にのみ開けれました。空が一般航空機(個人所有の飛行機)に開かれたのは、9月15日まで行われませんでした。しかし、9月13日にフロリダ州タンパからケンタッキー州レキシントンへ飛んだリア・ジェットは、サウジ国籍のプライベート機でした。

矛盾
  • レポートは、ハニ・ハンジュールのパイロットの志願が拒否され、彼は「ひどいパイロット」と指摘している一方で、彼は「操縦の最も経験豊富なパイロット」で、330度のスパイラルな手動操作で77便を操縦したと主張しています。
  • レポートは、自殺テロリストは原子力発電所をターゲットに選ばなかった、その理由は「偵察飛行を不可能にし、どんな飛行機も衝突する前に撃墜される可能性が高いため、原子力発電所をターゲットにすることは周辺空域が制限されるために難しい」と彼らが考えたと説明しています(P 245)。米軍の心臓部、おそらく原子力発電所よりももっと高度に防衛されているでもあるペンタゴンを彼らがターゲットにしたことに、同じロジックを適用することができません。
  • レポートはなぜジョージ・W・ブッシュがサラソタ小学校に2回目のタワーの衝突の後30分後の午前9時35分まで公式に知られていた場所にとどまっていたのかという疑問を示しています。ブッシュは「本能が穏やかにするよう訴えた、国家が危機の瞬間に激しい対応をしていると考えなったと私たちに言いました」(P 38)。そしてシークレット・サービスは「彼らは大統領を安全な場所に移動するよう切望していたが、彼がドアの外へ走るのは必要不可欠とは考えなかったと私たちに言いました」(P 39)。レポートは、ブッシュが30分未満に学校を去ることが、彼に激しい反応を見せ「ドアの外へ走る」よう要求していたという説明を、満足のいくこととして暗黙のうちに受け入れられました。

このリストはレポート中のより明らかなもののいくつかにすぎないです。グリフィンの本、今あるレポート批判の中で最も徹底的に書かれた本、でさえも、網羅するには程遠いです。2005年に、グリフィンは、9/11委員会報告書:571ページの嘘、明示的および暗示的に示された115点のレポートの嘘を指摘しています。


9/11委員会報告書のリサーチチームのミラー

9/11委員会報告書は9/11委員会のウェブサイト上にその全体を公開しました。しかし、そのサイトは、レポートを分析しにくくするように設計されているようです。特に、欠けているものを素早く見つけるのに必要な、レポートをキーワードでテキスト検索するのが簡単にできないようになっています。なぜなら次のような設計機能を持っています。
  • レポートの各セクション、それは13の章、付録、序文、メモを含む、のそれぞれは、独立したHTMLドキュメントとして提供されています。集約されたHTML文書形式で与えられていないことを考えると、検索を実行するとき各ドキュメントの退屈な横断が必要となります。
  • 完全なレポートはPDF文書として提供されていますが、サイズが7.4メガバイトあり、PDFビューアには検索機能を持っていないものもあります。
  • 検索ツールは、レポートそれ自身の数倍のサイズもある大きな公判記録を含むサイト全体を検索します。レポートだけに検索を制限するための方法がありません。
  • ウェブサイトで使われているHTMLタグは張り巡らされたリンクを壊し、分析のために研究者がレポートのHTML全体をダウンロードするのをより難しくしています。
  • 目次ページは各章のセクションにリンクしていません。

委員会のウェブサイトで公開されたレポートの現在の凍結バージョンはこのような欠点があるために、私たちは修正したローカルミラーを ここ に掲載しています。ミラーは、ノート部を除き1つのHTML文書ですべてのパーツを構成し、レポートの内容を保持しています。ノート部はサイズが大きいので2つ目の文書となっています。目次はメイン文書に統合されています。このように、ミラーを利用することで、あなたはたった2つのHTML文書を閲覧することでレポート全体を検索することができます。

レポート構造にこれらの変更を加えることで、私たちはレポートのイントロダクションで、911リサーチのページに関連する、独立した党派を超えた完全で十分なアカウント、準備段階、攻撃の即時対応といった各フレーズをリンクしています。


911陰謀論 #48 につづく

参考URL
http://911research.wtc7.net/post911/commission/report.html

911陰謀論 #46 公式調査-キーン委員会

911陰謀論 #45 では、FEMAが行ったペンタゴンの調査についてまとめました。

次は9/11委員会報告書についてまとめたいと思います。
まずはこの報告書をまとめたキーン委員会の紹介です。


公式の委員会は、問題の核心を避けました

2002年の秋に、「米国で起きた同時多発テロに関する国家委員会」が2001年9月11日の攻撃の被害者家族からの圧力に応じて設立されました。もともと、ブッシュ大統領は、隠ぺいの役割で有名であり戦争犯罪をを広く考えられているヘンリー・キッシンジャーを、委員会の委員長として任命しました。しかし、キッシンジャーは、秘密のクライアントを開示するよう要求した勢力の潜在的な対立について質問を答えるのを避けるために、すぐに辞任しました。キッシンジャーは元ニュージャージー州知事のトーマス・ケインに置き換えられ、リー・H・ハミルトンが副議長に選ばれました。その後、この体系は一般に「キーン委員会」や「9/11委員会」として知られるようになりました。

初期に委員会で務めていた上院議員マックス・クレランドは、唯一の率直なメンバーでした。彼はウォーレン委員会とキーン委員会を比較しました。

ウォーレン委員会はそれを発表しました。私はその一部となるつもりはありません。私は単に部分的にしか情報を見ている一部分になるつもりはありません。私は迅速な結末に向かう一部分になるつもりはありません。私はこれをする政治的圧力の一部分になるつもりも、それをするつもりもありません。

2003年11月に、ブッシュ大統領はクレランドを輸出入銀行の理事のポジションに任命し、彼を委員会から辞任するよう促しました。彼は戦犯疑惑のあるボブ・ケリーに置き換えられました。2004年5月の時点で、委員会は以下のメンバーで構成されていました。

トーマス・ケイン(議長)石油大手アメラダ・ヘスのディレクター。サウジ・ハリド・ビン・マフフーズに業務提携。国土安全保障プロジェクトの共同議長。CFRメンバー
リー・H・ハミルトン(副議長)国土安全保障諮問委員会のメンバー。ハウス外務委員会とハウス・セレクト情報委員会の元会長。イラン/コントラ調査委員会議長。CFRメンバー。
リチャード・ベン・ベニステウェストフィールド社とウェストフィールド・アメリカを代表するメイヤー・ブラウン・ロー&モー法律事務所のパートナー。世界貿易センターの崩壊のために、法廷命令により数十億ドルの保険金受益者。
ボブ・ケリーインテリジェンスに関する上院委員会の副議長。ケリーは1999年のワシントン・ポストのコラムで、(200万人以上の民間人を殺害した)ベトナム戦争のことを「正義の戦争」と述べました。
フレッド・F・フィールディングニクソン大統領のホワイトハウスの法律顧問ジョン・ディーンのために働きました。ジョン・ディーン、つまりウォーターゲート事件の「ディープ・スロート」は、刑務所を回避しました。
ジェイミー・S・ゴレリック委員会法律顧問ダニエル・マルカスと共に、ウィルマー、カトラー、ピカリングの元および現パートナーで、サウジアラビアの王子と銀行とスーダン政府に対する被害者家族によって起こされた2002年8月の訴訟に対してモハメド・アル・ファイサルの公式な代表を務める法律事務所。そして住宅ローンの大企業ファニー・メイ副議長。ジャネット・リノの元副社長。CFRメンバー。
スレイド・ゴートン上院情報委員会を2年間務めました。
ジョン・F・リーマンレーガン政権の下で海軍の元長官。テイルフック事件を含む多数のスキャンダル不祥事を起こしました。
ティモシー・J・レーマーハウスインテリジェンス委員会のメンバー。
ジェームズ・R・トンプソンアメリカン航空、ボーイング、および多数のWTCテナントといった顧客を持っていた大規模なシカゴ拠点のウィンストン&ストローン法律事務所の会長。
フィリップ・ゼリコウジョージ・W・ブッシュ大統領の外交インテリジェンス諮問委員会メンバー。ブッシュ-チェイニー移行チームのメンバー。

「9-11委員会集合写真」委員会のウェブサイトより。
委員会の作業と最終報告書を行ったフィリップ・ゼ
リコウは含まれていません。

フィリップ・ゼリコウ

議長のキーンとハミルトンは、委員会の公式の顔を務めていました。関心の衝突は十分に懸念すべきですが、委員会の実際の作業はフィリップ・ゼリコウの手で行われ、事実はデビット・レイ・グリフィンによる、委員会の偏見のある、手抜きの、歪曲された彼の本、9/11委員会報告書、で行われました。

...エグゼクティブディレクターとして、ゼリコウは委員会のスタッフを担当し、そして、スタッフはこれらのスタッフメンバーがいて、テレビで私たちが見た委員会ではなく、彼らは委員会の実際の作業のほとんどを行いました。委員会は彼ら自身の独自の作業、議論とインタビューを、スタッフによって準備された資料にもとづいて行われるということです。キーンとハミルトンは、「フィリップ・ゼリコウが率いる専門のスタッフが、委員会が作り上げた正確な調査作業を実施した。」という彼らの声明で、これらの事実を引用しています。

グリフィンは、ゼリコウが多数のブッシュ・ホワイト・ハウスへのコネクションを持っていることを述べています。
  • ブッシュ I 政権の国家安全保障会議のメンバー
  • ブッシュ I 政権下で国家安全保障顧問ブレント・スコウクトフトへの援助
  • ブッシュ II のための国家安全保障顧問コンドリーザ・ライスとの本の共著
  • ライス、スコウクロフト、ディック・チェイニーとポール・ウォルフォウィッツが所属するアスペン戦略グループのディレクター
  • ブッシュ II 移行チームのクリントンのメンバー
  • 9/11委員会に任命されるまで、ブッシュ II の対外インテリジェンス諮問委員会のメンバー
委員会の仕事でフィリップ・ゼリコウの決定的な役割のため、グリフィンは委員会の最終報告書を「キーン-ゼリコウレポート」とも呼びました。


最終報告書

2004年7月22日に、委員会はその最終報告書、9/11委員会レポートを公開しました。私たち911リサーチチームは委員会のウェブサイトに公開された形式で、欠陥を改善したローカルミラーを提供しています。委員会は2004年8月21日にクローズしました。


「手抜きな委員会」

9/11委員会は、攻撃の公式のストーリーと矛盾する広大な証拠体系を無視したために、「怠惰な委員会」の称号を得ています。例えば、委員会は、世界貿易センターの崩壊を目撃した消防士からヒアリングをしないことを決めました。(FDNYとDMSの担当者からの口頭証言体系は、委員会がそのドアを閉じた後まで抑圧されたままでした。)公式のストーリーに形式だけの判を押した委員会のアジェンダは、その後のヒアリングの実施でも明らかなように、その最終報告書の公表で一点の曇りのないものになりました。私たちの報告書の批判は、明白な嘘と矛盾が含まれていることを示していますが、面倒な事実を避ける主な手法が手抜きだということです。本質的に、委員会はマジシャンが行う手品のようなことを実行しており、ハイジャック容疑者、テロ・ネットワーク、そして脅威に対処することになっていたシステムの故障について詳細な語り口を振りまくことで、公式のストーリーにあるたくさんのレッド・フラグから注意をそらしています。


拷問に頼りそして拷問を支援

2008年はじめに公表されたNBCニュースの分析は、委員会の報告書は「強化された尋問テクニック」を使った拷問、拷問の形式として広く認識されている水責め、にひどく基づいていたと報告しました。分析の結論は次のことが含まれていました。
  • 尋問から得られた情報は、「報告書の最も重要な章の核心」でした。
  • 2004年はじめの取り調べの第2ラウンドは、委員会関係者の要求で、委員会の質問を答えるために特化して行われました。
  • 委員会によって依頼された尋問の少なくとも4人の被験者は、彼らの拷問を停止する方法として、「重要な情報」を提供することだと主張しています。
  • 報告書にある1700以上ある脚注の441はCIAの尋問に基づいています。
  • 委員会によって促された尋問の第2ラウンドは、30以上もの尋問セッションを含んでいました。

911陰謀論 #47 につづく

参考URL
http://911research.wtc7.net/post911/commission/index.html

911陰謀論 #45 公式調査-ペンタゴン

911陰謀論 #44 では、世界貿易センターの調査のうち、NISTが行った調査についてまとめました。

次はペンタゴンの調査についてまとめたいと思います。


ペンタゴンの公式調査

FEMAの報告書の表紙
世界貿易センターのサイトと同じように、米連邦緊急事態管理局(FEMA)は、犯罪現場の制御を取り、その公式調査を監修しました。また、マンハッタンのように、ワシントンのFEMA職員は、犯罪を調査し、報告書を書くために、米国土木学会(ASCE)からボランティアを任命しました。調査チームはBPS(建物性能調査)と呼ばれました。BPSは、クラッシュの証拠が利用できなかったので、クラッシュそれ自身ではなく、クラッシュに対する建物の反応を調査しました。

ペンタゴンBPSチームがサイトを訪問する時までに、航空機と構造破壊のすべての瓦礫は撤去されており、支柱は深刻な構造破壊のあった場所にありました。



FEMAの報告書

2003年1月に、FEMAのチームは「ペンタゴン・ビル・パフォーマンス・レポート」を公開しました。レポートは、BPSが9月から2002年4月の間に行われた分析を記述しました。

FEMAの報告書は、以下の詳細のように、ジェット旅客機の最終的なアプローチとクラッシュを説明しています。
  1. 757機は約780フィート/秒(時速860km)で近づきました。
  2. 近づく間に飛行機はわずかに左に傾きました。
  3. 左翼は、衝突の0.1秒前に、ペンタゴンの正面から約100フィートの建築物の一部に衝突しました。
  4. 左エンジンは、機首が建物正面に衝突する時に、地面に衝突しました。
  5. 機体の衝突はだいたい14番カラム・ラインを中心としました。
  6. 左翼は二階の厚板の下を通過し、右翼は浅い角度で厚板を横切りました。
  7. 衝突では、10番から14番のカラム・ラインから、1階の外装カラムを消滅させました。
  8. 衝突では、9番、15番、16番、17番のカラム・ラインの1階外装カラムをひどく損傷させました。
  9. 衝突では、14番カラム・ラインの2階外装カラムとそれに隣接するスパンドレル板を破壊しました。
  10. 正面のダメージは、衝突エリアの両側とも4階にまで広がったが、衝突エリア中心では3階を超えるまでは広がりませんでした。
  11. E-リング構造は、11番カラム・ラインの拡張ジョイントの下方から18番カラム・ラインの外装カラムの南までゆがみました。
  12. 8番カラム・ラインから18番カラム・ラインまでの間のE-リングのすべての5階構造は、衝突後約20分で崩壊しました。
ペンタゴンBPSがなぜこの研究の公開に8ヵ月かかった理由は明らかにされていません(対照的に世界貿易センターBPSは2002年5月に速やかに公開されています)。報告書は、飛行機のスピードのように、支持されない定量的な詳細で、飛行機の軌跡のあいまいな説明を行っています。これは、約4フィートでCリングのパンチ穴を埋め合わせるように、ダメージの説明には誤りがあります。

ペンタゴンBPSは77便衝突の唯一の政府の調査として存在を認められていますが、建物の性能調査として定義されそして制限されています。国家運輸安全委員会(NTSB)による衝突の調査はありませんでした。NTSBのウェブサイトの「77便の考えられる原因」には、次のように書かれています。

2001年9月11日の同時多発テロは、連邦捜査局の管轄下にあります。安全委員会は米連邦捜査局(FBI)に要求された技術支援を提供し、NTSBによって生成されたどんな資料もFBIのコントロール下にあります。安全委員会は報告書を発行したり情報を一般公開することは予定していません。


パデュー大学の研究

パデュー大学のコンピュータ科学者や技術者のグループが、ペンタゴンに衝突した757機のシミュレーションを作成しました。彼らは、原子炉格納容器がある建物のような鉄筋コンクリート構造物に飛行機が衝突することに関する文献体系の存在を指摘しました。菅野およびそのメンバーによって行われた1992年の研究は、480mphで10フィートの厚さのスチール補強コンクリートブロックに衝突するF-4Dファントム・インターセプター・ジェット機について、資料にまとめています。研究では、ブロックに単に浅い印象を残しながら、ジェット機のほとんどは紙吹雪にまで砕け散りました。

480mphでそのようなブロックへのF-4機の衝突と、300~450mphでペンタゴンのカラムで補強された建物の壁への757機の衝突とを比べることの間には限界があるけれども、菅野の研究はパーデュー大学の科学者たちに、どのように757機の衝突が実際に起きたのか、そしてどのようにそれが建物奥深くのカラムを壊したのか、疑問をあげています。ダメージを説明するために、彼らは液体ハンマー効果、つまりダメージのほとんどを生み出したのはジェット機の燃料の影響だということを、仮定しました。

パデュー大学のシミュレーションの
フレーム33
飛行機事故のパデュー大学の研究のシミュレーションは、その現実主義に限定されていました。「LS-Dynaを用いた911ペンタゴン攻撃シミュレーション」というウェブページに掲載されたシミュレーションは、ペンタゴンの1階カラムにエンジンレスの飛行機が衝突したことに限定されています。それは正面の壁や2階の厚板やカラムを考慮していません。これは、ジェット機が地上から数インチのところを両翼を持って進んで中に入って行き、両翼の端は建物の中に入りカラムによって切り刻まれたことを示しています。破裂した壁のおよそ96フィート長に渡って、一致できない両翼の部分をゆがめた壁の効果をシミュレーションすることは、パデュー大学の研究範囲を明らかに超えていました。


911陰謀論 #46 につづく

参考URL
http://911research.wtc7.net/pentagon/official/index.html

911陰謀論 #44 公式調査-世界貿易センター(NIST)

911陰謀論 #43 では、世界貿易センターの調査のうち、シルバースタインが行った調査についてまとめました。

次も世界貿易センターの調査で、NISTが行った調査についてまとめたいと思います。


NISTの調査

NIST(国立標準技術研究所)は、アメリカ商務省の技術管理内にある非規制連邦政府機関です。その調査の進捗状況についてのNISTの2003年5月7日のニュースリリースで、機関が証拠へのアクセスが無かったことによって、調査が妨げられてきたという明確な証拠があります。

ASCEからのボランティアに頼っていたFEMAの調査とは対照的に、NISTの調査は議会によって資金を供給されました。しかしながら、NISTの調査は、すべてのスチールがグランド・ゼロから除去されてリサイクルされるまで、開始することさえもしませんでした。2002年3月5日に、FEMAの建物性能研究のリーダーであるW・ジーン・コーリーは、2001年9月11日に破損し崩壊した建物の性能をさらに詳しく調査する必要性についてハウス科学委員会に証言しました。彼自身での研究がほとんど完成し、コーリーは適切に問題を研究するためには4000万ドルかかるだろうと述べました。

4000万ドルはスチールや他の破片を備蓄する費用をカバーしています。スチールを調査し、物理的にスチールをテストし、スチール、火災、飛行機、そして爆風の完全とはいえないまでも部分的なパラメトリック・コンピューター・モデリングをします。そして、脱出の問題の検討です。とコーリーは伝えています。研究から、構造設計上の負荷として火災に対処し、火災の条件の下で構造的な接続部のふるまいを理解するために、ツールを開発することができます。ツールは、また、崩壊が進むことに対する戦略を見るために開発することができます。

スチールを備蓄し評価するための数百万ドルをコーリーが要求することは、彼の証言の時点でほぼすべてのスチールがリサイクルされていたので、率直ではないように見えます。彼のASCEのボランティアは156個のスチール、その大部分は大きなものから切り出された小さな「試片」を保存していました。NISTはスチール、そのうちの41個は2002年5月に受け取ったものであるが、それを保存するために特別な施設を必要としないだろう。

2002年に、NISTの連邦ビル火災安全調査は、1600万ドルの予算が賄われており、その後の2年間で数百万ドルの歳出を追加で補てんしました。これは、現場が片づけられる前に行われた建物崩壊の単なる調査資金のためにFEMAが割り当てた60万ドルとは対照的です。国家建設安全チーム法という新しい法律(もともとはH.R. 4687)は、2002年10月1日に法制化されました。

調査が公式のストーリー、ツインタワーと第7ビルの崩壊がジェット機の衝突から生じたということ、の範囲内で厳密に行われたということは、NISTのウェブサイトを読むことから明らかです。災害に対するNISTの反応についてのプレゼンテーションは、「崩壊を引き起こす技術的な原因を確立し、学ぶべき教訓を引き出す」ために「クリティカルかつ緊急の国家的な取り組みが必要」ということを主張しています。しかし、2005年後半の世界貿易センター崩壊に関する最終報告書の出版に先立って、NISTサイト上のどの記事も崩壊が制御解体によって引き起こされたという可能性を言及していませんでした。


ツインタワーに関してのNISTの最終報告書

NISTの最終報告書
崩壊の本質的なことは述べられ
ておらず、また第7ビルについて
も述べられていないため誤解を
招きます。
2005年4月5日に、NISTは、ほとんどまる3年を費やした調査結果に関する事前レポートをリリースるための記者会見を開催しました。主任研究員シャム・サンダーは、NISTの調査結果の要旨を明らかにし、損傷した耐火設備が崩壊の主犯人と伝えました。「両方のタワーが崩壊した考えられるシナリオの最終版」とサブタイトルのつけられた4月5日のプレゼンテーションのためのNISTのウェブページは、飛行機のクラッシュをモデル化することは崩壊を調査することよりも優先度が高いと伝えようとしているのが明らかでした。それは、ボーイング767がそれぞれのタワーに衝突することをコンピューター・シミュレーションすることを含んでいましたが、崩壊そのものについては含まれていませんでした。

2005年8月に、9-11リサーチは、ベター・ミラージュの構築、世紀の犯罪NISTの3年間での2000万ドルの隠蔽、ジム・ホフマンによる0.98版、を出版しました。エッセイは世界貿易センター(ツインタワーのみ扱い、完全に崩壊した3番目のWTC7タワーは含まない)の崩壊に関するNISTの採取報告書のドラフトを批評しました。(レポートの詳細タイトル、世界貿易センターの崩壊に関する国家建設安全チームの最終報告書(案)、は同様に誤解を招く恐れがあります。)ホフマンのエッセイは、どのようにツインタワーが完全に崩壊したかというコアの質問を避けて、ジェット機の衝突のような十分に理解されている攻撃の様相をモデル化することをNISTが進めていたことを指摘しました。崩壊が開始する前にそのモデルのタイムラインを切り捨てることによって、NISTは崩壊を説明する定められた目標を回避しただけでなく、崩壊によって見せられた制御解体の多数の特徴を開示することも避けました。このエッセイの出版に続いて、NISTはウェブサイトを変更し、ドラフト版の報告書への直接アクセスを防止しました。

2005年12月に、9-11リサーチはツインタワーについてのNISTの最終報告書に取り組み、ベター・ミラージュの構築の更新版を公開しました。NISTの最終報告書とドラフト版との主な違いは、最終版はNISTが制御解体の証拠に対処できなかった批判に通り一辺倒で誤解を招くような回答が含まれていることです。更新されたベター・ミラージュの構築は、批判に対するNISTの空虚な反応というセクション内で、NISTの反応を詳細に分析しています。

NISTは非規制機関であり、それゆえにそのレポートの勧告は法の強制力を持っていないことは注目すべき点です。「ありえそうな崩壊シーケンス(衝撃損傷や火災進行のシナリオの誤った名称)」の中のキーイベントがジェット機の影響による防火機能の欠落なので、タワーの建設ミスを避けています。


第7ビルに関してのNISTの最終報告書

2008年8月21日に、NISTはWTC第7ビルに関しての最終報告書のドラフトをリリースする記者会見を開きました。ドラフトは半ダースのPDF文書を含んでおり、それらはロックされていました。NISTの調査をより透明にする研究者の作業は、文書のロック解除版を公開しました。ブロガーは、聴衆からの質問にシャム・サンダーの回答で明確な不合理をしてきました。シティ・イン・ザ・スカイという擬人化を含んだ本の共著者でもあるニューヨーク・タイムズのレポーター、エリック・リプトンは、出席者に対する「陰謀論」によって、議論を要約した記者会見のレビューを書きました。

NISTはその報告書に関する一般コメントをたったの30日だけ受け付けました。科学者、建築家、エンジニアを含む16人の研究者グループは、期限前にNISTのWTC技術情報リポジトリに手紙を提出しました。手紙は、NISTの報告書における調査の多数の不整合、サポートされていない結論、調査の失敗を指摘しています。「世界貿易センタービルの崩壊に関する最終報告書」あるいはNIST NCSTAR 1Aとも呼ばれるNISTの最終報告書は、2008年11月にリリースされました。

報告書のレビューの中で、内部告発者のケビン・ライアンは次のように指摘しました。
  • 最終報告書は、NISTが完全に物理的なテストを回避したことを示しています。その代わりに、彼らの崩壊理論をサポートするコンピュータモデルを作成しましたが、調査のためにはそのモデルを一般に公開することさえもしませんでした。
  • 新しい報告書の中で、NISTはニューヨーク・タイムズやFEMAによって、2001年から促進される理論をそっと落としました。ディーゼル燃料に崩壊の責任があった、それはノースタワーの落下による広範囲の被害を最小限に抑えることができます。
  • 記者会見、この報告書とツインタワーの以前の報告書の一般コメント期間、で直接NISTに提起されたにもかかわらず、NISTは建物の基礎の溶融金属、そしてFEMAによって記述されたスチールの硫化、の膨大な証拠を完全に無視しました。NISTの報告書の著書や崩壊理論の他の支持者といった人たちの行動は、彼らはまるでテルミットの発火を全く聞いたことのないかのように、テルミットに基づいた高度なエネルギー物質の調査の最前線にいました。
  • NISTは、「崩壊」の全体は熱膨張を介して柱の支えをビーム状に切断したことで引き起こされたという理論を押し進めており、これは実際の建物火災や建物火災シミュレーションによって示されたものとは反対の挙動であり、剛性を残して接続部を破壊することよりむしろ重度に加熱したビームが下方へ下がり接続部はそのままというものでした。
  • その新しい理論をサポートするために、NISTは明らかにでっち上げに頼り、以前の報告書に反して、けたがせん断されたくぎを失い、接続部ごとに2つだけのボルトしか残されていなかったと主張しています。
NISTの最終回は、2008年12月に行われたNIST WTC 7の調査に関する質問と回答でした。その中で、NISTはツインタワーの報告書上でのFAQで使ったのと同じ詭弁を繰り返し、テルミット/サーメートはあまりにゆっくり作用するので解体ツールとしては不適切だっただろう、スチール製品に反してあまりに強く押し続けていただろう、そして検出されないようにするためにあまりにも多くの準備と大量の材料を必要としただろう、ということを含めました。NISTは、爆発の証拠のためのテストは「必ずしも決定的ではなかっただろう」と以前の主張を繰り返しています。

NISTのアイデアが無能なのは、テルミットベースの崩壊に反する身代わりの男の口述と放火原因を探そうとしない口実の両方で明らかです。ツインタワーの報告書に補足するための義務的な公式の対応要求の中で、NIST関係者は、試験が決定的であることについて、誤った文言を訂正するよう求められていました。


911陰謀論 #45 につづく

参考URL
http://911research.wtc7.net/wtc/official/nist/index.html

911陰謀論 #43 公式調査-世界貿易センター(シルバースタイン)

911陰謀論 #42 では、世界貿易センターの調査のうち、FEMAが行った調査についてまとめました。

次も世界貿易センターの調査で、シルバースタインが行った調査についてまとめたいと思います。


シルバースタインの調査

シルバースタイン・プロパティ社は、2001年の夏に、世界貿易センター複合体全体の制御、それとそれをカバーする保険を獲得しました。その保険請求の一環として、ワイドリンガー・アソシエイツ社に研究を委託しました。

ワイドリンガーの研究は、フロア・トラスの代わりに柱の耐火性を非難することによるNOVAとディスカバリー・チャンネルによって一般的になったトラス破壊理論とは対照的です。フローリング・システムの疑いを晴らすことによって、シルバースタインの研究は欠陥構造が崩壊の役割を果たしたという責任を避けています。

シルバースタインの保険訴訟のためにワイドリンガーが研究をおこなったというその役割のために、研究結果の詳細は公開せずに隠されたままとなっています。


ワイドリンガー・アソシエイツ

ワイドリンガー・アソシエイツ社のトッド・リッテンハウスが、9月13日の記事の主題となった世界貿易センターの崩壊についてCNN.comにインタビューをして以来、ワイドリンガー・アソシエイツ社の名前が攻撃の直後に浮上しました。記事はリッテンハウスのこの記述が含まれています。

トッド・リッテンハウスは、国際的なコンサルティング・エンジニアリング企業ワイドリンガー・アソシエイツ社からの爆破工学の専門家で、多数の大使館や政府の建物の爆破エンジニアとなっています。彼はオクラホマシティや以前の世界貿易センター災害などの問題を議論するために呼び出されました。

2006年1月に、ジェレミー・アイゼンバーグ博士は、ワイドリンガー・アソシエイツ社の最高経営責任者(CEO)として、レイモンド・ダダジオによって成功しました。WAI.com プレス・リリースは、ダダジオを次のように述べました。

1996年以来、ダダジオはワイドリンガーで応用科学部門のディレクターで、衝撃や振動、構造上の極端な負荷、それとリスク評価の分野で国防総省との重要な契約に責任を持っています。

ダダジオは、アメリカ政府のテクニカルサポート・ワーキンググループの物理的セキュリティプログラムの主要な連絡役で、各省庁や国際的研究を識別し、優先順位付けを行い、調整をしたり、テロに対抗するための要件を整理したりしています。彼は軍と民間施設の保護のための新しい戦略を立ててテストするために、国防総省と全国的に活動しています。


911陰謀論 #44 につづく

参考URL
http://911research.wtc7.net/wtc/official/silverstein.html

911陰謀論 #42 公式調査-世界貿易センター(FEMA)

911陰謀論 #41 では、公式調査の概要についてまとめました。

次から公式調査の個別の事案についてみていきます。
最初は世界貿易センターです。

世界貿易センターの調査は大きなもので3つ行われています。
政府の調査として、米連邦緊急事態管理局(FEMA)が行ったものと、アメリカ国立標準技術研究所(NIST)が行ったものがあります。
個人で行われた調査としては、シルバースタインが行ったものがあります。

まずは、FEMAの調査についてです。


FEMAの調査

米連邦緊急事態管理局(FEMA)は、飛行機の衝突と火災によって引き起こされた構造的な破壊としての、3つの世界貿易センタービルの破壊を説明するための、最初の公式の政府の報告書を作成しました。それはグラウンド・ゼロの「クリーンアップ」における中心的な役割を果たし、そして、調査が必要とする証拠体系のほぼすべてを破壊に導きました。


調査の歴史

攻撃をきっかけにして、米国土木学会(ASCE)のエンジニアのグループが9月11日の攻撃で起きたWTCビルの構造的な反応を調査するのに志願しました。最終的にFEMAはASCEボランティアの調査を引き継ぎ、彼らを建物性能評価チーム(BPAT)と呼びました。

W・ジーン・コーリー博士、イリノイ州スコーキーにある建設技術研究所の上級副社長は、主任研究者を務めていました。コーリーはまた、1995年に起きたマラー連邦政府ビル攻撃の、FEMAの研究の主任研究員でした。BPATの調査には、FEMAから60万ドル、ASCEの現物出資で50万ドルの資金が供給されました。2001年12月までに、10万ドルが調査で使われました。

BPATは召喚状を発する権力を持ってませんでした。それゆえに、建物の設計図のような重要文書へのアクセスを得ることができませんでした。

2002年の5月に、FEMAは世界貿易センタービルパフォーマンス研究をリリースしました。2005年3月までは http://www.fema.gov/library/wtcstudy.shtm で見ることができ、それ以来は http://www.fema.gov/rebuild/mat/wtcstudy.shtm で見ることができました。911リサーチチームは 恒久的な完全ミラーサイト を作っています。


FEMAの報告書

FEMAはPDF文書の形式でのみその報告書を公表しました。nerdcities.com/guardian ウェブサイトを作った匿名の著者は、ほとんどの章をHTML形式に変換して、何か所かにコメントを追加して、公開しました。これらの章は、911リサーチチームのnerdcities.com/guardian ウェブサイトの部分ミラーと同様に、ここにもリストします。

FEMAの報告書(「guardian」の著者によってコメントが付けられています)

目次
1章 はじめに (コメント付き) 
2章 WTC1およびWTC2 (コメント付き) 
3章 WTC3
4章 WTC4、5、6
5章 WTC7 (コメント付き) 
6章 バンカース・トラストビル
7章 周辺の建物
付録 A ビルの防火設備の概要 (コメント付き) 
付録 B 構造用スチールとスチールの接続 (コメント付き) 
付録 D WTCスチールデータ (コメント付き) 

nerdcities.com/guardian の著者は付録CのHTMLバージョンを提供しなかったので、911リサーチチームがそれを提供しています。

付録 C 限定された金属検査


報告書の記述

BPATのメンバーによって書かれた、報告書は、ジェット機の衝突がどのように世界貿易センターの破壊につながったのかを説明することを目的としています。付録の1つは、明らかにフレッシュキルズ埋立地で撮影された写真があり、塗装スプレーで番号が書かれたスチール・ピースを見ているスポーツ用の固い帽子とスケールを持った人たちが映っています。BPATは、明らかにグラウンド・ゼロへ立ち入っての評価をしませんでした。報告書は崩壊の写真をたった1枚だけしか示していませんが、目を楽しませてくれるカラフルなイラストがたくさんあります。

報告書はたくさんのカラフルな漫画のような図面で示されており、そのうちの1つはFEMAが主張する床崩壊のメカニズムを説明しています。タワーがコア構造を持っていなかったと考えるよう、あまり詳しくない読者を欺くために細工されたように見えます。

そのような湾曲した説明にもかかわらず、FEMAの報告書は、、NISTのレポートなど他の場所では文書化されていないイベントについてかなりの量のデータをこれ見よがしに提供しています。例えば、付録Cは観察、つまり犯罪科学の立場に立った関心を述べています。それは、スチール部材が硫化性の攻撃によってひどく腐食されていたということです。

911陰謀論 #43 につづく

参考URL
http://911research.wtc7.net/wtc/official/fema.html

911陰謀論 #41 公式調査-概要

911陰謀論 #40 では、WTCのスチールの撤去についてまとめました。

これでグラウンド・ゼロ関連については一通りまとまったので、次からはテロ後に行われたさまざまな調査のことについてまとめていきます。


様々な(非)調査

9月11日のニュースに注意を払っていた職員たちは、その日の終わりまでに次のようなことがその日のイベントにあったことを知っているだろう。
  • 空港セキュリティにおける最大の失敗、そして歴史上の(原始的な武器を用いて行われた)初めての4重ハイジャック
  • コースを外れた航空機をインターセプトするという標準操作手順の、複数かつ前例のない失敗
  • 国家の歴史の中で、民間人の生命と財産を守るための、軍の最大の失敗
  • 十分な警告時間を持っていたにもかかわらず、ほとんど認識していたテロリストのターゲットのうちの2つを守るための、失敗
  • 記録された歴史上で3つの最大規模の構造的な障害:世界貿易センター1、2、7の総崩壊
  • アメリカの歴史の中で高層ビルの唯一の崩壊
明らかに、この大規模な失敗はもっとも正直で骨の折れる十分なソースのある調査を行うのが当然です。2007年1月に至るまで、この時には証拠のほとんどが破壊され、そのような調査がまだ行われていません。その代わりに、いろんな真実の調査を停止する努力がなされてきました。


防空障害:昇進そして懲戒はなし

ニューヨークシティとワシントンDCを守るのに、北米航空宇宙防衛司令部(NORAD)、国家航空警備隊、そして空軍が巨大で不可解な本質的な失敗をしたにもかかわらず、公共的な調査は行われず、そして関係者は誰も懲戒を受けることはありませんでした。逆に、911の統合参謀本部副議長リチャード・マイヤーズ大将は、失敗に関する基本的な質問に答えるために無力だったにもかかわらず、わずか2日後に議長を確約されました。攻撃時のNORADの司令官ラルフ・エバ-ーハートは、後に新しく作成されたアメリカ北方軍(NORTHCOM)の司令官に選ばれました。


WTCの大災害、「不明瞭な権限体制」妨害された崩壊調査

攻撃の48~72時間以内に、以下の機関の代表者は、世界貿易センター攻撃のシーンにおいて、データを集めていたとされています。
  • 米連邦緊急事態管理局(FEMA)
  • 米国土木学会(ASCE)
  • 国立科学財団(NSF)
FEMAとその請負業者のグリーンホーン&オマラ社は、建物性能評価チーム(BPAT)を形成し、世界貿易センタービル・パフォーマンス・アセスメント研究となる予定でした。BPATの研究者は、「観光旅行」として述べられた実地検証を除いて、グラウンド・ゼロで証拠へのアクセスを拒否されました。彼らは召喚状を発する権限を持っていませんでした。

これらの機関によって行われた「調査」は、うまく管理されずそして「混乱していた」ことが、広く認識されている(しかし広く認められていない)。建物の障害を調査することになっていた人たちは、決定的な証拠を調査することを妨げられました。米下院でヒアリングされた2002年3月6日委員会に与えられた権限には、次のような問題点がありました。

  • 建物の性能の研究者が、犯罪調査が行われるのと同じ様な、同時実行する探索や救助努力をする彼らの調査を、指揮したり取りまとめたりする方法についての明確な権限の欠如と効果的な手続きの不在
  • 青写真、設計図面、メンテナンス記録を含む、調査に欠かせない文書が入手困難だったこと
  • BPAT研究の機密性の結果として、不確実性があったこと
  • 調査完了と学んだ教訓の適用に対する戦略として、不確実性があったこと


本格的な調査への継続的な閉塞

議会筋によると、2002年1月29日に、ブッシュ大統領は個人的に上院院内総務トム・ダシュルに9月11日のイベントの議会での調査を制限するよう頼みました。

2002年5月23日に、ブッシュは、どのように政府は9月11日の前にテロへの警告を扱っていたかを徹底的に調査するための、特殊かつ独立した委員会の設立に反対したことを述べました。次の声明は、ミネソタ州FBIエージェントのコリーン・ローリーがFBIディレクターのミュラーに手紙を送ったわずか2日後のことでした。「ハイレベルのFBIマネジメントのであるあなたや他の人たちによる事実の精巧で狡猾な陰影/除去が発生したことそして発生しようとしていることに、私は深い懸念を持っています。」

9/11攻撃の1周年の記念日に、ニューヨークタイムズは次のように嘆きました。

1年経ち、国民は白昼のマンハッタンのふもとで2801人が死亡した状況について、1912年の国民がタイタニック号について数週間以内に知っていたことほど、知っていない。

2002年11月27日に、ジョージ・W・ブッシュはヘンリー・キッシンジャーを9/11攻撃の「独立した調査」の議長に任命し、後に9/11委員会と呼ばれました。キッシンジャーは、秘密へのやむことのない熱中のために有名で、アメリカ国外の戦争犯罪と広く考えられていました。2002年12月13日に、キッシンジャーは、彼のビジネスクライアントを開示する要求に従うよりも、職務を辞任することを選びました。2002年12月16日に、ブッシュは委員会の委員長としてキッシンジャーを置き換えるためにトーマス・ケインを任命しました。ブッシュ政権は、職員の証言を制限することによって、既に大きな対立を生んでいた委員会を無力にしました。キーンは、今でもドリュー大学の学長に残っているだろうが、委員会に週1日をささげると述べました。委員会は、公式のストーリーに疑いを持つものによって作られたいかなる責任を示すことなく、2004年8月にその扉を閉めました。


911陰謀論 #42 につづく

参考URL
http://911research.wtc7.net/post911/probes.html

911陰謀論 #40 WTCのスチールの撤去

911陰謀論 #39 では、グラウンド・ゼロのアクセス制限についてまとめました。

次はWTCのスチールの撤去です。


グラウンド・ゼロの証拠の迅速な破壊

スチールは建物の構造材料でした。それ自体は、どのようにして構造物が衝突を受けて火災が発生したかを組み立てるために保存すべき最も重要な証拠でしたが、その後瓦礫の中に崩壊しました。火災による鉄筋高層ビルの崩壊がまったく前例がないので、スチールは詳細な分析を行う必要があります。そして当局はこの大規模な犯罪と前例のない技術的な障害のキーとなる証拠について何をしましたか?彼らはそれをリサイクルしました!

構造用スチールのいくつかの185,101トンは、グラウンド・ゼロから持ち出されました。ほとんどのスチールは、迅速に瓦礫をニュージャージー州にあるスクラップ回収所に送るよう市の決定通りにリサイクルされました。市の性急な動きは、スチールはもっと徹底的に調査を行うべきと信じている多数の被害者家族を憤慨させました。先月、火災の専門家は、調査者が瓦礫を保存する権限を持っていなかったために、スチールの80%は調査されずにスクラップされたと委員会に話しました。

スチールの大部分は中国やインドに出荷されたようです。中国企業の宝鋼は、1トン当たり120ドルのレートで50,000トンを購入しました。前年度に地元の工場が支払っていた平均価格は160ドルでした。

元工学専攻のブルームバーグ市長は、証拠の破壊について関心を持ちませんでした。

もしあなたが構築手法や設計手法を見たいのなら、今ならコンピュータがしてくれます。金属片を見るだけでは、何も教えてくれません。

スチールの撤去スピードは、攻撃の後の最初の数週間でさえも、非常に迅速に行われました。9月29日までに、瓦礫の13万トン、その大部分は明らかなスチールが、撤去されました。

FEMAによってコントロールされる公式調査の間、150ピースのスチールが将来の研究用に保存されました。数十万ピースのうちのたった150ピース!その上、これらの特定ピースを保存する決定をした人は明らかになっていません。明らかになっているのは、ボランティア研究者がフレッシュ・キルズ・ダンプで作業し、グラウンド・ゼロではなかったということで、彼らがアクセスできたスチールはすべてクリーンアップ・オペレーション運営者によって選び出されました。


高感度物質の瓦礫

責任者がコンピューターシミュレーション時代でどんな調査も無駄なスチール瓦礫を考慮する時、溶鉱炉以外のいかなる場所も「終わらない」と思う苦労をしたのは明らかでした。彼らはグラウンド・ゼロから運び出されるトラックの1台1台に、各1000ドルのGPSロケーター・デバイスを設置しました。securitysolutions.comのウェブサイトには、経路追跡システムの記事があります。

99%のドライバーは自分たちの仕事を非常に厳しく行わされました。しかし、道路はひどい高感度物質で構成されたので、大きな関心事でした。例えば、あるドライバーは、1時間半に昼休みを延長したのですが、そのことについて犯罪をおかしたわけでもないに関わらず、彼は解雇されました。


証拠を遮蔽する調査官

FEMAによると、35万トン以上のスチールがグラウンド・ゼロから持ち出され、リサイクルのために切断を行うスクラップ回収所にトラックで運び出されました。4つのスクラップ回収所がスチールを処理するために契約しました。
  • ヒューゴ・ヌー・シュニッツァー:フレッシュキルズ(FK)埋立地、ニュージャージー州スタテンアイランド
  • ヒューゴ・ヌー・シュニッツァー:クレアモント(CM)ターミナル、ニュージャージー州ジャージーシティ
  • メタルマネジメント:ニュージャージー州ニューアーク(NW)
  • ブランフォード:ニュージャージー州キースビー(KB)
FEMAのBPATは、WTCビルのパフォーマンスの研究をまとめましたが、グラウンド・ゼロへのアクセス権を与えられませんでした。彼らはスクラップ回収所からスチールのサンプルを採取することさえも認めらえなかったようです。

WTC現場からのスチールの収集と格納は、FEMAや米国土木学会(ASCE)がスポンサーとなったBPSチームによるものではありませんでした。


いくつかのスチールの運命は数年後明らかにされました

JFK空港の格納庫に格納されたツインタワーの
大規模なコア柱の土台の1つ
(Up from Zero)
世界貿易センターのスチールの撤去とリサイクルが被害者家族や他の正しい調査を求める人たちの異論を無視して行われてきたことを考えると、世界貿易センターのスチールのパーツのいくつかが保存されたということが後年に明らかになったことは驚くべきことです。ツインタワーからの最も重いスチール片の多くは、ジョン・F・ケネディ国際空港の80,000平方フィートの格納庫に格納されています。これらはタワーの大きなコアとなる柱の基盤部分やタワー周囲の壁の土台となる153本あるうちの13本のスチールといったものが含まれます。これらのピースはUp from Zeroというテレビ映画で見ることができます。

報告によると、「全瓦礫」の1/500を保存している格納庫は、一般の立ち入りが禁止となっています。グレイストーン協会の会長スコット・ヒューストンは、ペンシルバニア州コーツビルにある鉄鋼遺産博物館のためにスチールの3つを取得しようとしています。

ツインタワーの無傷の支柱の存在の発見は、スチールのサンプルをテストしたいと考える独立した研究者にとって良い知らせのように思われます。しかし、タワー内のこれらピースのあった場所は、それらを保存されることが許された理由を示唆しています。大きなコアの支柱部は、タワーの基盤部分、つまり1階よりも7階下に建てられ、周囲の支柱はロビー階、つまりちょうど1階でした。タワーのこれらの下部の部分だけが、およそ4階にいたるまでスチールが切り刻まれた爆破を逃れました。これはノース・タワー中心部の下部領域で18人が生き延び、各タワーの周囲の壁の破片が立ったままであった事実から明らかです。最後の構造部のスチールが2003年5月に現場から撤去されたと考えられていましたが、2007年1月にいくつか大きなスチール残骸個所が、クリーンアップ・オペレーションで作られた道路下に現場の発掘調査で回収されました。人間の遺体を発見するために委託された発掘調査では、既に約300人分の骨を見つけていました。2つのスチール残骸個所は、約18フィート長でおそらく重さが約60トンある支柱や周囲の壁から3か所接続するスチール支柱といったものとして記述されました。鉄骨はクリーンアップ・オペレーションで、おそらくは地面を安定化させるために、明らかに埋められました。また、「発見の知識を持った」人によれば、WTCサイトの反対側で発見されたのは、「片側の端が明らかに燃焼されていた」支柱でした。


WTCのリサイクルストールがUSの軍艦で使用されました

2006年のニュース記事は、世界貿易センターの24トンのスチールが、ミシシッピ州のほとりにある造船所でノースロップ・グラマン社によってU.S.S. ニューヨークという名前の軍艦を製造するために使用されていたことを報告しました。


911陰謀論 #41 につづく

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911陰謀論 #39 グラウンド・ゼロのアクセス制限

911陰謀論 #38 では、グラウンド・ゼロを取り巻くプレーヤーについてみてみました。

次はグラウンド・ゼロのアクセス制限についてまとめます。


研究者のグラウンド・ゼロ閉鎖

歴史上3つの最大規模かつ最もミステリアスな構造障害が起きた現場からスチールが取り除かれる間、FEMAのチームが障害の調査を行うために構成した建造物性能評価チーム(BPAT)は証拠現場へのアクセスを拒否されました。衆議院の科学委員会は、FEMAのいくつかの側面、適切な調査を抑制する制限されたオペレーション、をのちに識別しました。
  • BPATはスチールをコントロールできませんでした。つまり「リサイクルで重要な証拠を失う前に、研究者は調査のためにスチールを押収する権限」を持っていませんでした。
  • FEMAはBPATのメンバーに機密保持契約にサインするよう要求し、「独立した研究者たちの努力で崩壊を理解しようという動きを挫折させました」。
  • BPATは「該当する建物の文書」へのアクセスを与えられませんでした。
  • 「BPATチームは計画も十分な基金も持っておらず、WTCビルの崩壊の理由を決定するために収集した構造データを十分に解析することもできませんでした。
その計画を政府機関に対する訴訟で使わないという放棄条項にサインするまで、港湾局は建物の設計図のコピーを研究者に与えなかったと、ジーン・コーリーは委員会に不満を漏らしました。


ビル・マニングは「中途半端な茶番」と非難しました

消防技術マガジン編集者のビル・マニングは、犯罪現場から研究者を締め出すことに対し、消防コミュニティの中で懸念を強調しました。

マガジンは、FEMAによって祝福されアメリカ土木学会によって運営された「公式調査」が政治勢力によって既に支配されている中途半端な茶番だと信じる十分な理由を持っており、彼らの主目的は、それを目立たないようにさせ、情報開示させないようにコントロールすることです。「観光旅行」として行ったあるソースによって記述されているACSE調査委員会のメンバーが行った3日間の証拠サイトのウォークスルーから得られたわずかな利益を除けば、誰もいいかなる証拠も確認できませんでした。

マニングもスチール構造物の破壊をはっきりと非難し、「証拠の破壊と撤去はただちに停止しなければならない。」と宣言しました。マニングは過去の災害時のオペレーションと比較しました。

彼らはトライアングル・シャツウェスト工場火災のロックされたドアを投げ捨てましたか?彼らはハッピーランド・ソーシャル・クラブ火災で使われたガス缶を投げ捨てましたか?彼らはメリディアン・プラザ火災での圧力調整バルブを投げ入れましたか?もちろん違います。しかし、本質的には、そういったことが彼らが世界貿易センターでやっていることです。

補足
トライアングル・シャツウェスト工場火災:1911年の火事
ハッピーランド・ソーシャル・クラブ火災:1990年の火事
メリディアン・プラザ火災:1991年の火事

マニングは、火災調査NFPA921の国家標準のレビューに基づくと、スチールの破壊が違法であり、10階建て以上のビルで火災が起きた際に証拠を保存する要件に対する免除は与えられないことを示しました。

消防専門家は世界貿易センターの証拠の隠滅を批判しています。

独立した調査を求める声は上院議員チャールズ・E・シューマーや上院議員ヒラリー・クリントンのような政治家からさえも来ました。専門家は、FEMAによってえらばれたボランティアが財政支援、スタッフのサポート、召喚状を発行する力を持っていないことを訴えました。


撮影禁止

9月26日、当時の市長ルドルフ・ジュリアーニはグラウンド・ゼロの写真撮影を禁止しました。グラウンド・ゼロの写真のページの最後の写真を撮った匿名カメラマン(AP)はこの市民研究者の扱いについて記述しています。

この帰り道を歩いている終わりのところで、ニューヨーク警察官が写真を撮るための許可証を見せるよう尋ねてきました。APは持っていないと言いました。担当者はどうやってこのサイトに来たかを尋ねました。APは歩いて入ってきたと言いました。他の警察官たちと相談を始め、何人かはここは犯行現場で写真は許されていないと言いました。

ニューヨーク警察署長とも相談し、彼はAPを現場からエスコートし、デジタルカメラを没収するよう導きました。署長はAPにこのサイトで写真を撮る公式の許可を取得するよう助言をしました。

ニューヨーク警察官はAPを近くのニューヨーク州警察官に連れていき、デジタルカメラを調べ写真を確認するよう伝えました。州警察官に疑われ、APと話すことなく、写真はもう一人いた州警察官によってカメラのコンパクトフラッシュメモリーチップから削除されました。

そしてAPはまた別のニューヨーク警察官によってサイトの外周にエスコートされ、APの名前を記録し、サイトから立ち去るかさもなければ逮捕すると警告を発しました。


911陰謀論 #40 につづく

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911陰謀論 #38 グラウンド・ゼロのプレーヤーたち

911陰謀論 #37 では、グラウンド・ゼロのダストによる被爆で起きた集団訴訟についてまとめました。

次はグラウンド・ゼロを取り巻くプレーヤーについてみてみます。


誰がグラウンド・ゼロの「クリーンアップ・オペレーション」を指揮しましたか

災害の起きた日にその場にいた男がルドルフ・ジュリアーニでした。市長として、彼はロウアー・マンハッタンの攻撃の犯罪現場に起きたたくさんのことをコントロールする立場にいました。彼は契約先を決める権限を持っており、緊急時の契約のため一方的にすることができました。彼はまた、現場へのアクセスを許可する人を制限する警察権力を使う権限も持っていました。


政府機関

オペレーションで最も権限を振るった連邦政府機関は、当初から関与していた連邦緊急事態管理庁(FEMA)でした。アメリカ陸軍工兵隊(USACE)も参加しました。隊のチーフ・エキスパートのアレン・モースは、FEMAの技術顧問を務めていました。

FEMA全国都市捜索救助チームのメンバートム・ケニーがダン・ラザーに行ったインタビュー内容から、攻撃の前にFEMAの担当者が派遣されたという噂が絶えず上がっています。

私たちはこの災害でニューヨーク市を支援するために現在配備された最初のチームの一つですね。私たちは月曜日の夜遅くに到着し、火曜日の朝にアクションに入りました。

しかし、FEMAの職員は、ケニーが誤ってしゃべったと、FEMAが早くに展開したことを否定しました。ボストン・ヘラルド紙はケニーの妻と話し、ケニーの夫は10日ではなく11日にニューヨークシティに行ったと伝えました。マイケル・ルパートは、マサチューセッツ州ハイアニスの消防署のメンバーとのインタビューで、ケニーが他のハイアニス消防緊急チームのメンバーと火曜日に出発したと、ケニーが誤ってしゃべったということに同意しました。ケニーがラザーのインタビューを受けた時、グラウンド・ゼロで長時間のシフトで睡眠不足だったので、月曜日を火曜日と混同してしまったことは驚くべきことではない。

ケニーの展開タイミングの問題は、FEMAがTRIPODと呼ばれる9月12日にニューヨークシティでバイオテロ訓練を計画しており、すでに11日よりも前に機材をその場所に用意していたことによって影が薄くなっています。 9月11日委員会への彼の証言で、元ニューヨーク市長ルドルフ・ジュリアーニは次のように言いました。

... ピア92が指令センターとして選ばれた理由は、翌日9月12日にピア92で訓練が行われることが予定されており、FEMAから、連邦政府から、国家から、国家緊急事態管理局から、数百人の人たちがそこにいたからで、彼らはバイオ化学攻撃の訓練の準備ができていたからです。そのために、訓練が行われる予定の場所で行うことになりました。機材がすでにあったので、私たちはそこに指令センターを、3日以内に、設置することができ、第7世界貿易センターで失った指令センターよりも2.5から3倍大きいものでした。そして、そこは捜索と救助作業の残りが完了された場所でした。

ジュリアーニのインタビューのトランスクリプトは、委員会のウェブサイトから省略されました。


法人


グラウンド・ゼロの4つに割り当てられた
建設マネージャーのゾーンを示す
色分け
ニューヨークシティの設計・施工部門は、瓦礫撤去を担当する建設マネージャー(CM)と呼ばれる4つの請負業者と契約を行いました。アメリカ陸軍工兵司令部(USACE)のウェブサイトによると、各CMは瓦礫撤去のゾーンまたはセクションを割り当てられ、3人のDDCチームに管理、監視されました。4つのCMは次のようになっていました。
  • タリー建設、サクラメント地区
  • ボヴィス・レンド・リース・インターナショナル、モバイル地区
  • AMEC施工管理、ポートランド地区
  • ターナー建設、ボルチモア地区
60,000トン以上の世界貿易センターの瓦礫除去の契約で2つのニュージャージー州の企業が入札を行いました。メタルマネジメント・ノースイーストが40,000トンを購入し、ヒューゴ・ノイ・シュニッツァーが25,000トンを購入しました。ノイ・シュニッツァー・イーストは国内で最大のスクラップリサイクル業者の1つです。メタルマネジメントの社長アラン・ラトナーは、同社が2002年1月までに70,000トンのスチールのスクラップを購入していたと伝えました。

コントロールド・デモリション(CDI)社は、スチールを撤去しリサイクルするキープレーヤーのようでした。CDIは、4つのクリーンアップ請負業者のうちの1つであるタリー建設社に保持されました。2001年9月22日には、CDIは25ページの「事前」文書をニューヨークシティの設計・施工部門に提出し、その計画は承認されました。ニューヨークシティの設計・施工部門のコミッショナーとグラウンド・ゼロクリーンアップ作業の責任者はケネス・ホールデンでした。

ウィークス・マリン社はスチールの撤去を加速するため、9月の最終週にピア25とピア6に2つのスチール出荷場を作りました。

グレート・レークス・ドレッジ&ドック社は、瓦礫の除去を用意にするため、ピア6を沈めるための79万500ドルの契約を獲得しました。


911陰謀論 #39 につづく

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911陰謀論 #37 グラウンド・ゼロ被爆の訴訟

911陰謀論 #36 では、グラウンド・ゼロの災害について整理し、崩壊時のダストで健康被害が起きていたことが分かりました。

次にグラウンド・ゼロのダストによる被爆で起きた集団訴訟についてまとめようと思います。


EPAとWTCオーナーを相手取った集団訴訟

攻撃の後3年が経つまでに、グラウンド・ゼロの毒物に被爆した人達に代わって、2つの集団訴訟が既に行われました。


集団訴訟で環境保護庁が被告となりました

環境保護庁(EPA)は9/11攻撃が起きて数週間の間に一連のプレスリリースを発行し、空気を呼吸しても安全だとニューヨークシティの住民たちを保証しました。

2004年3月10日に、バーガー&モンタギュー法律事務所は、「2001年9月11日の世界貿易センターの崩壊の結果として危険物質にさらされたマンハッタン南東部やブルックリンの住民、学校、オフィスワーカー達」の代表による、クリスティーン・トッド・ウィットマン(元EPA管理者)、マリアン・L・ホリンコ(元アシスタント管理者、現EPA管理者)、マイケル・レビット(2003年11月からのEPA管理者)、そしてアメリカ環境保護庁を相手取った訴訟を提訴しました。告訴では原告の名前を次の様に挙げました、ゲイル・ベンズマン、ダイアン・ラプソン、ジム・ギルロイ、アナマエ・ギルロイ、ジョアリソン・ポレット、ロバート・ギュラック、ジャニス・フライド、ジョン・カルダー、ジェナ・オーキン、ケリー・コランゲロ、ジョージ・ディノス、ブライアン・エドワーズ、それと「他の同じ状況の人たち」。訴訟は裁判所に有毒物質に被爆した結果の状態をモニターする医療プログラムの設立とその基金を求めました。

2006年2月3日に、米国地方裁判所判事デボラ・A・バットは、「2001年9月11日の後、ロウアー・マンハッタンの空気の安全性をおびやかす物質に関しての誤解を招く声明」をしたことで、身体的危害を与えないという原告の修正第5条の権利を侵害したという申し立ての主張を進めることができる、という判決を下しました。

2007年4月20日に、第二巡回裁判所の3人の裁判官で行われる審査員団は、当時のEPA管理者クリスティーン・トッド・ウィットマンと他の職員は世界貿易センターの崩壊後に空気は呼吸しても問題がないと伝えたことに対しての憲法責任を負うことはできない、という判決を下しました。3人の裁判官で行われる審査員団は、「攻撃のあとニューヨークを正常な状態に戻すための政府の関心は、政府が空気の質について誤った声明をしたと主張する訴訟から保護するべき」だと考えました。裁判所は、空気の質に関する事実を調査したり、EPAが意図的に民衆を欺いたかどうかを判断しようとしたりはしませんでした。


グラウンド・ゼロ労働者たちの代理人が起こした訴訟ではWTCオーナーが被告となりました

2つ目の訴訟は、1つ目とは別の被告に対して別の原告によって提出され、EPAに対する訴訟が言及したものと同様の被害を言及しました。2004年9月10日に、ウォービー・グロナー・エデルマン法律事務所とナポリ・ベルン法律事務所は、グラウンド・ゼロ清掃労働者やその他の人たちに代わり、世界貿易センターのオーナー、管理者、支配者、賃貸業者に対する集団訴訟を発表しました。訴訟の弁護士デビッド・E・ウォービーは、この訴訟は数十万人を含む可能性があると伝えました。訴訟は2004年9月10日に出願した当時で800人以上の原告を含んでいました。

世界貿易センター跡地の毒性における国の専門家ウィリアム・R・ソーヤーは次のように述べています。

この衣類から取り除かれた粒子状物質の認定分析によれば、EPAの推奨レベルをはるかに超える高レベルの数種類の発がん性物質が検出されました。おそらく結果として引き起こされた病気の多様さと深刻さは、彼ら労働者がさらされた死の毒の多様性と同じくらいに、独特で前例のないものです。

2006年10月17日に、連邦判事アルビン・ヘラーステインは、コン・エジソン社とシルバースタイン・プロパティ社に対する請求を棄却しましたが、請負業者やニューヨーク州とニュージャージー州の港湾局に対する要求を認めました。


911陰謀論 #38 につづく

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http://911research.wtc7.net/wtc/groundzero/lawsuits.html

911陰謀論 #36 グラウンド・ゼロの災害

911陰謀論 #35 では、民間航空機がシャットダウンしている間にビン・ラディンが飛行機を使ったこをまとめ、政府はビン・ラディンを支援していたことが分かりました。

次は世界貿易センターの跡地、グラウンド・ゼロの災害について整理します。


WTCの爆撃による環境と健康への影響


2つのタワーの爆発は有毒粉塵の厚い雲で
マンハッタンを覆いました
9時59分と10時29分に起きたツインタワーの破壊は1000フィート以上に立ち上る広大なダストの煙でマンハッタン南端部をふさぎ、どちらとも周囲の通りを数分間続く漆黒の暗闇に落ち込みました。雲は風によって進み、ブルックリンやスタテン島を超えて南に進み、そして地上に落ちて堆積しました。その雲を直で浴びた多くの人たち、特に救助隊員は、ガスや空中微粒子の未知の混合物にさらされました。9月11日のあと数日で、EPAとOSHAは空気のサンプルを取り、グラウンド・ゼロ内や付近を除いては空気中にアスベスト、鉛、揮発性有機化合物を過剰なレベルでは発見することはなかったと報告しました。これらの報告に反して、グラウンド・ゼロ近くの地表から採取した塵のサンプルは非常に高レベルのアスベストが示されました。アスベスト削減プログラムがあるにもかかわらず、顕著な量のアスベストがツインタワーに残っていました。

WTCタワーは1968年から1972年に建てられました。アスベストとセメントをスラリーを使って混ぜ合わせた混合物は、耐火材料としてスプレーされました。しかし、この方法は1971年にニューヨーク市議会により禁止されました。これによりスプレーすることは取りやめましたが、数百トンの材料が使われた後でした。すべてではないがそれらのいくつかは削減プログラムでのちに除去されました。アスベストは他の用途でも使用され、通常は砕けやすい(もろい)残留物を残さないが、911で起きたような特殊な条件ではダストに変わることもあります。ビルの材料とジェット燃料によって引き起こされた燃焼は想定外の化学物質を生み出すこともありえるかもしれません。


EPA: 隠ぺいと健康被害の悪化

攻撃のあと数週間経っても、マンハッタン南端部に広がったダストやグラウンド・ゼロから発し続ける煙は健康上のリスクはもたらさないと、環境保護庁(EPA)はニューヨーカーに保証を与えました。環境保護庁は攻撃の10日以内に5つのプレスリリースを発行し、そのような保証をサポートするデータを持っていないにも関わらず、空気は息をしても安全だと人々に保証しました。2003年8月に、EPAはブッシュ陣営によって口止めされていたことを明らかにしました。EPA監察官ニッキ・ティンズリーは2003年8月21日に報告書を発行し、EPAの公式声明はホワイトハウスの指示のもとで国家安全保障会議に影響されたと伝えました。報告書によれば、EPAは「安心する声明を追加し、警告する声明を削除する」よう影響を受けたとのことです。

シエラクラブの2004年の報告書は、グラウンド・ゼロの公衆衛生災害の隠ぺいを以前の報告よりもさらに詳細に伝えました。報告書の概要はEPA、EFMA、OSHAによる総合的な違法行為を示しています。
  • グラウンド・ゼロの健康リスクの隠ぺいは、不十分な情報の政府から起こされたものではありませんでした。広大な制御不能な火災や2つの巨大ビルの崩壊を引き起こした世界貿易センターの攻撃は、国家のいかなる州においても違法となる状態、つまり人間の健康に対する既知のリスク、に導きました。この報告書から、焼却や崩壊による汚染が長期に体に残留することに対する知識を、連邦政府が無視していたことが分かります。汚染が健康上のリスクを引き起こすことを周知する前に、EPAはテストデータを待たなければならなかったという考えはばかげています。EPAは、いかなるテストデータが入ってくる前に、汚染に関する自身の知識に基づいて、健康に対する警告を出す必要がありました。
  • EPAは調査をせず、毒性の危険について適切に開示しませんでした。奇妙なことに、EPAのウェブサイトは次のように報告しました。多環式芳香族炭化水素(PAH)-混合物の燃焼によって一般的に発生する発がん性化合物-は、「いかなる空気サンプル内にも」発見できなかった。しかし、4つの独立したテストは危険性の高いレベルでそれらを検出し、さらにEPA自身の研究者は、科学雑誌が「非常に深刻な種類の懸念」を持つレベルで彼らはそれらの物質を発見したことを、科学誌に報告しました。
  • 連邦政府は安全性の保証を変更することはしませんでした。人々が病気になることが明らかになった後でさえも、そしてブロードウェイ290番地のEPAと同じビルにいる姉妹機関の政府従業員による調査によって民衆が健康被害に苦しんでいたことが明らかになった後でさえも、です。その調査内容は連邦政府は当時一般に公表されませんでした。2002年の雑誌にひっそりと掲載されました。
  • 多くのグラウンド・ゼロの労働者は、最初の数週間は特に、適切な保護をしませんでした。このレポートは、連邦政府が安全性を保証することで、装着しづらくそして疲れやすくする人工呼吸マスクの必要性についてのメッセージを労働者が受け取れなかったことを説明しています。
  • OSHAはグラウンド・ゼロの労働者に安全基準を適用することを拒否しました。国家の緊急事態における権限を持っていないとまちがった主張をしました。緊急事態が去った後も長くこの拒否は続けられ、OSHAスタッフが安全性の助言を努力し続けたにも関わらず深刻な健康と安全性の被害が発生したことが明らかになった後でさえも、その拒否は続けられました。
  • EPAとFEMAは、ニューヨークシティのヘルス部門と協力して、共同部門に濡れた布切れで汚染されたダストを取り除くことができると説明しました。事実、彼らは地域住民に安全マスクを実際に身に着けさせないようにしました。
2006年半ば、健康被害の証拠が浮上した時、EPAの管理者が情報を秘密に分類するよう指示した2002年の行政命令がNYデイリーニュースによって明らかにされました。


有毒物質排出の5か月以上の持続

2001年9月から2002年9月におけるグラウンド・
ゼロとブロードウェイ209Eの2地点の7種のPAH
空気中濃度
多環芳香族炭化水素(PAH)は2003年にも変更被害を残していました。EPAの国立露出研究所(NERL)は2001年9月下旬から2002年5月を通じて、グラウンド・ゼロを囲むフェンスとブロードウェイ290E番地(グラウンド・ゼロから0.4マイルの地点)の2か所の地点での空気サンプルを収集しました。グラウンド・ゼロ周辺部で記録されたPAHのレベルははるかに高く、ブロードウェイE地点で記録された値よりもはるかに長い間高い値を維持していました。グラウンド・ゼロが汚染源であることは疑いのないことでした。



グラウンド・ゼロ労働者の健康モニタープログラム

攻撃に続いてマウント・サイナイ・メディカルセンターはグラウンドゼロ労働者の健康をモニターするために世界貿易センター医療スクリーニングプログラムを設立しました。しかし、連邦政府職員たちはこのプログラムの対象外とされ、彼らの健康は連邦政府によって仕切られるプログラムによってモニターされると伝えられました。ニューヨーク・デイリー・ニュースは次のように報告しました。保健社会福祉省はスクリーニングプログラムのために370万ドルを受け取ったが、そのプログラムは2003年にはじまったものの2003年度中に終了しました、スクリーニングされたのはたったの600人以下の人たちだけでした。


健康モニタリングを要求する訴訟

2004年3月10日に、EPAや現在過去いくつかの管理部門に対して集団訴訟が提起されました。建物内部の毒物にさらされた住民、学生、労働者のために行われたこの訴訟では、被告側が「世界貿易センターの粉塵暴露から生じる状態の検査と予防スクリーニングを含めた医療モニタリングプログラムを設立する」ことを要求しました。

この訴訟はグラウンド・ゼロ被爆の犠牲者のための救済を求める集団訴訟のうちの一つです。


健康被害が実際に存在したことの証拠

2005年11月に行われたAmerican College of Chest Physiciansという会議で、アルベルト・アインシュタイン医学校のデビッド・ペザント博士は12,079人の消防士の肺の機能に関する報告書の調査結果を発表しました。そのうちの多数はグラウンド・ゼロで働いていていました。

胸部医師のアメリカの大学の2005年11月の会議では、アルベルト・アインシュタイン医学校のデビッドPezantは、グラウンド・ゼロで働いていた人の多く12079消防士の肺機能に関する報告書の調査結果を、発表しました。その研究では建物の破壊で起きたダストで満たされた空気にさらされた消防士が通常よりも12倍高くまで肺機能の低下が進んでいたことを発見しました。ニューヨーク・ニュース・デイによると、その研究はグラウンド・ゼロの労働を経験した肺機能の平均的な低下は12歳分の高齢化に相当することを示しました。2006年4月の時点で、マウント・サイナイ・メディカルセンターによって行われた世界貿易センタースクリーニングプログラムは、約8000人がグラウンド・ゼロの空気にさらされたことで生じる障害のために治療が必要とされていることを、記録していました。

グラウンド・ゼロの環境にさらされたことに起因する死亡報告は、2006年初めに明らかになり始めました。1月17日のAPのレポートによれば、世界貿易センター跡地で犠牲者を探していた3人の男性が7か月の間に亡くなりました。4月にニューヨーク・ポスト紙は6人の9/11対応者が脳腫瘍を患うようになり、そのうちの1人は死亡したとレポートしました。同紙は6月に283人の世界貿易センター救助者と労働者が癌と診断されていたことをレポートしました。2007年5月に、ニューヨークシティの医療審査チーフは42歳のフェリシアダン・ジョーンズの死亡証明書を修正し、世界貿易センターのダストにさらされたことが彼女の死因に関連があることを示しました。

労働者たちの代表者で行われた集団訴訟によれば、40人以上のグラウンド・ゼロの労働者が有害物質にさらされたことで4月までに亡くなりました。6月に、訴訟の弁護士は死亡者数が57人となったことを主張しました。

グラウンド・ゼロ被爆からの死亡や深刻な重病者数は、被爆についての正しい情報が得られないことで、まだ大幅に過小評価されており、対応者たちの健康モニタリングの支援も十分に行われてません。連邦政府は2002年に予算を通過した214億ドルの連邦援助パッケージのうち、この対応者に対しては1億2500万ドルしか割り当てませんでした。推定4万人のグラウンド・ゼロ労働者のうち、たった1万6000人だけが2006年半ばに行われたマウント・サイナイ・世界貿易センター労働者とボランティアの医療スクリーニングプログラムでスクリーニングされました。


911陰謀論 #37 につづく

参考URL
http://911research.wtc7.net/wtc/groundzero/environment.html

911陰謀論 #35 ビン・ラディンのチャーター機

911陰謀論 #34 では、911の民間航空機の対応を見て、事故によってセキュリティが強化されたのが分かりました。

911テロの後は民間航空機がシャットダウンしましたが、その間にビン・ラディンが飛行機を使ったということについてまとめようと思います。


ビン・ラディンのチャーター機
ビン・ラディンの家族や他の重要なサウジアラビア国民のメンバーたちは「テキサス州の極秘集会所に向けて、そのあとワシントン-攻撃の3日後に空港が再開されたときにプライベート・チャーター機で国外に立ち去った場所-に向けて、FBIの保護のもとで飛行」しました。国内の飛行禁止が解除される前にテキサス州とワシントン州へのフライトが発生しました。9月13日に、リアジェットはサウジアラビアのプリンス-サウジ国防相プリンスのスルタンの息子-とサウジアラビア軍司令官を乗せてフロリダ州のタンパからケンタッキー州のレキシントンに向けて飛びました。そしてその2人はプライベート747機で国外へ飛び立ちました。

9/11委員会はすべてのフライトが9月13日に再開が認められるの予測した特別な扱いをサウジ国民に与えたという責任をそらそうとしました。事実プライベート機は14日まで離陸禁止でした。

2005年3月に、サウジの飛行機についての詳細が司法省に対する司法ウォッチの情報自由法訴訟の結果として浮上しました。重く編集されたFBIの文書は一見すると委員会の報告書の慎重に書かれた否定に直接的には矛盾していません。しかし、その文書は以前には未公開だった飛行機の存在を明らかにし、FBIはサウジ人の出発のいくつかを護衛していることを示しています。
※司法ウォッチ:米政府と司法制度を監視する非営利団体
  • 2つのサウジ人の家族は、ロサンゼルスとオーランドで、地方空港への護衛をFBIに要請し受け取っていました。
  • 何人かの著名なサウジ人は2001年9月14日に国内から、ロードアイランド州プロビデンスからのチャーター便で、出発しました。
  • 王室のメンバーを含む著名なサウジ人たちは9月19日と24日の間に、ラスベガスからのチャーター便で、出発しました。
ある報告書によると、ラスベガスグループ内のサウジアラビアの王子は「FBIの援助に感謝します」と伝えました。FBIは出発するサウジ人の何人かにインタビューをしましたが、インタビューを受けなかった人もいました。司法ウォッチ、クリストファー・J・ファレルのための調査ディレクターは、インタビューは「徹底的な報告会なら必要とされたであろう時間を取らない、礼儀正しい会話のよう」でした。


911陰謀論 #36 につづく

参考URL
http://911research.wtc7.net/post911/aviation/binladin.html

911陰謀論 #34 911の民間航空機の対応

911陰謀論 #33 では、911テロ前に多数の準備作業が行われているのを見てみました。

次は911の民間航空機の対応をまとめます。当日の対応と空港の閉鎖、その後の再開についてです。


9月11日の動き
民間航空でのシャットダウンは、2001年9月11日の朝に発行されました。

9:17FAAはニューヨークエリア内の5つすべての空港をシャットダウンします。
9:26FAAは国内の「グランド・ストップ」を発行し、すべての民間航空機は離陸できなくなります。
9:45FAAはアメリカにいるすべての民間航空機を着陸します。
10:30FAAはすべての国内に向かう大西洋横断飛行をカナダへ転送するよう報告します。
10:39FAAはすべてのアメリカの空港のすべてのオペレーションをクローズします。
0:04ロサンゼルス国際空港は立ち退かされます。
0:06サンフランシスコ空港は立ち退かされます。

FAAによって全国の飛行機の飛行禁止命令が発行された9:45の時点では、4000機以上の飛行機が飛んでいました。これらの飛行機のほとんどは本来の目的とはかけ離れた空港に到着しなければなりませんでした。これは、民間航空の拡張シャットダウンと組み合わせて、数十万の旅行者を帰宅できずに立ち往生させました。


9月11日以降の動き
アメリカの航空システムは、2001年9月13日に全国の飛行禁止が解除された時は単なる商用機やいくつかの農業便のみで、正常な状態を取り戻すのに数週間かかりました。

2001/9/1311時にFAAは空港を開き、商用便はケースバイケースで再開することを認めます。
2001/9/14FAAは、一般の航空便がまだ飛行禁止の状態かどうかをめぐる混乱の結果として、その日の朝に離陸したパイロットを起訴することについては関心がないことを発表します。
2001/9/14長官ミネタは次のように発表します。
効果的な今日、そして一般的な航空-個人で所有されて操縦される飛行機からなる航空の重要セグメント-は、 計器飛行方式のもとで操縦する飛行機の再開が許可されます。
2001/9/16FAAが発表します。
有視界方式(VFE)のもとでの飛行機は許可されていないことに注意してください。9月16日にFAAは、有視界方式のもとで操縦する飛行機の順次再開の全体アセスメントの一環として、すべての農業便の一時的な停止を命令しました。農業航空便は9月13日にサービスを再開するようクリアされていました。
2001/9/19FAAが発表します。
VFE飛行は一部制限を持つものの再開します。クラスB空域内、上、下でのいかなる飛行およびVFR飛行訓練の飛行が含まれません。
2001/9/21FAAは、ほとんどの飛行訓練活動の再開を可能にします。

プライベート便は9月14日の前に禁止されていたという事実にもかかわらず、 プライベートジェットは13日にサウジ国民乗せてを米国内を飛びました。


事故後のセキュリティ対策

一般の飛行機利用者はそれほど幸運ではありませんでした。攻撃の3日後に空港が開かれた時、新しいセキュリティ対策が施行されました。飛行機を奪取するのに使われそうなもの、ナイフ、編み針、爪切り、アイラッシュカーラーさえも、探し出すために長い列で待機させられました。受託手荷物を乗客とマッチングさせる機能のような、効果的なテロリスト対策は実装されませんでした。

攻撃は外国からの飛行機旅行者を悩ませる口実としても利用されました。特に2003年にアメリカのイラク侵攻を支援しなかった国に対して行われました。2003年12月24日に、パリからロサンゼルスに向かう3つのエール・フランス便がキャンセルされました。「テロ攻撃が差し迫っている兆候を傍受した」と引用するパリの米国大使館の要請でした。同じころにUS-VISTと呼ばれるプログラムがアナウンスされました。国際便を扱うすべてのアメリカの115空港で1月5日に開始するようスケジュールされたそのプログラムによって、アメリカに入国するすべての海外旅行者は指紋と顔写真をするようになりました。

国内の飛行機旅行者の嫌がらせは、「プライベート・スクリーニング」と呼ばれ、衣類を脱いで調査されました。


911陰謀論 #35 につづく

参考URL
http://911research.wtc7.net/post911/aviation/civil.html
http://911research.wtc7.net/post911/aviation/index.html

911陰謀論 #33 911テロの準備

911陰謀論 #32 では、911テロの異常ともいえる偶然の一致や矛盾点を見て、実際のテロであればいかにありえない現象が多かったかを見てみました。

次は911テロが計画されたものであれば、どのような攻撃準備がされていたかを見てみます。



パイロットの武装解除


2001年9月11日に先立つ40年間、連邦航空局(FAA)の規則では民間航空機のパイロットはコックピットに銃器を持ち込むことが許されていました。この規則はハイジャックを防ぐための対策として1961年のキューバのミサイル機器をきっかけにして採択されました。

わずか2か月前にFAAはこの規則を取り消しました。WorldNetDaily.com の記者ジョン・ドハティによれば、規則の変更に対する説明を要求する多数の声にFAAは応答しませんでした。


FBIの襲撃


攻撃の6日前、FBIと80人で構成されるタスクフォースはテキサス州リチャードソンにあるインフォコム社に押しかけ閉鎖させました。Webサーバの停止によって、主にアラブとイスラムのコミュニティを提供する500のWebサイトが削除されました。FBIは数日間ビルを占拠し、書類をコピーしました。

FBIは、攻撃のビデオが一般放送されないことを確実にするため、ペンタゴン周辺を速やかに除去しました。報道によれば、職員は攻撃地点から数分以内の近くにあるシェラトン・ナショナル・ホテルやネクスコム/シッゴーガソリンスタンドからビデオを押収しました。FBIによって押収されなかったヘリコプター映像は、攻撃の数分以内に、ペンタゴンの芝生の手入れをする身なりの整った人たちの組織的なグループがいたことを示しています。


WTCのセキュリティ解除


ニューヨーク・ニュースディの記事によれば、攻撃の5日前に爆弾探知犬を除去しました。

2001年9月12日

世界貿易センターは警戒水準が引き下げられたわずか数日後に崩壊したと、昨日セキュリティ担当者は言いました。

第1ビルの警備員、ダリア・コード37才は、警護特務部隊が多数の脅迫電話のために過去2週間12時間シフトで働いていたと言いました。しかし、木曜日に爆弾探知犬が突然除去されました。

コードは言いました。「今日は特殊セキュリティのない最初の日でした。私たちは低層で防衛していました。地上もカバーしていました。飛行機で行われるとは限らなかった。誰もそれを取りやめることはできない。」

警備員ヘルミナ・ジョーンズは、当局は22階にあるコンピュータ司令センターに防弾窓や防火扉を取り付けることで空からの攻撃に対してビルを保護する措置を講じたと話しました。

2001年9月11日に世界貿易センターのセキュリティはストラテセック社が行っていました。この会社はジョージ・W・ブッシュの弟のマービンが以前社長をしており、クウェート・アメリカ投資会社によってバックアップされていました。


ツインタワーの避難訓練


攻撃を受けた時に人の占有が少なかったことと組み合わせ、施設や避難訓練の改善があったことは、衝突地点以上で取り残された人を除く大多数の民間人が逃げることを手助けしました。

避難訓練は攻撃の後でさらに頻繁になったことの事例証拠があります。

消防士基金の金融アナリスト、ベン・ファウンテン42才は、チェンバーズ・ストリート駅から出て、サウスタワー47階の彼のオフィスに向かいました。どのようにして彼らは事故を引き起こすことができるのでしょうか?

彼らはこのビルがターゲットであることを知っていました。過去数週間にわたって、私たちは何度も避難させられました。通常ではないことです。それらは何かが起こることを暗示していたと私は思います。


戦争の実践演習


いくつかの異なる戦争の実践演習が攻撃の日に行われていました。これらの演習について限られた公開情報によれば、次のようなイベントをシミュレートしていました。
  • ハイジャック
  • 飛行機をミサイルとして使った建物への攻撃
  • 毒性または感染性の物質を使用した攻撃
これらのイベントはすべて実際の攻撃要素となっています。4つのハイジャックが疑われ、3つの飛行機がビルに衝突し、そして世界貿易センター崩壊をきっかけにしたグランド・ゼロでの毒性災難がありました。

北部警戒オペレーション
9月9日から11日に実施され、この演習は通常のパトロールに使われる北東セクターのジェット機をカナダ北部やアラスカに再配置しました。ロシアの演習が9月10日から14日にスケジュールされたことに反応しました。このロシアの演習では長距離爆撃機が北部領域に派遣されました。

戦士警戒・戦士防衛トレーニング演習
これらはハイジャックのライブオンザフライのシミュレーションとなっていて、攻撃者とディフェンダーの戦争演習ペアとなっていました。この演習ペアと北部警戒の両方の演習では、おそらく飛行機をシミュレートするため、スクリーンに「突入」する映像が使われました。これらの演習は明らかに実際の攻撃と共通点があり、次のスクリプトで示されるように、軍事将校を混乱するのに十分でした。

連邦航空局(FAA)ボストンセンターは北東航空防衛セクター(NEADS)に次のように伝えました。「我々は誰かがF16戦闘機あるいは何かをそこへスクランブルすることを必要としています。」

「現実世界ですかそれとも演習ですか?」と、軍連絡将校は尋ねましたか?

「いいえ、これは演習ではありません。」FAAの関係者は返答しました。「テストではありません。」

戦士警戒と名付けられた演習の唯一知られたソースはリチャード・クラークの「すべての敵に対して」という本になります。クラークによって参照される演習は実際にはアマルガム戦士という北アメリカ航空宇宙防衛司令部(NORAD)のフィールド訓練演習で、オンザフライの空中インターセプトも行うもので、東海岸の春と東海岸の秋に年2回行われていました。

グローバル・ガーディアン演習
攻撃の行われた朝に、グローバル・ガーディアンという大規模な軍事トレーニング演習が「本格的に」行われました。グローバル・ガーディアンはストラトコム(アメリカ戦略軍)、アメリカ宇宙軍、それと北アメリカ航空宇宙防衛司令部(NORAD)を巻き込む毎年恒例の演習です。

2001年のグローバル・ガーディアン演習の日がテロ攻撃に対応するように変更されたという証拠があります。NBCニュースの軍事アナリスト、ウィリアム・アーキンは「コードネーム」という彼の本の中で、演習日は2001年10月22日から31日となっていました。また、軍事新聞スペース・オブザーバーは、この年の演習は10月にスケジュールされたと2001年3月23日の記事で報告されていました。

ストラトコムは、オファット空軍基地から、すべてのアメリカ戦略の軍事力を含むこの演習を指揮しました。

国家偵察局の飛行機墜落演習
国家偵察局(NRO)は「我々の国家に空における目と耳を提供します」。偵察衛星システムを操作して、空中の物体をリアルタイムにモニタリングしています。2001年9月11日に、バージニア州シャンティリーにあるNRO本部は「ビルへの飛行機墜落」演習として非難していました。シナリオには構内の4つの塔の一つに小さな商用ジェット機が衝突したことが含まれていました。

タイムリーなアラートⅡテロ演習
攻撃が行われた日の朝、ニュージャージー州フォートモンマス陸軍基地の当局者は、9月11日と12日に渡って行われる訓練をする準備をしていました。訓練は化学攻撃に対応するためのもので、その演習には法務執行機関やニュージャージー州警察やフォートモンマス消防署などの緊急対応機関も含まれていました。演習の開始直前にニューヨークシティでの攻撃の報告が浮上しました。「演習を凌駕する現実世界のイベント」とは軍のスポークスマンのティモシー・L・ライダーの言葉です。

トライポッドⅡバイオ戦争演習
米連邦緊急事態管理局(FEMA)は9月10日にニューヨークシティに配置され、ピア29でコマンドポストを設定しました。9月12日に予定されていたバイオ戦争演習の準備と考えられています。


911陰謀論 #34 につづく

参考URL
http://911research.wtc7.net/sept11/preparation.html

911陰謀論 #32 911テロの異常ともいえる偶然の一致や矛盾点

911陰謀論 #31 では、攻撃前の予兆と言われているものを見て、多数の人がテロを事前に知っていたことが分かりました。

次は911テロの異常ともいえる偶然の一致や矛盾点を見てみます。



攻撃前の予兆


攻撃前に起きた多数のイベントは、多くの人々が攻撃の予備知識を持っていたことを示しています。
  • 攻撃前に大量のプット・オプションの購入があり、攻撃後の株価の下落を予想しました。
    • アメリカン航空とユナイテッド航空の株式のプット/コール比は通常のそれぞれ5倍と25倍に増加しました。
  • 政府関係者や幹部は攻撃対象を避けました。
    • 国防総省当局者は9月10日にフライト計画をキャンセルしました。
    • サンフランシスコ市長ウィリー・ブラウンは9月10日に飛行機に乗らないよう警告を受けました。
    • スコットランドヤード(ロンドン警視庁)はサルマン・ラシュディが飛行機に乗るのを妨害しました。
    • インスタント・メッセージング・サービスのオディゴの2人の従業員はWTCの最初の攻撃が起こる2時間前に電子メールで警告を受けました。
    • 9月11日に投資家ウォーレン・バフェットは、オファット空軍基地でWTCで働いていた経営幹部達との朝食会を主催しました。ここはブッシュ大統領がその日避難した場所になっています。
    • アシュクロフト司法長官は2001年の夏に民間航空機で飛行することをやめました。


ハイジャックのシナリオ


攻撃のシナリオはハイジャック犯と疑われる人の一部にとって不合理であり、その実行は彼らの行動に照らし合わして理解できないです。93便の奪取を除いてはアラブ人が911の攻撃に関与したという証拠は乏しいか全くありません。
  • 遠隔の空港から飛来しコースを大きく外れて進んでいくという攻撃計画。攻撃計画者はほとんど間違いなく破滅(失敗)に向かう危険にさらされていました。防空システムは正常に正常に動作していました。
    • WTCに追突した11便と175便の出発空港は、ニューヨークシティ近くの他の空港ではなく、ボストンローガン国際空港でした。これはそれぞれのフライトを乗っ取ってから約40分の間迎撃の危険にさらされて飛行することになります。
    • ペンタゴンに追突した77便はワシントンDCに戻るために旋回する前は中西部に向けて飛行していました。ペンタゴンを攻撃すると疑われる前1時間23分の間空中にいました。防空システムがほとんど機能していなかったとしても、迎撃の機会を十分に提供したでしょう。
    • シャンクスビルに墜落した93便はワシントンDCに向かって旋回する前は中西部に向けて飛行していました。もし首都にたどり着いていたとしたら、1時間半以上空中にいたことになります。この計画で迎撃を避けることのできる可能性は標準対応手順においてはゼロと言い切れるでしょう。
  • 攻撃に先立って行われたハイジャック犯の挙動は、そのような攻撃を遂行するのに必要とされたスキルや規律に対して矛盾があります。
    • モハメド・アタ容疑者はかろうじて11便を乗っ取りました。おそらく彼は何年もかけて計画したイベントのキーとなるフライトです。
    • ハイジャックの容疑者達は、イスラム原理主義者として描かれているにも関わらず、トップレスバーでパーティーをし、アルコールを飲みました。彼らのそのようなふるまいは、控えめに言ったとしても、驚くべきことです。
  • ハイジャック容疑者たちがその消え去る運命のフライトに乗っていたという確かな証拠がなく、何人かは関与していなかったという実質的な証拠があります。
    • 4つのフライトが飛び立った3つの空港で19人のハイジャック犯が乗り込みましたが、77便のハイジャック犯容疑者を写すビデオを除いては公開されていません。
    • ハイジャック犯容疑者のうち少なくとも6人は攻撃後も生存しています。
    • 4つの飛行機の乗組員たちは誰もハイジャックが進行していることについて航空交通管制への無線連絡を行いませんでした。
    • 4つの飛行機の乗組員たちは誰も4桁のハイジャックコードを送信しませんでした。
    • ハイジャック犯の遺体が衝突現場で特定されたという証拠は公開されていません。
    • フライト・データ・レコーダー(FDRs)やコックピット・ボイス・レコーダー(CVRs)といったブラックボッスの中身は4年以上も公開されませんでした。
    • 11便の添乗員ベティ・オングからの4分半の電話のみが公開されました。武器で差したことが述べられていましたが、アラブ人のハイジャック犯が乗っていたことを示す証拠は全く残されていませんでした。
  • ハイジャック犯容疑者がナイフで4機ものジェット機を奪い取り、その後小さなターゲットにジェット機を操縦して成功させるのは奇跡です。
    • 何人かのパイロットはベトナム退役軍人であったにも関わらず、4つの飛行機の乗組員たちは誰もハイジャックを止めることができませんでした。
    • ハイジャック容疑者たちは誰もパイロットとしての経験はほとんどありませんでした。にもかかわらず、驚異的な精度で3つの建物に衝突しました。


軍事的対応の欠如


誤った航路を飛行する国内線を通常10分から20分の間でインターセプトするにも関わらず、9月11日に乗っ取られた飛行機は1時間以上も干渉を受けることなく空中をさまよっていました。
  • 北アメリカ航空宇宙防衛司令部(NORAD)のタイムラインによれば、連邦航空局(FAA)が逸脱した飛行機を報告したのは不可解な遅延のあとでした。
    • FAAが11便の通信断絶と飛行計画からの逸脱を報告するのに18分を要しました。
    • FAAが77便の飛行計画からの逸脱を報告するのに39分を要しました。
  • 迎撃機は長い遅延のあと遠くの基地からスクランブルされました。
    • 11便や175便がニューヨークに向かっているという事実にも関わらず、近くのラ・ガーディアやバージニア州のラングレーからは迎撃機がスクランブルされませんでした。
    • NORADが8時38分にハイジャックされたという公式な知らせを受けたにもかかわらず、9時37分に衝突された後まで、ペンタゴン近くのアンドリューからは迎撃機がスクランブルされませんでした。
  • いったん発進したあと、飛行機のインターセプトの失敗を約束するかのように、迎撃機は最高速とは言えない速度で飛びました。
    • 2機のF15が11便を追いかけてオーティス空軍基地からスクランブルしましたが、最高速度1875mphにも関わらず平均速度447mphで飛びました。
    • 2機のF16が首都を守るためにラングレーからスクランブルしましたが、最高速度1500mphにも関わらず平均速度410.5mphで飛びました。
  • 近くの巡回中の軍用機は飛行機をインターセプトするために再配置されませんでした。マンハッタンに遅れてたどり着いた軍用機は首都を守るために送られませんでした。
    • ロングアイランドの海岸上を飛んでいた2機のF15は、2機目のタワーへの衝突が起きる後まで、マンハッタンに再配置されませんでした。
    • マンハッタンを防衛するためにオーティス空軍基地からスクランブルした2機のF15は、いったんニューヨークを超えたら9.6分で首都にたどり着けるはずでした。まだペンタゴンが衝突を受けるまで34分ありました。


世界貿易センターの破壊


9月11日に、3つの高層ビルは完全に破壊されました。説明によれば火災による構造的な崩壊でした。火災や爆弾で鉄筋のビルが崩壊したことは今までに一度としてありません。
  • 第7ビルは9月11日遅くに崩壊しました。飛行機の衝突は受けていませんでした。
    • 第7ビルは推定では火災が理由で完全に崩壊しました。今までに鉄筋のビルが火災で完全に崩壊したことはありませんし、火災での部分崩壊でさえありません。第7ビルはツインタワーから350フィート離れて立つ、過剰設計された47階建ての鉄筋高層ビルです。公式の証拠書類では9月11日に起きた火災は小規模なものでした。
    • 第7ビルは完全な垂直落下で崩壊しました。そのそばわずか60フィート離れたベライゾンや郵便局のビルにはほんのわずかなダメージしか与えませんでした。
    • 第7ビルのがれきはほとんど粉々になって崩壊しました。鉄筋のビルが粉々になる理由なく崩れ落ちました。
    • 第7ビルには1500万ドルの緊急司令センターを持っていました。しかし、それを使用する代わりに、市長ジュリアーニは9月11日の攻撃が始まるとすぐその場しのぎで作った司令センターにチームを避難させました。
    • 緊急指令センターは爆弾にも耐えうる避難所として建設されたにもかかわらず、建物の残りの部分と一緒に破壊されました。
    • 第7ビルの残骸は速やかに取り除かれ、鉄筋はリサイクルされ、現場には証拠をまったく残さずまた証拠物も極めて限定的にしか残されませんでした。がれきには誰も埋まっておらず小さな破片が隣接する道路を邪魔していないと誰もが考えたにもかかわらず、除去作業は非常に速やかに行われました。
  • ツインタワーは爆発して粉塵と粉々の鉄くずになりました。制御解体以外では鉄筋構造物とは考えられない矛盾のあるふるまいでした。
    • サウスタワーはノースタワーの17分後にノースタワーよりも損傷の少ない方法で衝突を受けました。深刻な火災もありませんでしたが、ノースタワーの29分前に崩壊しました。
    • サウスタワーの飛行機の衝突は中心を外れていたので、ノースタワーとは異なり、根幹構造に大きなダメージは与えられていませんでした。しかし、サウスタワーの方が早くに崩壊しました。
    • ノースタワーの火災の方がサウスタワーに比べてはるかに深刻でした。しかし、サウスタワーの方が先に崩壊しました。
    • サウスタワーの火災による煙は、崩壊の時点まで、だんだんと暗くなっていきました。
    • 光っている溶融材料が崩壊の数分前にサウスタワーから流れ落ちていました。
    • 消防士はサウスタワーの衝突場所にたどり着き、火は制御できると説明しました。
    • どちらのタワーも崩壊の最初の数秒で衝突場所の上下の領域で崩れ出しました。
    • どちらのタワーもまっすぐ下に崩れ落ちました。これは最も抵抗を受ける道筋です。このふるまいは垂直構造の自発的な崩壊では決して見られない現象です。
    • どちらのタワーの崩壊も制御解体以外では決して見られない特徴を見せました。雷のような発砲現象、その境界線を取り巻く目に見える爆発、規則正しい間隔を持って噴出するダスト、そして大量のダストが突然にして起こりました。
    • どちらのタワーも外側に向けて爆発し、こなごなに粉砕されました。崩壊のパターンは通常の制御解体よりもはるかに破壊的ですが、この結果は爆発物のような追加のエネルギーなく行われたことになっています。
    • ツインタワーの破壊はそれほどまでに完璧で矛盾のないものでした。がれきは発掘作業の様々な段階で数百もの写真に収められましたが、識別不能となっていました。
    • 通常知られる崩壊または火災現場とは完全に異なり、強烈な熱ががれきに残り続けました。
    • ツインタワーから残された残骸からはテルミット反応、ナノサーマイトの残留物が含まれていることが示されました。


ペンタゴンの攻撃


ペンタゴンへの攻撃は、テロリストの第一目標は守られるだろうという期待、テロリストは単純操作で正面に突っ込むだろうという期待をもろくも覆し、極度に正確な空中操作を行って背面に衝突しました。
  • ペンタゴン-世界最高水準の軍事的機能の中心-は、防御アクションによる防衛なく、警告を増幅させた後衝突されました。
    • 9時37分のストライクは、初めてハイジャックの兆候を見せてから1時間以上、攻撃が進行中と確信されたサウスタワーのストライクの後34分経ってから、行われました。
    • ペンタゴンはアンドリュー空軍基地から11マイル以内にあり、9月11日時点で2機の戦闘準備の整った戦闘機がいたことが明らかとなっています。
    • 攻撃機は首都に近づくときレーダーでモニタリングされていました。
  • 77便のパイロットをしたとされているハーニー・ハンジュールはタスクが実行できるレベルに至っていませんでした。
    • ペンタゴンへのらせん軌道を描き突入するアプローチは、熟練した航空管制官であれば軍用ジェット機だと考えるような操作技術でした。最後は木の高さで飛行し、庭園の物体をはぎとり、建物の1階に飛行機は衝突しました。熟練したパイロットは人間の操縦でこのようなことが実行できたかどうか疑問視しています。
    • ハーニー・ハンジュールは航空学校のインストラクターから「不十分」とみなされ、シングルエンジンの飛行機のレンタルを拒否されました。
  • 当局は組織的に証拠を没収または破壊しました。
    • 近隣の企業のビデオ録画は攻撃の直後にFBIに回収され、それ以来彼らが現れることはありませんでした。
    • 周囲を監視するすべてのセキュリティカメラのうち、たった2つのビデオ映像のみがペンタゴンから公開されました。どちらも明らかに攻撃機は示されていません。
    • 調査によれば、10月まで事故現場へのアクセスは許されませんでした。
  • クラッシュは設計されたものですか?
    • 目撃者たちはコルダイトの匂いを報告しました。
    • 目撃者にはジェット機はペンタゴンの正面にたどり着く前に爆発したと報告したものもいました。
    • 757機の翼の端や尾が衝突した正面部では少しばかりしかえぐられていませんでした。これらの部分は正面にたどり着く前に爆発によって無くなっていたということですか?


死亡者数


この悲惨な状況を通じての攻撃の死亡者数は、攻撃の選択やタイミングといったさまざまな観点か考えれば、想定されるよりもはるかに低い数となっています。
  • 4便すべてのフライトとも異常に空いていました。
    • 11便、175便、77便、93便はそれぞれ51%、31%、20%、16%の占有率となっていました。
  • タワーは、1回目はほとんどの人々が到着する前に攻撃され、また、2回目はほとんどの人が逃げるのに十分な時間を持って衝突されました。
    • 11便は8時46分にノースタワーに衝突した時、世界貿易センタービルは通常の日中の占有率の半分以下でした。
    • 最初に攻撃されたタワーは最上階からちょうど15階下に衝突され、閉じ込められたのは大半が95階から110階にいた人たちでした。
    • 次に攻撃されたタワーは最上階からたったの30階下に衝突され、飛行機はビルの芯をはずし、衝突した階よりも上にいた人も避難することができました。1機目が衝突を受けてから17分の時間があったので、2つ目のタワーの人たちはエレベーターを使うことで多数の人が避難しました。
  • ペンタゴンには2万人が建物の中にいましたが、死亡したのは125人でした。
    • ペンタゴンの中の攻撃を受けた箇所は、西ブロックで、改装中でした。したがって低い占有率でした。
    • ペンタゴン労働者のうち、いわゆる高官と言われる人は、死亡しませんでした。


偶然の重なったサービス不能状態


攻撃に先立って行われた多数の決定事項や当日のイベントが「無能論」をもっともらしいものにしています。
  • いくつかの戦闘の実践演習が2001年9月11日に行われていました。
    • 北部警戒オペレーションが行われ、北東セクターの防空リソースは北のカナダやアラスカに再配置されました。
    • ハイジャックをシミュレーションし、ライブのレーダー「インジェクト」を使った、戦士警戒・戦士防衛オペレーションが、軍事および民間の飛行機モニタリングを混乱させた可能性があります。
    • 国家偵察局は、衛星や空中の物体を監視しているのだが、攻撃が展開された時には誰もいませんでした。というのも、飛行機がタワーにクラッシュする軍事訓練を行っていたからです。
    • トライポッドⅡのバイオ攻撃の演習が2001年9月12日に予定されており、結果として攻撃前に米連邦緊急事態管理局(FEMA)がマンハッタンに配置されていました。
  • プロシージャーの変更のために、パイロットや軍事司令官がハイジャックに反応する能力を制限されていました。
    • 軍の命令により、司令官はハイジャックに反応する自治権をはく奪されました。
    • 連邦航空局(FAA)は攻撃の2か月前に民間航空パイロットが銃火器を所有することを禁止しました。
  • 政府高官たちは攻撃が終わるまで対応不可能な状態になっていました。
    • ジョージ・W・ブッシュは攻撃のニュースがテレビで世界中に流れたあと約1時間半までブッカー小学校という公共の場所に留まって、ペットのヤギの本を2年生達と読み、それから記者会見を開きました。
    • 統合参謀本部の会長代理は、ほとんどペンタゴンが衝突されるという時まで、上院議員マックス・クレランドとの会議に留まっていました。
    • 准将モンタギュー・ウィンフィールドは、2001年9月11日8時30分に、国立軍事指揮センター(NMCC)のオペレーション副所長として、海軍大尉チャールズ・J・レイディグ・ジュニアを監督に就任させ、攻撃が終わったあと彼を安心させました。


政府の対応


アメリカの民間人を守るために軍の歴史の中で最悪の失敗、そして歴史の中でおそらく最悪のエンジニアリングの失敗があったにもかかわらず、責任の所在をはっきりさせずまた正直な調査も行われませんでした。
  • 防空における前例のない大きな失敗について誰も非難されることがありませんでした。
    • 9月11日に統合参謀本部副議長だったリチャード・マイヤーズは、防空の失敗に関する質問に意味のある答えを提供することができなかったのにもかかわらず、9月13日に議長を確約されました。
    • 9月11日に北米航空宇宙防衛司令部(NORAD)の司令官だったリチャード・エバーハートは、新しく創設されたアメリカ北方軍(NORTHCOM)の司令官に昇進しました。
    • NORADのプレスリリースは、2001年9月11日にインターセプターがスクランブル発進しなかったと高官によって早々に声明があったことを抗議しました。
    • NORADのあいまいなタイムラインは説明になっておらずはるかにたくさんの疑問を生じさせましたが、当局は十分な責任所在を要求することはしませんでした。
    • 9/11委員会はNORADの以前のタイムラインや軍当局が行った委員会への証言とは矛盾する新しいタイムラインの作成を進めました。
  • WTC1、2、7の完全な崩壊は、公式なストーリーによれば、歴史的な3つの大きなエンジニアリングの失敗でした。どのように彼らは調査したのでしょうか?
    • 米連邦緊急事態管理局(FEMA)は調査機関ではないにもかかわらず、崩壊を調査する唯一の権限を与えられました。
    • FEMAが集結した調査チームは、無償のボランティアで構成されていました。
    • 調査者はグランド・ゼロへのアクセスを許可されませんでした。
    • 調査者は建物の設計図を提供されませんでした。
    • FEMAのレポートは、崩壊の原因を「現時点においては不明のまま」と述べました。(報告書が公開される時までに、鉄筋は完全に処分されていました)第7ビルが100年のエンジニアリング経験と矛盾する方法で崩壊したという事実は、歴史上の最大かつ最悪の構造的な欠陥があったとされています。
    • 9/11委員会のレポートは第7ビルの崩壊について言及しませんでした。
    • 9/11委員会のレポートはツインタワーのコア構造の存在を否定しました。
    • ツインタワーの崩壊に関する米国標準技術局(NIST)のレポートは、それぞれのタワーの「あり得る崩壊順序」を提供することを目的としていますが、崩壊開始前にそのタイムラインを切り捨てています。
    • NISTは「鉄が硫化反応を起こして蒸発した」という以前の調査結果を言及することも避けました。その時ニューヨーク・タイムズは「最も深い謎が調査によって解明された」と記述していました。
    • 第7ビル崩壊に関するNISTの最終レポートは、深刻な構造的な損傷とディーゼル燃料の火災という以前の公式の要求を無視し、熱膨張が原因でシングルビームが接続部をゆるんで破壊しそれによって引き起こされた不安定な建物のチェーン反応によってまっすぐに崩れ落ちて崩壊したとしました。まったくサポートする証拠のない完全に作り話の故障メカニズムでした。
    • NISTは爆発の残留物をテストすることができなかったため不誠実な議論を提示し、その考えがいかに誤っているかを指摘する公式のコメントや回答に直接反応した後でされもそれを繰り返しました。


911陰謀論 #33 につづく

参考URL
http://911research.wtc7.net/sept11/analysis/anomalies.html

911陰謀論 #31 911攻撃の予兆

911陰謀論 #30 では、テロが起きた時のブッシュ大統領、リチャード・マイヤーズ統合参謀本部副議長、ラムズフェルド国防長官、チェイニー副大統領の行動を見て、彼らがテロの首謀者だということが分かりました。

次は攻撃前の予兆と言われているものについてまとめようと思います。

  • アメリカン航空、ユナイテッド航空、そして攻撃によって被害を被った他の会社の株の極度に大規模なプット・オプションの購入
    インサイダー取引

  • 2001年9月11日朝の世界貿易センターにあるコンピュータ上の金融取引の急増
    隠されたトランザクション

  • 多数の重要人物が9月11日に飛行機に乗ることやニューヨークにいることを避けていたこと、攻撃の警告を受けたことを認めた人物もいる
    攻撃の警告

  • 世界貿易センターへの攻撃を祝うかのような5人のイスラエル人の行動、彼らはハドソン川の向こう側から撮影していた
    イスラエルのスパイ

  • ドナルド・ラムズフェルドはペンタゴンで2兆ドル以上の損失があったことを9月11日の前日夜に発表した
    数兆ドルの行方不明

  • サウスタワー崩壊の10分前にルドルフ・ジュリアーニが受け取った警告
    ジュリアーニの警告

  • 攻撃の6週間前に行われた世界貿易センターの民営化
    世界貿易センターの所有者、管理、保険

インサイダー取引


攻撃前の数日の金融取引は、特定の個人が巨額の利益を得るために、攻撃の予知を利用したことを示唆しています。インサイダー取引の証拠には以下のようなものが含まれています。
  • 攻撃に利用された2つの航空会社、ユナイテッド航空とアメリカン航空の株式のプット・オプション購入の急上昇
  • 攻撃によって数十億ドルを支払うことを期待される保険会社、ミュンヘン再保険とAXAグループの株式のプット・オプション購入の急上昇
  • 攻撃によって損害を被る金融サービス会社、メリルリンチ、モルガン・スタンレー、バンク・オブ・アメリカの株式のプット・オプション購入の急上昇
  • 攻撃によって利益を得ることを期待される兵器メーカー、レイセオンの株式のコール・オプション購入の急上昇
  • 5年米国財務省ノート購入の急上昇
プット・オプションの購入は株価の下落が予想される時に行われ、コール・オプションの購入は株価の上昇が予想される時に行われます。


ユナイテッド航空とアメリカン航空
ユナイテッド航空とアメリカン航空の株価の下落状況
(ソース:911research.wtc7.net)

プット・オプションとコール・オプションの比率はプット/コール比と呼ばれています。
正常と考えられる値は約0.8で、通常1よりも小さいです。

ユナイテッド航空とアメリカン航空のプット/コール比
(ソース:www.optionsclearing.com)
攻撃の前の週のアメリカン航空(AMR)のプット/コール比は4でした。 9月6日のユナイテッド航空(UAL)のプット/コール比は通常の25倍となっていました。
もちろんユナイテッド航空に伴う有意なニュースや株価の変動はありませんでした。

ブルームバーグ・ニュースは航空会社に対するモルガン・スタンレーのプット・オプションが平均の285倍という驚異的な急増を報告しました。

攻撃が起きた後、ユナイテッド航空の株価は一株当たり$ 30.82から$ 17.50に42%下落し、アメリカン航空の株価は一株当たり$ 29.70から$ 18.00に39%減少となりました。


再保険会社
いくつかの再保険会社は攻撃によって莫大な損失を被ると予測されました。世界の二大再保険会社のドイツのミュンヘン再保険やスイスのスイス再保険、それとフランスのAXAグループです。2001年9月に、サンフランシスコ・クロニクル社はミュンヘン再保険は15億ドル、AXAグループは5.5億ドルの損失と推定し、telegraph.co.uk はミュンヘン再保険は12億ポンド、スイス再保険は8.3億ポンドの損失と推定しました。

ミュンヘン再保険の株式の取引は9月6日と7日には通常のほぼ2倍、スイス再保険の株式の取引は9月7日に通常レベルの倍以上となっていました。


金融サービス会社
メリルリンチ、モルガン・スタンレー・モルガン・スタンレー・ディーン・ウィッター・アンド・カンパニー、メリルリンチ・アンド・カンパニーは攻撃があった時マンハッタンに本社を置いていました。モルガン・スタンレーはノースタワーの22階を占有し、メリルリンチはツインタワー近くに本社を構えていました。モルガン・スタンレーは9月6日以前には毎日平均して27件のプット・オプションが買われていましたが、攻撃前の3取引日においては2,157件のプット・オプションが購入されていました。メリルリンチは9月5日以前には毎日平均して252件のプット・オプションが買われていましたが、攻撃前の4取引日においては12,215件のプット・オプションが購入されていました。9月17日に市場が再開した時、モルガン・スタンレーの株価は13%下落し、メリルリンチの株価は11.5%下落しました

バンク・オブ・アメリカは攻撃前の木曜日と金曜日に5倍のプット・オプションの増加を伝えました



レイセオン
パトリオットとトマホークミサイルのメーカーレイセオンの株式は、攻撃の直後に舞い上がりました。レイセオンの株式のコール・オプションの購入は、攻撃の前日に6倍に増加しました。

レイセオン社の株式は、攻撃後の米国取引の最初の週の間で$34.04にほぼ37パーセント急増しました。

レイセオンは米軍に売る装備品のコスト増加で数百万ドルの罰金に科せられました。


米国財務省ノート
5年間の米国債は、攻撃前に異常に大量に購入され、その購入者は攻撃の後に急激な増加で報われました。


SECの調査
攻撃の後、SECは世界中の証券会社に株式のリストを配布しました。SECによってフラグが付けられた銘柄は以下の企業があります。
アメリカン航空、ユナイテッド航空、コンチネンタル航空、ノースウエスト航空、サウスウエスト航空、USエアウェイズ、マーチン、ボーイング、ロッキード・マーティン社、AIG、アメリカンエキスプレス社、アメリカン・インターナショナル・グループ、AMRコーポレーション、AXA SA、バンク・オブ・アメリカ、バンク・オブ・ニューヨーク、バンク・ワン・コープ、チーニャグループ、CNAファイナンシャル、カーニバル社、チャブグループ、ジョン・ハンコック・ファイナンシャル・サービス、ヘラクレス社、L-3コミュニケーションズ・ホールディングス株式会社、LTV社、マーシュ&マクレナンコス社、メットライフ、プログレッシブ社、ゼネラルモーターズ、レイセオン、WRグレース、ロイヤルカリビアンクルーズ株式会社、ローンスター・テクノロジーズ、アメリカン・エキスプレス、シティグループ、ロイヤル&サンアライアンス、リーマン・ブラザーズ・ホールディングス、Vornadoリアリティトラスト、モルガン・スタンレー・ディーン・ウィッター・アンド・カンパニー、XLキャピタル(株)、ベアー・スターンズ。


隠されたトランザクション


2001年9月11日に飛行機が衝突する数分前にワールド・トレード・センターのコンピュータシステムはクレジットカード取引の異常な量を処理しました。コンピュータシステムはその後のタワーの崩壊で破壊されました。上昇量の詳細は不明ですが、報告書では、トランザクションの上昇は1億ドル以上に上ると推測されています。

2001年12月、新聞報道ではコンバー・システム・ドイチュラントが破壊されたコンピュータシステムから取り出されたいくつかのハードドライブからデータ回復を行っていると報道しました。従来のデータ復旧作業とは異なり、ドイツの会社は、仮想ディスクを作成するために駆動面を読み取るためにレーザ走査を使用しました。これらの仮想ディスクはデータを回復するために読み取られました。2001年12月20日の時点で、コンバーは81のドライブのうち39の処理を終了し、1月に20以上のドライブが完了するだろうと予想しました。これらのレポートは、どれだけのドライブが崩壊時に失われたり壊れたりしたかを示すものではありません。企業はこの作業のためにドライブあたり2万ドルから3万ドルをコンバーに支払いました。


攻撃の警告


政府関係者やビジネスリーダー
アメリカ国防総省当局者のグループは、攻撃対象を避けるために警告されたという証拠があります。ニューズウィークは次のように報告しました。

3週間前にテロ攻撃が差し迫っているかもしれないという警告がありました。9月10日に、ニュースウィークは、国防総省トップのグループが突然セキュリティ保護のために翌朝の旅行計画をキャンセルしたことを把握しました。

通常は世界貿易センターで行われていたであろう多数のビジネスリーダーは、9月11日のウォーレン・バフェットが主催する会議を、ネブラスカ州オマハにあるオファット空軍基地で代わりに行いました。そのグループにはフィデュシャリー・トラスト社のCEOアン・タトロックが含まれており、この会社はサウスタワーの90階以上の5つのフロアを占めていました。(ここはジョージ・W・ブッシュがその日に飛び立った空軍基地と同じです。地下司令センターを持っています。)

サンフランシスコ市長ウィリーブラウンは、攻撃のわずか数時間前、月曜日の夜遅く、彼の空港のセキュリティと名乗るものから警告を受けたことを認めました。

スコットランドヤードの継続的な保護下にあるサルマン・ラシュディは、2001年9月11日に飛行機を利用しないようにしました。

2001年9月11日に、ブッシュ大統領のいとこのジム・ピアースは、彼の会社のニューヨーク事業所があるサウスタワー105階の会議に出席するようスケジュールされていました。しかし、会議は通りを超えたミレニアムホテルに移動されました。話によるとグループが大きすぎたとのことです。


特権を持つ企業
攻撃に先立って警告を受け取った他のグループは、インスタント・メッセージング・サービスを行っているオディゴの従業員でした。2人の従業員は最初の世界貿易センターの攻撃の2時間前に攻撃を予測する電子メールを受け取りました。

記者クリストファー・ボリーンによると、ジム・アメリカン・イルラエル配送社は攻撃のちょうど前日に世界貿易センターを空けるためにリース契約を破りました。その情報ソースはジムのリース契約は年末まで延長されており、その契約解除費用は5万ドルだったと主張しています。

世界貿易センターの99年間のリースを取得した合併企業を率いる会社は土壇場でキャンセルすることによっておそらく免れました。ニューヨーク・タイムズによると、シルバースタインプロパティは「テロ攻撃が起きた際に何をすべきかを議論する」ために2001年9月11日にタワーの88階で会議を予定していました。しかし、月曜の夜に「1人の参加者が出席できなくなった」ことを理由に月曜の夜に会議をキャンセルしました。


イスラエルのスパイ


攻撃の日に、ジャージーシティの居住者は、ハドソン川を越えて破壊を撮影しながら祝っているようにも見えた男たちの疑わしい行動を報告しました。主要メディアは彼らはアラブ人で16時半ごろに逮捕されたとはじめは報道しました。実際には彼らはイスラエル人でした。米連邦捜査局(FBI)は71日後に彼らを釈放しました。FBIはまた2001年9月11日前後にイスラエルの他のグループも複数拘留し、「組織的な情報操作」の一部であり、「政府施設の侵害」を企てていると結論づけました。


数兆ドルの行方不明


2001年9月10日に、ラムズフェルド国防長官は、国防総省の資金の2兆ドル以上が分からなくなったことを公表する記者会見を開催しました。ラムズフェルドは「推計によると、2.3兆ドルの取引が追跡できない」と述べました。監察官の報告によると、米国防総省は総支出の25%が分からなくなったと指摘しています。

このような公表は、通常、巨大なスキャンダルを巻き起こしている可能性があります。しかし、午前中にニューヨークとワシントンへの攻撃が開始されることで、この話は埋葬されることを保証するだろう。

財源から既に2兆ドルが失われ、炭疽菌によるテロ攻撃を受けた従順な議会は「テロとの戦争(War on Terror)」で戦うためにさらに数十億ドルの歳出を加えるだろう。

攻撃が行われた時の国防総省の監査官はドブ・ザクヘイムで、2001年5月に任命されました。ペンタゴンのマネーマネージャーになる前、彼は遠隔操作の飛行機システムを含む電子戦技術を専門とする防衛請負業者のシステム・プラニング社のマネージャーでした。ザクヘイムはニュー・アメリカン・センチュリー・プロジェクトのメンバーで、「ニュー・パール・ハーバー」と呼ばれるアメリカ防衛再構築という名の政策方針書の作成に参加していました。

不足している額の推定値は乱暴に変わります。2003年のレポートでは不足額は1兆ドル以上と書かれました。


ジュリアーニの警告


サウスタワーの崩壊が差し迫った時の警告は、どうしてそのイベントが予期できたのか、本質的に疑わしいです。
  • 今までに制御解体以外の理由で崩壊した超高層ビルは世界中に例がない
  • 崩壊はほとんどすべての人を驚かせました
  • 消防士や救急作業員は警告を受信しませんでした
2001年9月11日時点でニューヨーク市長だったルドルフ・ジュリアーニは、サウスタワーが爆発崩壊するちょうど数分前にツインタワーの中にいて、一時的な指令センターを持つバークレー・ストリート75番街に行ったと述べました。

質問: 市長、ケリックさんは言いました。あなたが失った数人の高位の役員と立っていた時はあなたは約10分過去のことだった、そしてあなたはバークレー・ストリートに行った。この10分のギャップについてあなたはどう思われますか?たったの10分で恐ろしい状況になったことについてどうですか?
ジュニアーニ: 私はそれについて考える機会がありませんでした。
質問: そして、ビル崩壊の10分前に彼らといました、避難の可能性は?
ジュリアーニ: 私たちが失った人たちには、ファーザー・ジャッジ、チーフ・ガンシー、ビルフェファンのような人たちに会いました。およそ10分前に彼らに会いました。バークレー75番街に向かって行く前に。

ABCニュースのインタビューで、ジュリアーニは彼は「世界貿易センターは崩壊しそうだと言われた」と述べました。そして実際に9時59分にサウスタワーは崩壊しました。警告は前もって十分にはされなかったことをほのめかしています。


世界貿易センターの所有者、管理、保険


世界貿易センター複合体は、公共の建造物として港湾局によって構築され管理されたあと、2001年半ばに初めて民間の所有者のコントロール下になっていました。複合体はシルバースタインプロパティとウェストフィールド・アメリカのパートナーシップにリースされました。新しい管理者は、複合体に対する保険ポリシーを獲得しました。非常に価値のある証明をする語句を含んでいました。テロリストによる攻撃があった際、パートナーシップは財産の保証を得ることができ、99年のリースの義務からも解放されるという内容です。

所有者の変更
著者ドン・ポールは、彼が2002年に書いた本のために、これについてそして関連した問題について調査しました。これには財務面の詳しい流れや攻撃に先立ってのオーナーシップの変更を含んでいました。

2001年4月26日に、ニューヨークとニュージャージーの港湾局のための委員会はシルバースタインプロパティとモールを所有するウェストフィールドアメリカに次の資産に対する99年のリース契約を獲得しました。ツインタワー、世界貿易センター第4、5の2つの9階建てのオフィスビル、それと40万平方フィートの小売りスペースです。

パートナーの落札価格は80億ドル以上の価値と推定される所有に対して32億ドルでした。JPモルガン・チェース、ロックフェラー家に利益を与える名門投資銀行は、港湾局、バンカーによって長く影響を受ける者たち、85才になるデビッド・ロックフェラーに助言をしました。

落札者ラリー・シルバースタイン70歳のパートナーや広報担当者は、すでにニューヨークシティの不動産の800万平方フィート以上を所有していると伝えました。WTC7 や近くのビルはこれら所有者に与えられていました。ラリー・シルバースタインはまたランウェイ69、ラオス製ヘロインの販売を通じて手に入れたロンダリングマネーによって9年前に手に入れたクイーンズにあるナイトクラブ、も所有していました。

2003年12月に、港湾局は、シルバースタインが率いるコンソーシアムが世界貿易センターのリースを購入するために投資した資本の$ 1.25億ドルのすべてを返すことに合意しました。港湾局は、トランザクションを検討するウォールストリートジャーナルの要求を拒否しました。この取引に関しての2003年11月の報道は、シルバースタインが開発権を保持することができるようになると指摘しました。

リース契約は攻撃のわずか6週間前の7月24日まで決まらなかった。

保険支払い
ドン・ポールは第7ビルの損失を取り巻くお金の流れについてもまとめました。

2002年2月にシルバースタインプロパティは WTC7 の再建のためにインダストリアル・リスク保険から8.61億ドルを獲得しました。シルバースタインプロパティの WTC7 への投資推定額は3.86億ドルでした。したがって、この建物の崩壊は約5億ドルの利益をもたらしたことになります。

6つの世界貿易センターの破壊に関与する保険金のフローははるかに大きかったです。WTC7の過半数の所有者のシルバースタインプロパティは、世界貿易センター複合体の持分も過半数持っていました。シルバースタインはこの複雑な状況で十分なカバレッジを得るため、ウィリスグループホールディングスを雇いました。ウィリスは、25のキャリアから保険金を取得するため「熱狂的な」交渉を行いました。WTCの管理が7月24日に変更したときの契約は一時的なものでした。

攻撃の後、シルバースタインプロパティは2つの保険ポリシーを獲得したと主張し、保険会社に対して訴訟を開始しました。シルバースタインのスポークスマンによれば「2つのハイジャックされた飛行機が9月11日に110階建てのツインタワーに衝突したのは保険の目的にとっては別々の発生であり、ポリシーの36億ドルの2回分を得る権利がある」というものでした。これはブルームバーグ・ニュースによって攻撃の後1か月未満に報告されました。

世界貿易センターに関する契約保有者と保険会社との間の法廷闘争は、WTCが一度だけ破壊された際に、どのようにWTCの9/11攻撃が2つの攻撃と見なすことができるかについてではありませんでした。むしろ受益者側が1回の出現なのか2回の出現なのかと考えているかどうかを中心に展開しているようでした。米地裁判事ジョン・S・マーティンを前にした訴訟は、保険受益者とその弁護士との間の問題についての会話に関して、保険会社の発見の権利を超えて多数の戦いを巻き込みました。

2004年12月に、陪審員は保険保有者の二重請求の有利な判決を下しました。


911陰謀論 #32 につづく

参考URL
http://911research.wtc7.net/sept11/foreknowledge.html